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すっかり見なくなった境界性パーソナリティー

境界性パーソナリティ障害という病名があって、ネット界隈では、「メンヘラ」などと呼称されてきた。

繰り返す自傷行為や、不安定な対人関係、性的な問題を含む衝動的な行動などがあって、ときどき自分の命を人質にとって、要求を通そうとする、周囲の人をコントロールしようとする(ようにみえる)言動が、支援者を疲弊させたりする。パーソナリティー障害は、生物学的な問題でなく、人格的な問題とされ、その行動が患者自身の責に帰されやすいことから、「厄介な患者」とされやすいかもしれない。

SNSでは、メンヘラという用語に対する侮蔑的なニュアンスに批判があったようだけれど、付き合いづらく気が付けば巻き込まれているような、困った人たちがいるという事実について、メンヘラという用語批判が有用とも思えない。例えば、境界性パーソナリティー障害(BPD)を、同じように批判的・侮蔑的に使う文脈があれば、このシニフィアンにも新たなシニフィエが積み重なってしまうだろう。

ところで、私は、境界性パーソナリティー障害という病名を最近はあまり診断しなくなってきている。一昔前は、繰り返す自傷行為と家族や恋人など周囲の人への反発と執着がありそうであれば境界性パーソナリティーと診断さしていた気がする。こういう傾向を持つ人が減っているのか、はたまた医療に失望して現場に現れなくなっているのか。あるいは、私自身が診断の閾値を変更しているのかもしれない。

精神科医にもあまり知られていないのかもしれないが、私は境界性パーソナリティー障害の臨床類型が、薬物療法を考えるうえで、重要と思う。

境界性パーソナリティーは、基本的にはパーソナリティの偏りだから、薬物療法は、効果が薄いと考えたほうが良いのだけれど、鑑別として挙げるほかの精神疾患の可能性を想定した、薬物療法の可能性は念頭に置いている。

境界性パーソナリティー障害の臨床類型

境界性パーソナリティの臨床累計については、中核型、過剰適応型、自爆型の3類型がある(日本版境界性パーソナリティ障害治療ガイドライン)。私の印象では、それぞれ、周囲を巻き込む範囲が異なるように思う。

中核群:トルネード。周囲の人は、多かれ少なかれ何らかの形で巻き込まれる。
過剰適応型:優等生型。自宅でひっそりリストカットしている。巻き込む範囲は家族程度で、診療の場ではそれほど振り回しが目立つことはない。
自爆型:衝動性や慢性的な希死念慮は共通するが、周囲を巻き込む力は強くない。

中核群では、主治医もその言動に翻弄されることもままあり、対応に疲弊するが、診療の場には残らないこともおおい。過剰適応の優等生型は、治療関係を継続できることが多く、予後も比較的良い。自爆型では、治療者も比較的巻き込まれることが少ない。

境界性パーソナリティと鑑別されるべき精神疾患

鑑別としてあげるのは、主に衝動性を示しやすい以下の疾患だ。

・双極性障害
・強迫スペクトラム
・注意欠陥多動症:ADHD
・月経前不快気分障害:PMDD

もちろん甲状腺機能亢進症やSLEなど抑うつや不安を呈する身体疾患の除外も必要だ。

トルネード型では特に双極性障害の鑑別が重要と思う。トルネードのように激しく周囲を巻き込んでいる状態が診察時には見られるが、巻き込んでいない間は臨床の場に現れておらず、対人関係の状態はわからないことが多い。また、臨床の場から立ち去った後は当然観測できないのであるが、他の医療機関で大きな問題になっていないことがある。人づてに、他の医療機関につながっていることを聞くこともあるが、この場合も事例化の間にインターバルがあるようにも思われる。つまり、季節性、周期性が疑われる。

双極II型といわれるような、軽躁状態の相と大うつ病の相をもつ病型の場合、境界性パーソナリティとの鑑別は、難しいことが多い。また、双極性障害と境界性パーソナリティ障害が、合併している場合も多くある。

強迫性障害は、一般的には不安を基盤として、それを解消するために特定の行為を繰り返す疾患である。ここでの強迫スペクトラムは、強迫症よりは、やや広い意味を想定している。例えば摂食障害では、体重やカロリーへの執着や過食・嘔吐などの排出行動が繰り返される。しばしば衝動性が目立つこともあり、境界性パーソナリティと併存することも多い。中核的な強迫症でも、例えば家族を巻き込んで確認行為を強要し、うまくいかないと衝動的な暴言に発展する人もいるなど、衝動性が特徴となることがある。当初制限型で始まった摂食障害が、過食嘔吐を経て、衝動性が先鋭化したり、過食のための万引きなどから、窃盗症につながることもある。過食・嘔吐の既往を持つ薬物依存症患者もよく見かける。この過程で、自傷行為を繰り返すようになることがある。

つまり、摂食障害、薬物依存、窃盗症の共通項に自傷行為の繰り返しがあり、これらを強迫としてとらえるという考え方がある。制限型の摂食障害の初期では、過剰適応してまさに優等生型を呈する方が多い。制限型から過食・嘔吐に移行すると、衝動性が目立つようになる。

ADHDでは女性では不注意が多いとされるが、衝動性が問題となることがある。このような発達障害圏の疾患では、疾病そのものの中核症状よりは、不適応による自尊心の低下・素行不良など二次障害が問題となることがある。境界知能であったり軽度の知的障害を伴う場合、心情をうまく言語化できずに衝動行為を繰り返すことがあり、あまり対人関係の巻き込みを伴わない衝動行為がみられる。

PMDDでは、抑うつ気分が月経周期に同期して出現し、しばしば易怒、衝動性などが見られることがある。自殺企図や自傷行為を繰り返すことがある。

境界性パーソナリティーライクな症候を持つ患者さんへの薬物療法

これらの鑑別が重要なのは、薬物療法の効果が期待できるからである。パーソナリティの問題について、薬物で改善する、ということは考えにくい。人格が薬物で変わってしまうとしたら、それを治療とは呼べないかもしれない。あるいは薬物療法で効果がある症状は、パーソナリティと呼ばない方が良いように思う。薬物療法を試みて、ある程度改善があれば、パーソナリティーの傾向よりは、別の病気を念頭に置いた方が良いかもしれない。

境界性パーソナリティ傾向、表現型としての境界性パーソナリティがある方に薬物療法を行う場合、最も注意しなければならないのは、処方薬の大量服薬だ。自傷行為などの衝動性が前面に立っていて、希死念慮の訴えがある場合には慎重に環境を整える必要がある。

双極性障害として治療する場合、気分安定薬がまず想定される。歴史のある気分安定薬としては、炭酸リチウム、バルプロ酸ナトリウム、カルバマゼピンがある。これら3剤は、大量服薬時の身体的な危険性は非常に高く、薬物血中濃度でいえば、治療域と中毒域が近いので注意が必要だ。自殺に関連して考えると炭酸リチウムには双極性障害の自殺予防効果に対して唯一といっていいエビデンスがあり、選択肢に入る。しかし前述のように中毒域が治療域と近いことがとても心配である。

この論文では、大量服薬時の危険性について比較しているが、リチウムの毒(toxicity)はそれほど高くなく、カルバマゼピンの毒性が高いという結果だった。ディスカッションでは、自殺予防効果を考えると、臨床家にとってはよい結果ではないかと論じている。

リチウムの自殺予防効果に関する論文は数は多いが、最近でも、一致しない結果もあり、今後も注目していく必要がある。

境界性パーソナリティライクな人たちの薬物療法では、若い女性が多いこともあり、妊孕性には注意が必要だ。とくに古典的な気分安定薬3剤は、妊娠の胎児への影響が強いことが知られている。切り替えるとすれば、比較の上ではリスクの低いラモトリギンか抗精神病薬になる。ラモトリギンは、双極性障害の特に抑うつに効果あるのが特徴だが、重篤な皮膚障害のリスクがあり、やはり大量服薬ではリスクが高い。

双極性障害を想定する場合、第2世代抗精神病薬も選択肢である。とくに大量服薬のリスクに対しては、アリピプラゾールは持続性注射剤があるため、有用だと考えている。月に1回外来に来ることができれば、処方薬を手元に置く必要がないため、物理的に大量服薬できない(市販薬のリスクは残るが)。

強迫スペクトラムでは抗精神病薬のほか、SSRIが選択肢にある。PMDDでもSSRIの使用に対するエビデンスがある。直接的な自殺予防効果ではないが、原疾患の治療によって衝動性の改善を期待している。

SSRIで問題になるのは特に25歳未満の若年者に対する使用である。FDAによる黒枠警告で話題になったが、若年者で自殺関連行動を増やす可能性が示唆されている。ただしリアルワールドのデータでは、関連行動は増えるが自殺既遂を増やしてはいないようであり、やはり原疾患の治療による抑うつの改善が期待される。

ADHDの治療では、メチルフェニデートを使うかどうかについてはかなり迷う。じっさい、大量服薬があって自殺企図の既往がある場合には処方したことはない。自傷行為は嗜癖ととらえられる場合もあり、乱用のリスクを考えると、厳格な管理が可能な場合に限られると思う。このため、抗うつ薬由来のアトモキセチンが第一候補になると思う。

どの薬物を使用するかにかかわらず、使用環境の整備が最も重要である。例えば、家族などによる服薬管理が可能かどうか、ということは特に厳格に評価する必要がある。例えば、次回外来までの処方を極力、残薬が少なくなるように処方し、家族や施設職員などの管理者から1日分を毎日渡してもらう形にして、内服後の包装の確認をしていただくこともある。これでも限界はある。SSRIなどで治療する場合に、治療初期に入院するというのも選択肢だと考えている。

パーソナリティの問題を想定する場合に、薬物療法が不要で有害なものとして批判されることは正しいし、治療の導入には慎重さが必要だ。

しかし、私の個人的な方針としては、鑑別に生物学的マーカーなど客観的指標ない以上、パーソナリティに帰結するのは鑑別の最後にしたいと思う。精神医学の伝統には、”患者に責めを負わせるラベルには極めて慎重であるべき”という姿勢があって、これを大事にしたいと思うから。


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