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暗黒日記Z #6 「境界」

人がまったくいない、もしくはほとんどいなくて、どこか「見捨てられた」感のある空間。いやさむしろ空間の側が人間を必要としなくなったかのような雰囲気の場所。説明は難しいが、そんな場所のことをどうやら「Liminal Space」と呼ぶらしい。

こちらのサイトに拠れば「spaces between spaces」がLiminal Spaceだという。そうなると私の説明はいまいち正鵠を得てはいないことになるが、かといってまるっきりかけ離れている訳でもなさそうだ。しかし調べてみれば「liminal」は「境界」という意味の言葉だとのことなので、単純に「境界」がイコールLiminal Spaceだと思っておけばよいのだろう。

境界。境目。その言葉を踏まえて「Liminal Space」で検索をかけて出てくる画像群を見ていると、つまりそれは彼岸と此岸の境なのではないかという気がしてくる。いや、それでしかないのか。要は日常と非日常の間にあるような佇まいの空間がLiminal Spaceであると最初に言っておけばこれほどまでに不細工にあれやこれやと言葉を弄する必要もなかったはずである。面目ない。

私がLiminal Spaceという概念を知ったのはひと月ほど前のことだった。Twitterにて画像付きで紹介されているのを見かけた。その時のツイートをここに引用すれば済む話だったのはその通りだが、権利的に怖いので控えておいた次第。

ところで、検索結果として表示される画像を見ていると、うら寂しい風景に混じって見覚えのある一枚が現れた。

こちらである。クサノプチコン、またはザノプティコンと呼ばれるアーティストのアルバムジャケットだ。このアルバムのタイトルがまさしく「Liminal Space」だったのだ。ブレイクコアというジャンルを象徴するアルバムのひとつなのは間違いないこれがそんなタイトルだったことにはどうしてか思い至らなかった。

ブレイクコアがどういう音楽なのかについては上のリンクを開いてもらえれば分かるが、一応Wikipediaの解説を載せておこう。

ブレイクコア (英語: Breakcore) とは1990年代半ばから後半にかけて、ジャングル、ハードコア、ドラムンベースといったスタイルの中から現れたエレクトロニック・ダンス・ミュージックのスタイルの一つである[1]。ブレイクコアは、とても複雑で緻密なブレイクビートと幅広い音色のサンプリングソース、速いテンポでの演奏が特徴である。

「ブレイクコア」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。
2021年10月2日(土)7:23 UTC
URL:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B3%E3%82%A2

えっ。大変だ。何がって、Wikipediaを引用するのは想像以上に大変だった。そういえばきちんとした引用をしたことがなかったと思ってどうするのが正しいやり方なのか調べてみたら「記事名」「協定世界時における日時」「ページリンク」を記載するのがどうやら正解だそうなのでやってみた。本来はこんなに色々用意しなければいけないのか。めんどい。より正確を期すなら脚注についても明記したほうがよさそうではある。でもとりあえず今回はこれで勘弁してほしい。

引用にまつわる驚きはさておいて、クサノプチコンとLiminal Spaceに話を戻したい。私がこのアルバムを初めて聴いたのは高校生の時分であったと思う。その頃、私はパケホーダイの契約をしているガラケーを与えられ、それまでインターネット環境が無かったこともあって狂ったようにYouTubeやニコニコ動画を見ていた。そんなNTTの奴隷としての毎日を楽しんでいたある日、不意にこの動画と出会ったのだ。

探したらまだ残ってたよ。すごいな。「奇想漫画家」を名乗る駕籠真太郎のイラストが強烈なこの動画で私は生まれて初めてブレイクコアを聴き、絵の少女のように脳から極彩色のいろいろが噴き出す感覚を体験した。この表現は流石にアウトか。でも本当にそんな感じだった。

そこからブレイクコアを漁り、そのジャンルが好きなら知らない人はいない「ブレイクコア・ゴッドファーザー」とでも言うべきベネチアン・スネアズの大ファンになり、時をほぼ同じくしてクサノプチコンのファンにもなったという訳である。

ベネチアン・スネアズはアルバムによってまったく作風が違うものの、どの作品にも共通して、こんな表現が正しいかは分からないが「泥臭さ」があるような気がした。デヴィッド・ボウイのディスコグラフィーとベネチアン・スネアズのそれを眺めた時、私は同じものを見つける。常に変態し続けようとしている天才だけが持つ泥臭さ。同じことは米津玄師やGRAPEVINEにも感じたりする。

対して、クサノプチコンは違った。それは何も彼が天才ではないという意味ではない。彼もまた天才なのは間違いない。どころか、人類はきっと一人残らず何かの天才だと思う。そういうことを言い始めると話題が宗教色を帯びてきてしまいそうなのでひとまず逃げるが、とにかくクサノプチコンはベネチアン・スネアズとは違って、どの曲も凄くスタイリッシュに聴こえた。おしゃれだとすら思ったかもしれない。

当時から私は小説を書いていて、クサノプチコンの、特にあの「Liminal Space」をイメージを膨らませるために聴くことがあった。それから十年弱を経て、こういう形で聴き直すことになったのは何だか感慨深いものがある。

改めて、タイトルを意識したうえで、そしてLiminal Spaceのことも考えながら聴いてみると、なるほどと思う。これは確かに境界の音だ。「spaces between spaces」の音だ。電柱が真っ直ぐではなく横向きに写されている意図も分かった気になる。横向きの電柱は電気的な橋で、あちらとこちらを繋いでいるのだ。リアルとワイヤードを。lain信者ここに極まれり。

しかしlainも、思えばLiminal Spaceが全編にわたって効果的に使われたアニメである。だからあんなに心地良いのか。

つまりはあれだ、今回私が言いたかったのは、Liminal Spaceってむっちゃ好みですわぁ、ということだと思う。第六回にしてまだまだ書き方が定まらないが、今後ともお付き合い頂ければ嬉しい。全部読んでいる人などいないと思うし、ほぼほぼ自分のためだけに書いているので、今のは自分自身に宛てた私信かもしれない。

『3月のライオン』の新刊よかったね……。

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