胸元に投げろ

誰でも発信できる時代になって
誰でも情報を受け取れる時代になって
玉石混交の中から
ある程度確からしい情報をつかみ取れるようにテクノロジーは進化した。

無限に増えていく情報の中で
何が真実かを見極めないといけなくなったのだけど
あまりにも情報が増えすぎて
きっと発信している当人も
よく理解しないまま発信していることがある。

これはまだ良いとして
最近は感情に訴えかけて人を動かす技術が発達し過ぎている気がする。
良い方向に使うのなら問題はないのだけど
そもそも良い方向とはどの方向を指しているのかもわからない。

SNSをちゃんと見るのをやめた。
なんというか主義主張の応酬が繰り広げられ過ぎていて目も当てられなくなってきた。少なくともおれのタイムラインはそうなっている。

「胸元に投げるだけでいいねん」と
少年野球を始めたばかりの時に
監督が言っていた。

コミュニケーションがうまい人はきっとそういう人で
自分が速い球を投げれるからといって
素人相手に豪速球を投げる人ではないし
肩が弱いこと人に対して何十メートルも距離を取って投げてくる人でもない。

そうやって自分勝手なキャッチボールをする人はすぐ淘汰されるのだけど、
するとまた新しく自分勝手なキャッチボールをする人間が現れる。

そういう光景が多い。
ノイジーマイノリティというらしい。

知るは言わず
言うは知らず。
結局いつの時代もうるさい人たちというのは何も知らないのかもしれない。

と言うことは、そういうことだ。
そんなものに踊らされる必要はまったく無い。

互いに適切な距離で
互いに取れるボールをできる限り胸元に投げ合える相手と対話をしていれば何も問題ない。

たぶんなのだけど
どこの世界でも
大きなコミュニティに疲れた人たちが
自分たちの心地の良いコミュニティを作って、
そこに共感した人たちが集まる。

人が集まってることを嗅ぎつけた人たちが
さらにそこに集まってくる。
この時期が結構地獄なのだと思う。
マナーがどうだの、ルールがどうだのを決めないといけなくなる。
そして燃える。

燃えているところにさらに火炎瓶を投げ込む人が現れて
それをさらに拡散する人がいる。

それにまた嫌気がさして
小さなコミュニティを作る。

なんというかそういう繰り返しなんじゃないのかなーと思ったりする。

そしてそれらが信じられないスピードで生まれては壊れて、再生産されるようになった。
そのスピード感があまりにも早くなり過ぎたのかもしれない。

キャッチボールが出来たらそれで良かったのに
突然ぞろぞろと人が押し寄せて
知らない間にドッヂボールになってるような
そんな感覚。
厄介なのは、ドッヂボールを始める人が、自分はコミュニケーションが上手いと思ってそうなこと。
まぁこれは完全に独断と偏見ではあるけれど。

いや、そもそも、このブログ自体が独断と偏見の塊やねんけどな。
それは一旦置いておいて。

ちょうど良い距離感、と言ったけれど
距離感を掴むのが得意な人もいれば苦手な人もいるということもわかっていないといけない。
苦手な人は悪気なくドッヂボールを始める。
本人はキャッチボールをしているつもりだったりする。
それはキャッチボールじゃなくて
ドッヂボールだよーと言ったら言ったで
「いや、どこがやねん!このボール取られへんとか下手すぎww」とかになったりする。
そしてそれすら悪意なく投げてくるボールだったりするので、
無自覚に豪速球を投げてくる人との適切な距離の取り方、
誰か教えてくれや!!という気持ちでいっぱいであるし
これからはできる限り「おちんちん」とかだけ言っておきたい気持ちでいっぱいなのだ。

世界は繋がりすぎたのかもね。
繋がりすぎてもはや寂しいわ。
公園でゆっくり読書だけしておきたい。
お紅茶でも飲みながら。

なんかブログ書くペース落ちたし
文章書くのすげー下手になってるなー。
実際、下書きだけどんどん溜まってるし。
でもこれが今のおれのリアルなので
生き恥晒しを今日も置いていくのだ。

みんな自分の心地よいポイント見失わずに
ほんの少しだけ冒険し続けてような。
このボールがあなたの胸元に届いてたらいい感じやわ。ほな。

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