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日常を淡々と生きていくことの大切さ

なんというか、非常に抽象的なタイトルです。
というのも、最近読んだ雑誌やnoteで、日常を普通に生きていくことの重要さを書いたものがあってちょっと気になった、というだけのところです。

村上春樹さんの場合

雑誌「BRUTUS」の特集 村上春樹の中で、この雑誌の編集・インタビュアーをされていた野村訓市さんの編集後記みたいなところに、このように書かれていました。

だから僕たちは、国内旅行さえもままならず、自由に友達と話すことも、酒を飲むことさえもできない2021年の村上さんに話を聞きたかった。その日常を聞くことで、今をどう生きるのか、何かヒントを得たかったのかも知れない。
答えは、何も変わる必要はないということだった。村上さんは全く変わっていなかった。現状に文句の一つ二つはあったとしても、飄々と、淡々とできることを楽しく、村上さんの日常はちょっとやそっとのことでは揺るがないのだ。
-BRUTUS(ブルータス) 2021年 11月1日号 No.949 [特集 村上春樹 下 「聴く。観る。集める。食べる。飲む。」編]より引用

コロナ禍で、村上春樹さんの日常に何か変化があったのか?という点について、何も変わらず、変えずに日常を過ごしていた、ということでした。
普段、マラソンをやったり、仕事もルーティン化してやられているなどということを目にしたことがありますが、世の中が劇的に変わっても、自分のやるべきことを淡々と繰り返していく、そしてその上での仕事のアウトプットをしっかり出す、ということが最強なんだなと思わされました。

白饅頭さんの場合

こちらはnoteですね。有料購読している白饅頭さん。実に切れ味鋭い考察と深い洞察に毎回唸らされます。

今日において「ふつう」をただまっすぐに生きていくことは、それだけで大いなる叛乱なのだ。いまを生きていく、ただそれだけで、胸を張れる。焦らなくてもよい。
「ふつう」をやることによって、多くの人とつながりを得られる。この世界の「当たり前」は当たり前ではなく、どうにかこうにか「当たり前」を維持しようとしている人びとの影の努力によってつくられていると気づく。「私の生きづらさに配慮しろ!」と叫べば、どこからともなく資源が湧いて出てくるようなことはなく、そこにはだれかの献身や犠牲があることを知る。私たちの世界は多くの人びとの並々ならぬ努力からなる「ふつう」によってこそ成り立っている。
-(https://note.com/terrakei07/n/ne5b8e3c2af2a#HVswzより引用)

主に、ネットでの色々な問題について問いかけをされていますが、Twitterどっぷりにならず、しっかりと自分の「ふつう」をしていくことの重要性を解いておられます。
白饅頭さんは、文筆業一本でなく、現場作業である別の仕事にも並行して取り組んでおられるようですが、それも自分の「ふつう」を続けていくことに関連しているような気がします。

まとめ

・・・などと言いつつ、特に結論めいたことは言う感じでもないんですが、自分の生活をしっかりと行なっていく、ということはとても重要だなと思います。私も、日々や週の中でのルーティンとしているものはいくつもありますが、(運動とか楽器演奏とか読書とか子供と遊ぶだとか)やり続けていくことで何かが生まれていく気がしますね。自分の中での核となるものを磨き上げていくような作業かなと。
ということで、これからも、自分の生活を淡々と続けていくことを意識的に行なっていきたいと思います。


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