その時は来る~相模原障害者施設殺傷事件から4年~
その時は来る。
人が手を下さなくても。
その時を決めるのは、人知を超えた何かだ。
その何かを神と呼んだり、天寿と呼んだり、私たちは畏れをもって接してきた。
多くの人は、医療の発達によって、延命が出来るなんて思っているかもしれないが、人は死ぬ時は死ぬのだ。どんなに最先端の医療を持ってしても。
必死に、神に祈ろうと、仏に祈ろうとだ。
私は、父が死んだ20年前に、その事を嫌と言うほど思い知った。
どんなに祈っても、願っても、そして医療にすがっても、父は逝った。
「俺の目が黒いうちは、お前の好き勝手はさせん」と啖呵を切っていた父の目が白くなったのをみて、私は『目って本当に白くなるんだ』と思ったものだ。その父が文字通り、虫の息になって、呼吸の間隔も開き、死を向かえるのも時間の問題になっていった。
父に繋がる点滴を見て、「この点滴が苦しみを長引かせているとしたら、抜いてあげたほうがいいのかな?」とぼそりと誰かが言った。けれどそれは言っただけで、実行はしなかった。私たちは、もっと父と一緒に居たかった。止まりそうな息しかしていない父であっても、まだ、一緒に居たかった。
そして、今、私は実行しなくて本当によかったと思っている。もしも、実行したら死を迎えるとわかっている父でも、もしかして、あの後息を吹き返したのではないか?奇跡がその後起こったのではないか?とそんな疑問が起こる時があると思うからだ。私たちは、父の死に手を貸したかもしれないという自責の念と生きることになる。
手を尽くしたのに、助けることが出来なった。
それ以外の選択肢を私は持ちたくはない。
死は、その人だけに起こることではないと思う。
その後を生きる家族や友人、ひいては後の世界を生きるすべての人にかかってくると思う。
最後まで生ききるということが、家族や周りの人の死を受け入れる苦しみを癒してくれる。
最後まで生ききった方のご家族は、その姿を見せてもらったから、自分もしっかり生きなければとおっしゃる。
受け入れがたい死は、残された家族や友人を苦しめる。
けれど、受け入れがたい死でさえも、天寿や宿命と受け入れながら、私たちは後の世界を生きてはいる。
もし、死にたいほど苦しいという人が居たら、その苦しみを取り除く最善の方法を探すのが、まわりの人間の仕事だ。
その右往左往が、今の医療を発展させてきたし、テクノロジーはそのためにあるのだと思う。実際、テクノロジーは動くことが困難な人たちの可能性を広げているし、出来ないことを出来るようにしてくれている。
そのうち植物状態なんて言われている方の意思を、微細な電流で読み取ることだって出来るようになるかもしれない。
なのに、そんな輝かしい未来を夢見ることもせず、知識もなく判断材料も持ち合わせない人が、人の命を語るなと思う。
話は飛躍するけれど、命の話になると私の中に、あるイメージが現れる。
『死ね死ね団』が現れるのだ。
『死ね死ね団』とは、40数年前のテレビ番組『愛の戦士レインボーマン』の主人公に敵対する秘密結社の名前だ。
私は今だに、お風呂場の窓の外に『死ね死ね団』が居るかもしれないと思うと、髪を洗う時に目をつぶるのが怖い。
『死ね死ね団』はちょっとした隙に、人の心に忍び込み、「死ね死ね」と囁くのだ。
だから、私は『愛の戦士』になって、『死ね死ね団』と闘うのだ。
誰もが、その時が来るまで、安心して生きられる世の中にするために!
相模原障害者施設殺傷事件から4年目の今日に思う。
PS.『死ね死ね団』が大阪あたりに現れたという噂を聞いた。
これはおちおちしていられない。
これからも、命の話をしていきたいと思う。