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愛は積分

愛とは、その人の意志であり技術である。

エーリッヒフロム・『愛するということ』

YouTuberが市民権を得て久しい。当初YouTuberというとネットカルチャー文脈でのおもしろ企画屋のイメージであったが、お笑いからドキュメンタリーまで、今やあらゆる領域の幅広なコンテンツが作成されており、生き残ったコンテンツ群が堆積している。今からYouTuberになろうとする人からすればレッドオーシャンと感じて険しい気持ちであろうが、いち視聴者からすると厚みのある素晴らしいコンテンツプラットフォームとなっていて、とても喜ばしいことだ。

僕自身もいくつか定期視聴しているチャンネルがある。うち一つの領域は、生き物系とされるものだ。ちゃんねる鰐、おーちゃんねる、ヘビフロッグ。ホモサピ。市民権を得ている犬猫や小鳥ではない。飼育者やファンの数が相対的には少数である爬虫類、両生類、はては昆虫まで、様々な生き物の生態を紹介する。ときには収集し、飼育したうえで、企画をし、動画に収める。これが好きだ。

何かを好きであること。その対象によらず、その熱量の多さが閾値を超えるものはすべて尊い。その対象に対して、純粋な愛を持っているということだから。彼らの登録者数は100万人を超えており、対象となる生き物の種を愛する人の数より、おそらく多い。すなわち。登録者の多くは、YouTuberが愛を向ける生き物という存在にではなく、彼らの純粋な愛に、心惹かれているということだろう。彼らの知識量から、半生の中で生き物に恋し続け、体積した愛が透けて見える。それに、僕も、他の登録者も惹かれる。

愛は積分なんだ。なにかを好きでいること、誰かに恋していることは、任意の時点を切り取った時の風速でしかない。人は変わる。自らも対象も。瞬間最大風速を持ってして、自分を信用することはできない。好意と期間の積分が信用なんだ。愛というのは、過去の堆積としてその時既に在るものであって、見つけるものではない。とはいえ。人は、相手からの瞬間最大風速から試算されるLTVをもとに、今の愛在る人から離れ、新しい人へと移行してしまうこともあるのだが。


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