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『泣き寝入りをほっとかない会(仮)』始めます!

写真は、私31歳の時、異国の地で赤んぼ抱いて、泣きはらした目をして、それでも微笑んでいる。いったい何があったんだ?!というツッコミどころ満載の写真だ。なにがあったかは、いつか物語を書くので待っていてほしい。もし、私の人生で『よう死なんかったなあ~』という時期をあげるとすれば、正にこの時期なので、この物語を書かずには死ねないと思っている。

よう泣いたと言えば、私は3歳の時に毎日泣いていた。なぜそう記憶しているのかと言えば、泣いている私に母が、「佳子の泣かん日はないなあ」と言っていたから。そして「そんなに泣いていたら、親が死ぬころには涙が枯れているだろう」と必ず言った。

なぜに、3歳の私が毎日泣いていたのかと言えば、保育園で5歳児クラスに入っていたことが大きな原因と思われる。もう54年も前の、保育園創世記といってもいい時期の田舎の話しだ。母も覚えていなければ、当時の保育士さんだって覚えていないだろう。けれど私はよく覚えている。おそらく3歳児クラスが定員を超えていたとかいう理由で、私とみなこちゃん(苗字を知らないまま小学校入学前に引っ越した)は二人だけで5歳児クラスに入れられることになった。私とみなこちゃんが選ばれた理由は、お兄ちゃんが5歳児クラスに居たということと、3歳にしては体格がよかったことと、大人しかったことだ。

理不尽という言葉を当時知っていれば、理不尽そのものだった。一番悔しかったのは、3歳児クラスには10時のおやつがあったのに、5歳児クラスにはなかったこと。私は毎日10時が来るたびに、『私は3歳だから、10時のおやつをもらう権利があるはずだ!!(もちろん、難しい言葉などしらないから、あーーーーっ!)』と心で叫んでいた。けれどなすすべもなく実際は、みなこちゃんと小さくなって、5歳児クラスの隅っこに丸まっていた。

5歳児クラスに放り込まれた3歳児がどうなるか?お話しよう。5歳児たちの『なんでここに居るの?』という冷ややかな視線に耐えながら、お絵かきや、字の練習まで一緒にすることになる。そして、5歳児たちにバカにされるのだ。『こんなことも出来いの?ばかじゃないの?』と。行事だってそうだ。クリスマスにドレスのようなものを着て、ケーキを運ぶときに、並んでいた前の5歳児にクリームをつけてしまって睨まれたこともある。

5歳児と3歳児を一緒に保育してはいけないと言っているわけではない。大人の配慮が必要なのだ。もしも、私とみなこちゃんが大人の都合で、3歳だけど5歳児クラスに入ることになったのなら、5歳児たちに説明すればよかったのだ。『よしこちゃんと、みなこちゃんは3歳だけど、5歳クラスに入ってもらうことになりました。これは保育園の都合で二人の所為じゃないの。いろいろみんなみたいに出来ないこともあると思うけど、よろしくね。』と。

そうしたら、5歳児たちだって、『なんだ、この子たちのせいじゃないんだ。先生に言われて入れられたんだ。いろいろ出来なくて可哀そうに』ってな気持ちにもなって、余裕がある子は、お世話だってしてくれただろう。けれど、実際は、私もみなこちゃんもよそ者のまま一年間過ごすことになる。よそ者というだけでなく、邪魔者として。

だからだ。その頃私は、家に帰って、5歳の兄と積み木遊びをしても、ブロック遊びをしても、「ちゃん(当時の自分の呼び名)には出来ん!」と泣いた。「ちゃんには出来ん!」と積み木やブロックを壊す私を怒ることもなく、また作り直す兄には申し訳なかったなあ~と思いだす。おそらく、私が父に蔵に入れられていたのもこの頃だ。なにか『あやまりなさい』と言われ、何を謝ったらいいのかわからない私は、暗い蔵の中に『反省していなさい』と入れられた。あまりの怖さ(今でも閉所恐怖症)に、それ以降は、反省していなくても謝るようになったけれど。

保育園では縮こまり、家では大暴れしながら泣くという日々を過ごし、トラウマになる程父に叱られながら4歳になった。やっと4歳児クラスに入れた。これで安泰か?というと、そうはいかない。もうその頃には、変なプライドの高い4歳児になっていた。3歳で5歳児の真似ばかりしていたから、もう4歳のすることがバカらしいのだ。出来るわけでもないのに『そんなの簡単、なんたって5歳と一緒のことやってたんだし』てな気持ちの4歳児になってしまったのだ。

だから、夏の暑い日に、4歳児たちがパンツ一枚で水浴びなんてする場面でも、『失礼しちゃうわ!水着の準備くらいしてからにしてよ』と思っていた。私と4歳児の間に出来た溝はほっといて埋まるようなものではなかった。

子どものことだから、すぐ忘れると思っていた大人の皆さん、残念ながら忘れてないです。しかも、私の人格形成に絶大な影響を与えた模様です。けれど、けっして私は恨み言が言いたいわけではない。私はずっと考えている。どうしたら3歳の私を救ってあげられたのかを。

3歳の頃の私からのお願いです。

大人の皆さん、子ども(※)の気持ちを大事にしてください。もの言えぬ者の気持ちを察してください。言えないことと、感じていないことは違うことに気づいてください。子どもをバカにしないでください。子どもを大人より劣ったものと思わないでください。子どもは大人の言うことを聞くもんだと思わないでください。

以上、三歳児からのお願いでした。

そして、大人になった私は思う『大人の仕事は子どもを守り育てることなのだ』と。こんな簡単なことが、出来ていないから、何度も何度も、私の中の3歳の私が泣きながら現れる。『また、泣いている子どもが居るよ』『また、傷つけられている子どもが居るよ』『子どもだから説明出来ないから、バレないと思ってひどいことしている大人が居るよ』

子ども(※)=および、知的障がいのある人

泣き寝入ることしか出来なかった3歳の私が、『もう大人なんだから泣き寝入りしちゃダメ!』と言ってくる。

なので、私57歳、遅ればせながら『泣き寝入りをほっとかない』会(仮)始めます。

『どうせなにも出来ない』と思われている最弱のシングルマザーが、最強になってゆくプロセスをお見せします。


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