【小話】邪神さんに出会った話

とりあえずトロメニカさんの『紡ぐ名前』を見るんだ、まずはそれからだ







スクロールしたということは見たということです。紡ぐ名前の感想はトロメニカさんまでどうぞ。
それでは、小話のはじまりはじまり。

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……小さな生き物の細かい髭が、頬を撫でる。くすぐったくて、温かい。
「おはよ……?」

まだしっかりと開かない瞼のまま、顔の横に陣取っている子うさぎの頭を撫でた。ふわふわと柔らかい毛並みを、指先で丁寧になぞる。いつも通りの、朝のルーティン。

……いつも通り。畳に敷いた布団ではなく、ただの冷たい床であるという点を除けば、いつも通りの朝であった。

「さっむ……」
うつ伏せで倒れていたようで、身体が完全に固まっている。横向きに体を丸めるとようやく意識がハッキリするが、すぐに起き上がることはできない。低血圧はこれだから困る。

仕方がないので見渡せる範囲で周りを観察する。普通の家、に見えた。窓の向こうの景色は、静かで閑散としている。高い建物が無いのだろうか、空が遠く感じた。おそらく朝、なのだろう。

猫のように伸びをして、なんとか上半身を起こす。いつもの白いぶかぶかトレーナーに、黒いスキニー。帰宅後に着替えもせずに倒れたのならば、起きたとしても目の前にあるのは玄関の床である。

「台所……?」
べた座りをしたまま、暗い部屋を見渡す。奥には少々古びた……いわゆる、レトロな台所があった。流し台、頭上の収納庫、換気扇にガスコンロ。小さな小さな、『人が居た跡』が残っている台所。

「……ぷ」
上着が無いため、子うさぎはいつものようにフードの中に入れず不服の声を出す。そんな子うさぎをなだめるように撫でていると、奥にあった扉が開き、入ってきた人影は電気を付けた。

「ふむ。まずはおはようと言うべきか。もう少し遅い起床になると思っていたのだがね」

低い声が届く。背の高い、ひょろりとした男性。ギラリとした四白眼に、頬の横まで裂けた口。人の骨格よりは随分と長い腕と脚は、それはもう分かりやすく『人ならぬ』姿であった。

……とはいえ、人らしからぬ姿をしているのはこちらも同じだろう。特段驚くことでもない。

「最近は早起きがブームでして。おはようございます、呂色を纏った見知らぬお方」

普通に返事をされるとは思っていなかったようで、その人物は驚いたように片眉を上げる。
「……きみは今、どういう状況か分かって言っているのかね?」
「拉致をするなら、上着とポシェットもある状態で連れてきてほしかったなぁと思っているところですよ」

ゆるりと、膝をつけて立ち上がる。床には、警戒するように蔦が降りていた。どうどう、と心の中で鎮めると、渋々といったように戻っていく。こういう相手は、殺すと元の場所に戻る手立てが無くなりかねない、ということと。こういうのは殺したほうが面倒だと、普段は当たりもしない勘がそう告げていた。

「それで、目的を教えていただいても?」
身長差のため、彼との頭の距離は随分あった。手足を縛られて転がされていない上、敵意が無いため危ない目にはおそらく遭わないだろう。機嫌を損ねなければ、の話ではあるが。

「理解が早くて助かるよ。私は自称だが異世界生物調査員をしていてね」 
彼は異世界生物調査員、という初めて聞く単語を使った。自分の世界の生き物でも全て知っている訳では無いため、異世界、と言われてもピンとこない。とはいえ、おそらくそれは。いま眼前の。

「……こっちは被験体の何番目です?」
「さてね。千から先は数えるのを諦めてしまったよ」
どうやら、この生き物を異世界生物として調査する気のようである。

「ちゃんと帰らせていただけるのですよね?」
「それはまぁ、今後のきみの行動次第だな」
「わぁ物騒」

つい口から出た言葉を聞いて、彼は嬉しそうに嗤う。本当に楽しそうな、狂気的な笑みで。

「何はともあれ。ようこそ、私の空間へ。歓迎しようじゃないか」
「……まぁ、お言葉に甘えて、もてなされてしまいましょうかね」

普段は草庵で歓迎する側が、歓迎される側になるとは思ってもみなかったけれど。それはそれで、楽しいのかもしれない。

……なんて。彼を識るまではそう思っていた。




自分はテーブル席に座らせてもらい、彼はレトロな台所で小さくカチャリと食器の音を立てる。

「コーヒーは嫌いかね?」
良い香りが漂ってきた。香りは好きだが、ブラックで飲むには少し抵抗がある。

「砂糖をたくさん入れてよいのであれば飲めますね」
「ブラックで飲めなければコーヒーではない、というわけでもないだろう?」
「そうですね。では、好きに入れさせていただきます」

目の前に置かれたカップ。澄んだコーヒー。ぽとん、と。白い角砂糖が幾つか黒に飲み込まれる。

「いい香りですね」
「そうだろう?客人用に出しても悪く無いものでね、私も愛飲しているよ」
「……この香りの機微が分かるかどうかも、調査項目のひとつなのです?」
「いや?これはただの趣味だね」
コーヒーを一口飲みながら、彼は答えた。

こちらも飲みたいが、その前に子うさぎが不服の足ダンを始めてしまった。お腹が空いているらしい。

「……すみませんが、そこの冷蔵庫の中に野菜はありませんか?葉物があれば、この子の朝食にしたいのですけれど」
「ふむ、好きにするといいさ」
許可をもらってから、冷蔵庫を開ける。

……白い。

なぜか、冷蔵庫の扉を開けると豆腐が揺れた。レトロで日本寄りの台所ではあるとはいえ、異質な彼が住んでいる場所で見慣れた食材があることに、少々思考が止まる。

……なんなら、それ以外は何も無い。

「……豆腐の付け合わせに、水菜とかありません?」
「水菜……こういうものかね?」

冷蔵庫を閉めて振り返れば、彼のテーブルの前には水菜が置いてあった。子うさぎが目を輝かせて飛び付こうとしていたので、しっかりキャッチした。じたばた。

閑話休題。


「……異世界生物調査は具体的に、どうやって調査をするのです?」

膝の上で、子うさぎが水菜をもしゃもしゃと食べ始める。新鮮で美味しいらしい。自分は甘くなったはずのコーヒーをひとくち飲み、会話を再開した。熱い。

「私は会話が好きでね。異世界生物をランダムで私の空間に連れて行き、会話をする。調査と言っても、趣味の範疇の暇つぶしに近いが。有意義な時間になればそれで結構。……もし話が通じなければ、潰して終わらせてしまうがね」

調査が会話で済むのであれば、こちらとしては物理的に痛い思いをしなくて良さそうである。後半の言葉は不穏以外の何者でもなかったが。

「潰されて終わりにならなかったのは、不幸中の幸いですね」
「言語機能はこちらで合わせられるが、完全に会話が拒否されるとこちらも対処しようが無いからね。正当防衛さ」
「まぁそれはご尤も。これまでに引き当てた生物の話も聞いてみたいですけどね」

自分が猫舌なことを先に伝えておけばよかったな、と。コーヒーの味はもう少しお預けして、コーヒーカップで暖を取ることにした。

「……きみは、会話可能であるとはいえ、随分と動じないようだね。きみに括り付けられている、それらが関係しているのかい?」

……それら、と呼ばれた二つの存在が不服そうに揺れる。具体的に言えば、無重力のように宙に浮かぶ水泡がゆらゆらと。タトゥーのように肌に浮かぶ蔦がじわじわと、指先からテーブルにまで伸びていた。

この生き物には、怪異と呼ばれる存在が憑いている。どこかしこに在る怪異たちは、普通であれば人間世界に大々的に干渉することはない。悪戯好きな怪異もいるが、あくまでそこに在るだけである。

手違いで憑いてしまった水と植物の怪異は、この生き物を守るように、彼に殺意を向けた。

「見えるのですね?先程からずっと貴方をどうにかしたくて伺っていたようですが、お座りしていてもらいました」
「懸命な判断だな。まぁ、流石にその程度のモノに噛まれても痛くも痒くも無いのだが」
「それは良かった」

ぬぁん、と鳴き声が聞こえる。猫のような水の怪異は呆れたように敵意を無くす。植物の怪異は諦めたように首元に戻る。心の中で感謝を述べながら、タトゥーを撫でた。

「こちらは怪異、と呼んでおりますが。以前に見たことがあるのですか?」
「そうだな……別次元で存在を確認したことはあるが、そのように人間に括り付けられている個体は見たことがない。随分と、面白い」

目の前の相手には、視えるのだろう。繋ぎ止められ、縛り付けられ、括り付けられた歪な心臓が。……ツギハギだらけの、壊れた心が。

「ただの後遺症、のようなものですけどね。ちょっと不思議なくっつけかたをされたので、貴方からは歪に見えるかと思いますが」

「いや、その憑け方がとても面白いんじゃないか。人間が、境地に踏み入れようと試行錯誤する姿は嫌いではないからね。それが無謀であれど、無様であろうと」

彼は笑う。人間の叡智を称えるように。高みを目指し、転げ落ちる人間を称賛するように。

……貴方は。

「貴方は、何者なのですか?」

「私は異世界生物調査員であり……邪神、と呼ばれる存在でもある。驚いたかね?」
「その体躯でその表情でそのスペックで、邪神ではないと言われたほうが逆に困惑しますよ?」

彼は、邪神であると言った。災いをなす神と。
「災いをもたらす神、と存じておりますが。そう言った認識で合っています?」
「元は違ったがね。気づいたらそういう扱いだ」
彼はコーヒーを躊躇なくゴクリと飲む。猫舌ではないらしい。

「もうひとつ、質問させていただいてもよろしいですか?」
「ほぅ。なんだい?」
こちらはまだ湯気の立つコーヒーに息を吹きかけながら、追加の疑問を口にする。

「いま目の前に居る邪神さんは、災いとして何をもたらすのです?」
その問を聞いた彼は、ゆっくりカップを置いた。

「ふむ……単純な物だが、星を滅ぼす、というものがある。私の本能と言うべきものだね」
「……うわぁ」

つい本心からの言葉が出てしまったことは、許してもらいたい。コーヒーの湯気を揺らしながらの答えは、予想はしていたが分かりやすい厄災であった。星を滅ぼす。それは本当に、災いでしかない。

「……ほぅ。友好的な敵対心を向けられたのは、初めてだな」
「そりゃまぁ。こっち側からしたら害悪以外の何者でもありませんし?」
「ズケズケと言うようになったじゃないか」
おっとつい本音が、と笑えば、彼は呆れたような顔をする。

「まぁ、気にしてはおりませんよ。こっちの星が滅ぼす対象になるまでは特に関係ありませんし」
「……他の星が滅ぼされることに対しては、偽善的な憤りは持ち合わせないのかい?」

呆れた顔は、少し猜疑の色を含んだ声音に変わる。その偽善的な憤りを持たないことが、まるで普通ではないように。

「本能を抑えるのは理性。理性を持った上で貴方が本能を優先するのなら、赤の他人がそれを阻止することはできませんのでね。

そこの人間は、運が悪かった、だけでしょうよ」

ふと。目線をコーヒーから上に移せば。その形相は、いわゆるSAN値チェックが必要なものに該当するのではないかと思うほどのもので。

「……気に食わないな」

どうやら地雷を踏んだらしい。

邪神の地雷を踏んだのは初めてである。まず邪神にあったことなど過去に一度もなかったが。

「ただの人間が悟りを開いたつもりになって、人間を俯瞰して見ているのはどうも苦手でね」

怒気をはらんだ言葉と表情は、じわじわとこちらに近づいてくる。彼の異様に長い腕が、こちらの首に狙いを定めていく。

「……神にでも、なったつもりか?」

死が、眼前へと迫りくる。

「……なんだ。貴方、人間が好きなんですね」


「はぁ?」
邪神の素っ頓狂な声、というものを聞く人間は、なかなかいないのではなかろうか。

「滑稽で、可笑しくて、哀れで、愛おしい。愛玩動物としての見方でしょうけど。それが無差別な暴力にならないように、貴方は耐え続けている」

少し温度が下がったコーヒーを飲む。苦味と甘味が共存している液体は、とても独特な味わいで。

「神になったつもりも、俯瞰して見ているつもりもないですよ。この世の真理なんて知らず分からず、泣いて笑って怒って悲しむ。今を生きている、ただの人間です」

人間、という括りは難しいと思っている。どこまでが人間で、どこまでが人間じゃなくて、そもそも何故『人間』を基準にしたがるのか、さえも。どうやったら人間でいられるのかなんて、こっちが聞きたいくらいで。

それでも、まぁ。生きているので。


「あと、なんとなくですけど。貴方は友達を大事にしそうだなと思いまして」
「……その予想は大変不服なのだが。きみも友達になりたいとでも?」
「え、嫌ですよ?」
「はぁ?」

椅子に座り直した彼は、またもや予想外のゲテモノを食卓に出されたような顔と声を出す。心外な。

「どう考えても相容れないでしょうよ。貴方の事は理解はできるけれど肯定するわけではないので。それなら、いっそ喧嘩する仲の方が嬉しいですね」

お互いに、そうなのであろう。知識と常識はあるため、理解はできる。肯定する気は更々ない。きみも、と言っていたからには既に友達が居るはずであって、この関係を友達という括りにしてしまうのは、彼の友達にも迷惑だろう。

この性悪な邪神と友達になろうとした子の顔を見てみたい、なんて思ったりもした。

「きみは……良い子、ではないな」
「もちろん。邪神様に歯向かうような人ですから」
「……やはり気に食わない」

ため息は宙を舞い、彼のコーヒーは最後の一滴まで飲み干される。ずっと蚊帳の外だった子うさぎは、膝の上でぐっすりと眠っている。

あとは、他愛もない会話をして。こちらのコーヒーを飲み切るまで、のんびりと過ごして。

「次に出会ったときは敵同士かもしれないがね?」
「その時は豆腐料理で懐柔させていただきましょうか」

それは、コーヒーの香る朝焼けに。大禍時のような邪神と出会った日の昔話。

……その後、気軽にワイワイとゲームをする仲になるのだが。それはまた、別のお話。






草庵のキッチンで、ぐつぐつと鍋の踊る音がする。

「水菜で思い出したけど、こんな感じの出会いだったかな。今となっては懐かしい」

この生き物、しらさやツミハは。一人分をよそい分けながら、懐かしい記憶に思いを馳せていた。

「あの時は変なものを引いたと頭を抱えましたね」
「ガチャの提供割合は見ておいたらどうです?」
「割合も何も、きみがガチャに入っていると知っていたら先にそのクジを抜いて捨てておきましたよ」
「それ訴えられますね?」

お互いに最悪の出会い方をしたであろう邪神は、なんだかんだで不定期に食卓を囲う仲になり。なんならズケズケと言葉の応酬をし合う程の仲となり。

「それがロノウェさんと……ツミハさんの出会いだったんですね……!」
その邪神の友達になりたい、となんともおかしなことを言ったという少女の問いから、この話題に花を咲かせていたのである。

「そうそう、トロメニカさんと同じく連れてこられて、だね。さて、水菜と厚揚げ豆腐のだし煮込みできたよ、温かいうちに召し上がれ」
「わぁ……!ありがとうございます!いただきます!」

今日の夕飯は、外はしっとり中はふわふわの厚揚げ豆腐と、シャキッとした食感の水菜が合わさった和風煮込みである。

だしが全体に馴染むまで少し手間がかかるが、昔話をするには丁度よい時間だった。

トロメニカさんは厚揚げに勢いよくかぶりついてアチチと口元を押さえ、ロノウェさんと呼ばれた邪神さんは、未知の豆腐料理に目を輝かせて。

料理を振る舞う人間として、その姿を見られることが一番の幸せだと感じている。遅れて椅子に着き、両手を合わせて目を瞑った。

明日も、ふたりに良いことがありますように。

「いただきます」

今のところ、この星を滅ぼす予定はまだ無いらしい。良かったというか、なんというか。それでもまぁ、まだ少し。このふたりと食を囲んでいたいと思う、しらさやツミハであった。


『邪神さんに出会った話』了






(おまけ)

トロメニカ「ついでに、なんでそんなに険悪ムードからゲームをするような仲になったのです?」

ロノウェ「向こうが腹立つことを言ったので見返してやろうと思いまして」

ツミハ「煽ったら2秒で乗ってきました」


トロメニカ「……仲良しですね??」

ロノウェ「はぁ?」

ツミハ「あっはは」




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【あとがき?】
とりあえずトロメニカさんの漫画を全て読むんだ、あとがきはそれからだ。

豆腐星人さんのnoteも読むんだ、あとはそれからだ。

【あとがき】
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。とても時間がかかりましたし、長くなりました。6700字を超えまして、新書15ページ分です。

書きたいものはまだまだ沢山あったのですが、泣く泣く削りました。削った題材も、今後どこかでお見せしたいですね。

トロメニカさんの作品にも登場してらっしゃる、豆腐星人さんところの邪神(ロノウェ)さんとしらさやツミハが出会ったときのお話です。

トロメニカさんや豆腐星人さんとは懇意にしていただいておりまして。よく一緒に話をしていたら、いつの間にかこうなっておりました。なぜ。

トロメニカさんとツミハが出会う話も、もう少しで書き上がりますのでお楽しみに。

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