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そしてついに、フレディ最終回!

もしも、神が居たならば、救世主をどんな姿で出現させただろう?それは、この地上で最も蔑まれ、迫害されている人の姿を借りて、送りこんだのではないだろうか?タブーとされていたからこそ、ゲイの姿をして、最も忌み嫌われたエイズになることで、この世の仕事を終えさせたのではないだろうか?

私はまんまと差別したのだ。口ひげを生やした半裸の男。その男の心の声に、私は耳を傾けなかった。当時迫害する人々は言ったものだ。「なんだ?あれは?」「あんなのは、ロックじゃない」「奇妙な奴だ」「わけがわからん」・・・・私はそんな声をなんとなく聞いた。そして、なんとなくそんなものとして、自分から、わかろうともしなかった。

だから、今になって、「なんて美しい目をした人なんだろう。」「なんて美しい歌を歌う人なんだろう。」「なんて美しい歌詞の書ける人なんだろう。」「なんて美しい友情のバンドなんだろう。」と、びっくりしている。

そして、歌を聞くたびに、涙が流れる。それはフレディの「セーブミー」だったり、高音が出なくなったフレディに替わって、高音を張り上げるロジャーの声だったり。その声がやっと私の心に届いたときには、フレディがこの世を去って、27年も経っていた。

動画を見すぎて、ついに私のYouTubeには、何語かわからないフレディの解説が流れてくるようになった。でも、この動画も、もう新しいフレディは見られないことが悲しい。手に入れたCD「メイド・イン・ヘブン」のジャケットの写真は、美しい湖に立つフレディの後ろ姿だと思っていたら、モントルーのジュネーブ湖に建てられたフレディの像だった。悲しすぎて、その像は、見えないようにした。

晩年のあの優しい目は、もはや天使だ!

私が、フレディを救世主というのは、けっして言い過ぎではなくて、残した歌も、その成しえた偉業も、そう言うに相応しいと思う。時々、身近な人を傷つけて大きな仕事をする人が居るけれど、フレディの凄いところは、身近な人を幸せにしながら、ものすごく大きな仕事をやってのけたことだ。

私も、フレディを知ったからには、枠組みを取っ払った世界で自由に、生きてゆこうと思う。

以前、私の文章を「メッセージ性が強すぎて、作品を狭めていてもったいない。メッセージ性を取り外せば、もっと飛べる」と評価してもらったことがある。その時には、私は「メッセージを伝えるために書いているのに、それは、外せない」と思ったものだった。今なら、その意味がわかる。フレディのように、やればいいんだ。


「きみなら、やれるよ。」天国から、フレディの声が聞こえる。


おわり



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