雨をかき消す、ひとつの快晴。【交流創作企画#ガーデン・ドール】
B.M.1424、6月19日。
煌煌魔機構獣が討伐された。
日常が戻ってきた。
誰もが思い思いの時間を過ごしている頃。
「……。」
ククツミは深夜に部屋でひとり、自身の左手に包帯を巻いていた。
それは怪我や捻挫の手当てのための固定というにはあまりにも強く巻かれており、もはや何かを持つことすらままならないような固定具合であった。
バンクが心配そうに目を向けるが、ククツミはその頭を右手でゆっくりと撫でる。
「……大丈夫です。こうしていたいだけ、ですので……」
利き手が使えないことで日常生活には多くの支障を来たすことであろう。
けれどククツミはその状態の左手を見て安堵の表情を浮かべていた。
これで、何かを持つことはできない。
これならば、得物を振るうことはできない。
「……大丈夫、大丈夫……。まだ……」
日に日に這い寄る真紅の影は、ククツミの後ろ髪を何度も引いては甘言を囁く。
知りたいだろうと、そのための手段があるだろうと。
押さえ込んでいた感情は、日常を蝕むようにククツミの脳裏を埋め尽くす。
どうにかして抗おうとしたククツミの苦肉の策が、物理的に利き手を使えなくすることであった。
「……魔法、は……ありますけれど……これなら、きっと……」
傷つけるような魔法や魔術をククツミはいくつか習得しているが、突然それを使うような真似は流石にしないだろう。
「私が……決闘を申し出なければ……忘れていけば……」
ククツミは呪縛のように自身へと言い聞かせる。
シャロンからの提案時に、ククツミは咄嗟に『決闘』であることを提示したが、それは不幸中の幸いのように思えた。
決闘という“場”を成立させなければ、血の雨を降らせることはない。
それくらいの理性はまだ残っているとククツミは信じていた。
そうでなければ、今すぐにでも隣の部屋へ不法侵入をしてことを為すことだってできてしまうのだから。
「明日は……コッペさんと、ころもちさんと……」
明日の予定を思い出す。
やるべきことを思い出す。
飼育委員として一年弱は行動を共にしているコーギーのコッペと、先日保護されたハスキーの子犬であるころもち。
最近のククツミは2匹の世話に没頭していた。
それをしている間は別のことを考えずに済むからと、癒しを求めるというよりは突き詰めるように世話をしていく。
それが随分と異様なサマに見えていたのは、バンクやシャロンだけではなかった。
「それから……レオさんとお茶を……それから、それから……」
ふと、端末の通知音が入る。
新しいマギアビーストが、映画館に現れたと言うものだった。
次は、なにが。
次は、誰が。
最悪を考えてしまう頭を横に振る。
ククツミは余った包帯の端に遮音魔法をかけ、それを自身の両耳に当てた。
何も聞こえないように。
何も考えないように。
日常を。
ただ過ごして、忘れたい。
それが叶わぬ夢だということは、ククツミも薄々気が付いていた。
B.M.1424、6月20日。
「ククツミ先輩、その……大丈夫、ですか?」
「……え?」
次の日の早朝、予定通りコッペところもちの散歩としてグラウンドを歩いていた時のこと。
ころもちのリードを持つロベルトに顔を覗き込まれるように問われ、ククツミは言葉を詰まらせた。
「大丈夫、ですよ……?」
しかしその目元は明らかに疲弊しており、肩の上のバンクはいつにも増して白い頬をぺちぺちと叩く。
「そうですか……いえ、なんだか疲れておられるように思えて……」
ロベルトはあまり追求する素ぶりは見せないようだったが、仮面に隠れた視線はククツミの包帯が巻かれた左手に向いていた。
「連日、色々ありましたから……」
「……その左手の包帯も?」
コクリ、とククツミが頷くと、ロベルトは仮面の奥で小さく息をつく。
この先輩は、こういう時だけ隠し事が下手である。
おそらくロベルトが蘇生奇跡を使おうとすればすぐさま逃げてしまうだろう。
そもそもバグちゃんマーケットで買った包帯であれば、どんな怪我であっても3時間あれば完治するのであった。
また通常の包帯であったとしても今朝の飼育小屋の掃除で痛がる様子は無かったため、物理的な怪我を負っているわけではないという説がロベルトの中で濃厚である。
それではどうしたものかとロベルトがころもちのリードと青いフリスビーを軽く握れば、ころもちは何かを見つけたように顔を遠くに向けた。
「ころもちさん……?」
視線の先に仮面を向ければ、そこにはシャロンが立っていた。
いつもの茶色いパーカーに青紫の髪、ふたつの黄色い角がついた顔がこちらに振り向く。
「あ。ククツミちゃん。よかった、ここに居た」
「おはようございます、シャロン先輩。ククツミ先輩を探していたんですか?」
「うん、おはようロベルトくん。ちょっと、やりたいことがあってね」
ふたりに駆け寄ってきたシャロンはコッペやころもちにも軽く挨拶として撫でまわし、やりたいことというものに首を傾げるククツミに目を向ける。
「いったい、なにを……?」
「うん、単刀直入にいこう。決闘しようか、ククツミちゃん!」
「けっ……?!」
素っ頓狂な声はククツミとロベルトのどちらの口から上がったのだろうか。
ククツミの頭は混乱を極め、自身の左手を右手でぎゅっと握る。
白昼堂々シャロンの方から決闘を申し込まれるとは、ククツミも到底思っていなかったことであるからだ。
それは血の雨を降らせるためのものであるのか、それとも。
ククツミの口からは声にならない音が漏れるばかり。
「……シャロン先輩。決闘とは、具体的に……蘇生奇跡が必要なものになりますか?それであれば、私が相手でも変わりはないと思いますが」
その様子を見たロベルトはククツミを庇うように前に出て、シャロンの指名に異議を示した。
「ああいや、えっと……サングリアルってさ、『殴り合いの決闘』じゃなくても願いを叶えてくれるから、そういうことはボクから言ったりしないよ。……傷つけたり傷つけられたりすることはないから、安心してほしい」
「それなら、まぁ……」
チラリと後ろのククツミを伺ってから、ロベルトは引き下がるか迷う姿勢を見せる。
シャロンはふたりの先に懸念材料を取り除こうと、決闘のルールと勝敗の決め方を提示した。
「ルールは簡単。ククツミちゃんは犬、ボクは子犬を連れて、このグラウンドを先に一周できた方が勝ち!双方による妨害は無し、ただのかけっこだよ。どうかな?」
シャロンの言う犬とはコッペのこと、子犬とはころもちのことである。
その条件であれば転ぶこと以外に怪我を伴う危険性はないだろう。
ましてや血の雨など降りそうもない。
「……シャロンさん、また叶えたい願いがあるのですか?」
ククツミがロベルトの背の向こうから不安そうにシャロンを見る。
シャロンは嘘は無いというように両手をあげて、自身の願いを口にした。
「うん、あれだよ、次はいちごのショートケーキを願ってみたらどうなるかなって思ってね!」
「……ほんとですよね?」
「ほんとだよ!?ほんとほんと!!」
嘘の願いを言うことで起きた騒動については流石にシャロンも懲りたようで、その両手はもっと上に伸びる。
その様子を見て、ようやくククツミは緊張がほぐれたかのように笑い出した。
「……ふふ、神殿がホイップクリームまみれにならなければ良いですね?」
「それは……私も困りますね……」
「いちごの時は……うん、えっと……ごめんね?」
数日いちごの香りが取れなかった藁小屋もとい神殿はロベルトにとっても大切な場所である。
その願いを叶える際はお皿を持って同行しようと心に決めたロベルトであった。
「じゃあ、ロベルトくんは少し待っててくれるかい?」
「わかりました、最初の合図だけさせていただきますね。バンクさんもこちらに」
『……それと、ひとつお願いしたいことがあるんだけど———』
バンクがロベルトの肩に移動した後、グラウンドのスタートラインに立つククツミコッペペアと、シャロンころもちペア。
2レーン目にシャロンころもちペアであるため、スタート位置は少し前からである。
「ではここから一周し、先にゴールした方が勝ちです。お二方、準備はよろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
「いつでもいいよ!」
「それでは……」
ロベルトの合図を待つ。
勝敗を多少示談していたとしても、決闘として互いに本気でなければ願いは叶わないだろう。
最後の直線で少し遅らせれば構わない。
ククツミはそう思いながら、コッペのリードをしっかりと握った。
「よーい、ドン!」
スタートダッシュを決めたのはシャロンころもちペアであった。
コッペよりも小柄なころもちはハスキーという種であり、成長すればドールと同じくらいのサイズになるらしい。
その身体に溜め込まれた爆発力のように、素晴らしいスタートダッシュを披露する。
「ころもちさん、すごいですね……」
ロベルトが感嘆の声を上げるが、ククツミコッペペアも速度において負けてはいない。
コッペはコーギーであり、無尽蔵の体力を誇る種であった。
夜な夜なグラウンドで縦横無尽に駆け回り、七不思議として扱われたことも不思議ではない。
コッペはスタート時点から一定の速度を保ち続け、ククツミも息を切らせずに良いペースで走り続けた。
先に息が上がったのはシャロンのほうである。
「おもっ、てたより……長い……!」
100メートル走であればシャロンころもちペアがぶっちぎりだったであろう。
しかしグラウンド一周というものは意外にも長く、スタート時点では余裕そうであったものの終盤に差し掛かる時にはころもちの速度も下がり、シャロンは満身創痍であった。
徐々にククツミコッペペアが追いつき、2組はほぼ横に並んだ状態で最後の直線に入る。
「ここ、で……」
少しだけ手を緩めようと、ククツミがコッペのリードを軽く引く。
その瞬間、2人の前方で青いフリスビーが上空を横切った。
キャンッ!!
黄色いフリスビーはコッペ用、青いフリスビーはころもち用だと覚え込ませている。
つまり、そのフリスビーに反応したのは。
『———最後に、子犬の気を逸らしてくれないかい?』
「どぇあぁあ!!?!」
ころもちは青いフリスビーが飛んだ方向、つまりグラウンドのコース外へと突っ込んでいく。
それに引きずられるように、シャロンの悲鳴が遠ざかる。
「……え??」
そしてリードを引かれたコッペはラストスパートだと勘違いしてスピードを上げた。
つまり、ゴールへと先に突っ込んだのは。
「ひゃあぁ?!」
「……ゴ、ゴール!ククツミ先輩の勝利です!」
アンッ!
コッペはやりきったと言わんばかりの顔でククツミに褒められ待ちの目線を向ける。
バンクがコッペの頭に飛び乗って頭を撫でれば、コッペは喜び勇んで跳ね回るように周囲をぐるぐると回った。
しかし当のククツミは突然の展開についていけず、頭を疑問で埋め尽くされるだけである。
「ご、ごめんなさいククツミ先輩シャロン先輩!手持ち無沙汰にフリスビーを投げてしまって、その……決して、決してお二方の決闘を邪魔しようとしたわけでは……!!」
平謝りをするロベルトとは裏腹に、コース外から戻ってきたシャロンはとても満足げな顔を浮かべてコッペをわしゃわしゃと撫でた。
「これで、ボクの負けだね!」
「シャ、シャロンさん?!ロベルトさんも、顔をあげてくださいまし……?!」
仮面の奥でロベルトの口元がニヤリとしていたことに、ククツミは気づかない。
『驚きましたよ、ころもちさんだけの気を逸らしてほしいだなんて仰るのですから』
『いやあ、ごめんね?でもロベルトくんに頼んでよかったよ』
『それはなによりです』
ロベルトとシャロンが念話魔法で会話をしていても、混乱を極めているククツミは気づけない。
「えぇ、と、その……決闘、やり直しますか?!それとも、えっと、シャロンさんの願い事を、私が代わりに……?」
「いいや、大丈夫。もちろん、ボクの願い事は嘘じゃないよ。でも……今回はククツミちゃんに勝ってもらいたかったから」
イタズラが成功したヒマノのような笑みを浮かべて、シャロンは種明かしをする。
「……私、に?」
「うん。……これで、『ククツミちゃんの願いが叶えられる』だろう?」
「……え……?」
ククツミの願い。
それは。
もし、叶えられるのであれば。
「シャロン先輩、それって……」
「……うん。ククツミちゃん、ずっと……ずっと、気になっていることがあるだろう?それを……あれとは別の方法で、叶えてみるのはどうかなって」
シャロンは言葉を濁すが、ロベルトもククツミも内容を察することができた。
《あの日》の記憶。
失われた記憶。
知ることも知らずにいることも、迷い続けた《あの日》のこと。
「……前は本当に、あの方法が1番だと思っていたんだ。ボクが傷ついて、それで済むものであれば。……それくらいのことを、ボクはきみにしてきたから」
隠しミッションとして課せられたものがシャロンひとつの犠牲で済むのであれば、シャロンはそれで構わなかった。
けれどククツミはそれを是としなかった。
抗いきれない欲求に耐え続け、シャロンを傷つけまいと選び続けた。
であるならば、シャロンもそれを強制することはできない。
しかし、何か別の方法で叶えられないかとシャロンが模索した結果、その思考はサングリアルの使用へとたどり着いたのだった。
「……ククツミちゃんは、たくさん考えて……ボクの罪を、受け入れた上で……そうしたくないと、思ってくれたんだよね。……だから、この方法で」
シャロンはククツミの左手の包帯をゆっくり解いていく。それが得物を振るえないようにするためだと、シャロンは気づいていた。
だからこそ、今。
その呪いを、少しずつ解いていく。
「……ごめんね、ずっとひとりで考えさせて」
呪いが、少しずつほどけていく。
「シャロン、さん……」
「……なんだい?」
呪いは、涙に流されていく。
「……シャロンさんは、ずるいです……こんな……騙すような、方法で……」
「ははっ、ククツミちゃんも今度使うなら覚えておくといいよ?グリーンは騙す魔法だって」
涙で頬を濡らしながら、ククツミは包帯の取れた左手でシャロンの手を握る。
シャロンが笑えば、ころもちは嬉しいことがあったのだと認識してその足元でくるくると回り始めた。
「こ、ころもちさん?!今お二方が良いところなんですから……」
「あはは、ロベルトくんも手伝ってくれてありがとね」
「……も、もしかして、おふたりとも……!?」
「なにを仰いますかククツミ先輩。私もグリーンの端くれですよ?」
「そ、それはそうですけれど……!!」
一杯食わされたククツミは泣きながらも頬を膨らませ、それを見たコッペがククツミに駆け寄る。
ククツミがしゃがみ込めば、コッペはククツミの涙を拭うように舌で触れた。
合わせてバンクもククツミの頭の上に飛び移り、ククツミの頭を撫でる。
「コッペさん……バンクさんも……」
シャロンはその様子を微笑ましく見守り、そして鞄から紙を取り出してサラサラと報告書をまとめ上げる。
「見届けたのはロベルトくんで、勝敗はククツミちゃんの勝ち、と。……これをサングリアルに飲み込ませれば、願いが叶うはずだよ」
「手慣れていますね、シャロン先輩」
「ここ数ヶ月、サングリアルの検証のためにヒマノくんと決闘尽くしだったからね」
「なるほど……」
立ち上がったククツミに報告書を渡して、シャロンは空を見上げる。
久しぶりに見た空は、快晴。
「……ボクが叶えられなくても……ああやって別の道を探したことは、無駄じゃなかったと思うんだ」
シャロンはずっと探し続けてきた。
箱庭という巨大で理不尽な世界の中で、知る方法を求め続けてきた。
隠しミッションを達成した。
求めていた回答は得られなかった。
知恵の種を願った。
全て飲み込んでも何も変わらなかった。
最終ミッション以外の方法で、知ることを探し続けてきた。
「結局、ガーデンが敷いたレールの通りになってしまったけど……今は、違うから」
結論として、シャロンは最終ミッションを達成した。
ガーデンの思惑通りに、箱庭の想定通りに。
けれど、今のシャロンは。
自分で道を選ぶことができる。
例えば、ひとつの道に固執して動けなくなってしまった親友に、別の道を指し示すことだって。
「……なにを願うかは、ククツミちゃん次第だ。もう忘れたければ、別の願いを言ったっていい」
空からククツミに視線を戻し、シャロンは笑う。
その赤と金の目がすでに決意していることを知って、少しだけ胸が痛みながら。
それでも。
「だから、ボクからはこれだけを言わせてほしい」
笑え、なんてことはもう思わない。
だってボクは今、心から笑っているんだから。
「……ボクを傷つけたくないと思ってくれて、ありがとう」
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