【五首選】橋爪志保『地上絵』

他で取り上げられていない気がするものに絞って五首選です。

いいこともわるいことも起こってる目の色変えて話がしたい

p. 17より。
「起こってる」の出し方に惹かれた。その前の字足らずでぐっと踏み込んでから発せられる印象。自分たちに関係のあるところで本当に起こってることじゃん、と訴えかける強さを感じた。一方で、自分の目の色に言及するという俯瞰的な視点も同居している。二面性のある感覚が歌われていると思った。

抱き合うと完成するよほら僕ときみのみじめな全寮制が

p. 78より。
「全寮制」は言葉通りの意味では取りづらいけど、簡単には放り出せない、力のある語。これは二人の関係性の喩で、「一日中一緒にいる以外の選択肢がない」ということと読んだ。それが惨めだと言う。お互いがお互いにとって唯一の逃げ道だというところまで追い詰められているのかもしれない。

誰のものでもない僕ら 漂流者 訳して略してドリフってこと

p. 82より。
上句までで(社会的な)漂流者であることの矜持……という雰囲気が出始めたところ、吐き捨てられるように下句が来る。「ドリフ」はあのグループか。いや漂流者とか笑っちゃうよね、とか、所詮は笑いものだよ、という思いを感じるし、「訳して略して」からは暴力のにおいがする。「誰のものでもない」ことにすら影はつきまとう。

おそろいのキーホルダーはいつまでも持っててほしい星とおざかる

p. 84より。
「とおざかる星」という連作の最後に置かれて、タイトルを回収する一首。
「星とおざかる」は、直前にある別れの場面の歌や、もっと前にある一首「死んだあとぜったい星になってやると意気込むきみの無職のちから」(p. 77)から、「きみ」との別れの場面を指していると思った。
短く書こうとすると難しいけど、色々な通念を問い直していくこの一連の最後の最後にあって「おそろいのキーホルダー」の意味だけは紛れもないというように歌われている。キーホルダーは、鍵=それだけは本当に失くしてはならないもの、を繋ぎとめておく錨なのではないか。
また、「星とおざかる」のように文語感の強い助詞の省略は、一連の最後の最後になって初めて出てくる。口語で統一されたそれまでの世界が、遠い時代を思わせる文語的なフレーズで終わると、時間的にも空間的にも「星」が遠ざかり、霞んでいくような感じが強く出る。だからこそ、キーホルダーという錨を「いつまでも持っててほしい」と願ったのだと思う。

けどやっぱ愛は無礼と思うので植物園で虫を見たいな

p. 129より。
愛は他人に要求するものではないし、要求するのは無礼だと思うから、代わりにもっとささやかな願い事を、つまり植物園で一緒に虫を見てほしい、ということなのかな。見たいのが主役のはずの植物ではなくて虫なのがポイントだと思う。一般的には虫は植物園に行く第一の目的ではないし、期せずして見つけるようなものだろうけど、自分は虫にこそ足を止めるし、相手にもそれに付き合ってほしいという願い。本当にささやかだけど、植物園で一緒に植物を見たいという(虫より先に出てくるであろう)願いよりは一歩踏み込んでいる。そんなスタンスが面白いし心地良い。

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