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MERCURIUS 第三話

 次の日。森野総研の周りは静かな空気に満ちていた。敷地自体が市街地とは離れた場所にあるため、街中とは違う静かな雰囲気を纏っていた。その静謐な空気を切り裂くかの如く、一台のバイクが走っていた。

 ヘルメットを外すと、朝の澄んだ空気が肺の中に入ってきた。新城陽貴は深呼吸をすると、目の前の建物を見た。
 森野総研。
 それこそが彼の今回の目的だった。陽貴は研究者ではないし、ましてや今回の事件を担当する警察官でもない。彼の職業は雑誌記者だ。小規模な週刊誌の記者である彼は、編集長の命で世間を賑わしているメルクリウス事件を取材するべく、研究所に来ていた。ちなみにアポイントメントはとっておらず、アポ無しのいう状態だった。
 陽貴はバイクから降りると入り口へと向かった。入り口は駐車場から続く坂道を登った先にあった。インターホンを押すと、スピーカーからはいとやる気のない声が聞こえてきた。
「あのー、週間セブンの者なんですが、メルクリウス事件の」
 陽貴がそこまで言った時、急に通話が切れた。 「あー……」
 どうしよう。
 彼がそう思いながら頭を掻いていると。後ろから声がした。
「あっ、あそこにそれっぽい人がいるっす」
「そうか?それにしてはなんか挙動不審に見えるが」
 振り向くと、若いスーツ姿の男女が立っていた。男の方は二十代はじめで、女の方は二十代半ばから三十代前半に見えた。
「たぶん新人の人っす」
 男は陽貴の方を指差しながら言った。女はこら、声がでかいぞと男に返した。さすがに指を差されながらあれこれ言われるのは陽貴には堪らなかった。彼はコホン、と小さく咳払いをした後、二人の前に来た。
「あの、すみません。聞こえてるんですけど」 「あっ、すまない」
 女は男を小突くと、スーツの胸ポケットから何かを取り出した。 「え……」
 女が出してきたのを見て、陽貴は目を見開いた。彼女が彼の前に掲げているのは警察の黄金のエンブレムがついた手帳だった。それによると、女の名前は松山舞子。
「警察の方ですか……」
 陽貴は二人を見比べた後、ニヤッと笑いながらポケットから何かを取り出した。それは名刺だった。
「週間セブン記者?」
 名刺を受け取った松山は、それに書かれた文字をじっと見つめた。
「あっ、これ俺知ってるっす」
 名刺を横から覗き込んだ男は、得意げに鼻を鳴らした。
「その記者がどうしてここに来たんだ?」 松山は、陽貴の顔をじっと見た。
「実はさっき取材を断られまして、で、あなたたちに密着しているていで、同行させてほしいんですが」
 陽貴のその言葉を聞いた松山は眉を顰めた。 「だ……ダメですかね?」
 さらに眉間に皺がよる。
 もうだめだ。陽貴が諦めかけたその時、隣の男が口を開いた。
「いいっすね、おもしろそうじゃないっすか」 「おい、加山」
 松山は加山と呼んだ相手をきっと睨みつけた。しかし、彼は余裕そうにこう言った。
「先輩、困った時は助け合いっすよ」
 加山にそうウィンクされた松山は眉間に寄ったしわを緩めた。
「本当にいいんですか?」 陽貴は、加山の顔を見た。 「もちろんっす」
「ありがとう」
 陽貴は加山に頭を下げた。その様子を見ていた松山はやれやれとばかりにため息をついた。

「いやぁ、警察の人が来るのは心強いですよ」
 松山と加山、さらに先程入り口で半ば強引に加わった雑誌記者の新城陽貴。
 三人を先導しながらそう言ったのは、所長の氷川だった。氷川は、若干はげかかった頭に、メガネの奥で光る狐のような釣り上がった目が印象的な男だった。
 なんか胡散臭い。
 それが松山が彼に抱いた第一印象だった。氷川は物腰が柔らかく、一見すると人の良さそうな雰囲気を持っていた。しかし、新人時代に詐欺事件をなんどか取り扱った事のある松山の目には、違って見えた。人の心の隙間につけ込んで多くの利益を得そうな、典型的な詐欺師のように見えるのだ。
 彼女は、ふと斜め後ろを歩いている陽貴に目を向ける。彼は、けわしい表情――この男の一挙手一投足ひとつも見逃すもんかといった気概に満ちていた。
 彼も同じ気持ちだ。
 あの感覚は自分だけじゃないと思った松山は少しほっとした。

 数分後。松山たちは研究所の二階の廊下を歩いていた。氷川は、廊下の端にある256号室と書かれた部屋の前で首に下げてあったカードキーを戸口にあるセンサーにかざした。すると、扉が滑らかに開いた。
「氷川所長!」
 入ってすぐ出迎えてくれたのは、天然パーマ気味の髪にメガネをかけた白衣の男だった。
「庄司くん、警察の方がいらっしゃいましたよ」
 氷川は、庄司くんと呼んだ彼と松山たちを引き合わせた。二人は警察手帳を庄司に見せる。
「こちらは庄司正孝くん。彼はメルクリウス研究プロジェクトの主任研究員です」
 氷川にそう紹介された庄司はあわあわした様子で挨拶した。
「は……初めまして」 彼は天然パーマ気味の頭をかきながら、三人の顔を見た。
「えーと、警察の方に……そちらの方は」
 庄司の目は陽貴のほうを見ていた。ここで、加山がすかさずフォローする。
「あっ、こちらの方は私たちの仕事ぶりを取材してくれてる人っす」
「ああ、そうなんですか」
 安心したのか、庄司は深いため息をついた。とりあえず自己紹介が済んだところで、一同は本題に入った。
「まずは部屋を見せてくれませんか?」
 松山にそう言われた庄司は、はいとは横へ退けた。
 研究室は学校の教室ほどの広さで、壁際に実験用の道具を入れた棚が所狭しと並んでいた。中央には四角い机があり、空っぽのガラスケースが置かれていた。おそらくこれが、メルクリウスが入っていた入れ物だろう。床の方は、初動捜査の連中が片付けてくれたのか綺麗になっていた。松山は廉が倒してしまった位置に移動する。ガラスケースは円筒形で、二五〇ミリリットルが入るサイズだった。とりあえず全部見たあと、松山は庄司に向き直った。
「あの日の夜、施錠は誰に任せてましたか?」
「ああ、普段は最後までいた研究員に任せています」 
 そう答える庄司のこめかみからは、汗が噴き出ていた。
「なら、その日残っていたのは誰なんすか」  そう聞いたのは加山だ。
「えーと……ちょっと待っててください」
 庄司は、手元のタブレットを見る。それを少し操作した後、顔をあげた。
「20日の夜に最後まで残っていたのは……北村光――うちのチームのメンバーです――ですね」
「そうですか……なら」  松山はいつもの仏頂面で続けた。
「その北村さんをお呼びできないでしょうか?」
 庄司は、はい、とスマートフォンを取り出しどこかへ電話を掛けた。
 数分後。三人は、最後に施錠した北村と会議室で顔を合わせていた。北村は緑青がかった黒髪を編み込んでおさげ髪にした気だるげな雰囲気の女だった。彼女はド派手な青色のネイルが施されていた両手をテーブルの上で組んでいた。最近の研究員とはこんなもんなのか、と松山は内心ため息をついた。
「あの部屋の研究所で最後までいたのはあなたですね?」
 松山は、できるだけ真剣かつ丁寧に北村に尋ねた。 「ええ、そうですけどぉ」
 北村は気だるそうに青いマニキュアがついた指先で、自身のおさげ髪をいじった。
 あんな指でよく研究員とかやってるな。
 松山がそう思いながら相手の言動をメモしていると、今度は加山が口を開いた。
「二十日の夜、帰り際に何をしてたか覚えてます?」
 北村は、一度はきょとんとした顔で加山を見た。
「ええと……確か定時でみんなが帰った後、あたしだけ残ってデータの整理して……」
 「データの整理?」  そう声をあげたのは、松山だった。
「メルクリウスに関する実験データをまとめて報告書を書くんです」
 北村はそう答えるとさらに続けた。
「で、終わったのが20時で、ちゃんと鍵しめて帰りました」
 彼女はそう言い終えると、早く帰してくださいよと言いたげな目で松山を見た。だが、彼女はここで引き下がらなかった。
「本当ですか?警備員がメルクリウスに呑まれた当時は鍵はしまってなかったんですよ?」
 すると、北村は途端にムッとした顔になった。
「嘘は言ってないです。確かに鍵は閉めました」  「証拠は?」
 松山はさらに迫る。  「なんですか?あたしを疑うんですか?」
 北村は泣きそうな顔で言った。
「あたし、ちゃんと確認もしたんですよおー」  「そうですか……」
 松山は頭をかいた。もはやこれ以上聞いても同じ答えしか返ってこない。3人の間に諦めムードが漂いかけた時、加山が口を開いた。
「あ、俺からちょっといいっすか」

(続く)

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