それでも。確かに届く音が、ここにあって。【交流創作企画#ガーデン・ドール】
B.M.1424、6月20日。
自分でもどうやって帰ってきたのか覚えていないのですが、私は自室の椅子に座っておりました。
窓から差し込む光は、おそらく夕方の日差し。
私は、何時間放心していたのでしょう。
私の首が窓に向いたことで、ベッドに腰掛けていたシャロンさんとバンクさんは目を見開いてこちらに駆け寄ります。
「……ククツミちゃん」
「しゃ、ろ……さ……」
「……ボクの名前は、分かるね。……よかった……」
私はあれから身じろぎもせず、言葉に反応もせず、ただ虚空を見続けていたのでしょう。
ようやく応対ができた私に、シャロンさんはホッと息をつきます。
「み、なさ……は……」
「……あの場で、とりあえず解散ってことになったよ。レオくんも、さっきまでは居たんだけど……」
シャロンさんは私の頭をゆっくりと撫でて、バンクさんは私の膝の上で丸くなります。
私は未だ心ここに在らず、と言える状況なのでしょう。
音も、声も、言葉も。
うまく聞き取れなくて。
シャロンさんは、なんと言っているのでしょう。
「ぁ……」
ようやく、私の声が聞こえたような気がして。
途端、《あの日》の私の声がこだまして。
「……っ、」
口元を、喉元を押さえる。
えずいてもえずいても、空の音が出るばかり。
ここ数日あまり食べていなかったことは、幸いだったのでしょうか。
シャロンさんが私を抱きしめます。
けれどシャロンさんの心音も、私にはよく分からなくて。
《あの日》の音が、延々と。
延々と、流れ続けるものですから。
「……ククツミちゃん、お腹は空いてないかい?多分ずっと、あまり食べてないだろう……?」
私は、よく聞き取れなくて。
首を傾げてしまったから。
「もし、かして……、ククツミちゃん……」
読唇術なんて、覚えていませんでしたから。
私を、呼んでいるのかさえ、分かりませんでした。
私はまた、意識を飛ばしていたのでしょう。
もう、日が暮れてしまっていました。
膝の上で涙を流しながら眠るバンクさんの、ぷきゅ、という寝息のような音は認識できました。
先ほどよりは、《あの日》の音が遠く聞こえます。
「……ククツミ、ちゃん……」
「しゃろ、さん……さきほど、は……」
「聞こえて、きたかい……?」
「きこ、え……」
私の声も反響するように聞こえてしまうものですから、私は諦めて首を縦に振ることにしました。
その様子に少しだけ安堵したようにシャロンさんは眉を下げますが、すぐ口を食いしばってしまいます。
そんなに力を入れてしまったら、唇が切れてしまいますよ。
「これ。ヒマノくんからもらってきたんだ」
机にはお水の入ったコップと、柔らかそうなたまご蒸しパンが置かれていました。
きっとヒマノさんが作ってくださったのでしょう。
あとでお礼を言わなければなりませんね。
私は食べられるのでしょうか。
口を開こうとすれば、乾いた喉が。
引き裂かれた喉が。
鉄錆とむせかえるような甘い匂いを思い出して、私はまた口を覆う。
シャロンさんに背中を何度もさすってもらいながら、水をほんの少しずつ口に含んで、飲み込もうとして、また時間がかかって。
起きたバンクさんに心配そうに見守られながら、私はようやくひとくち飲み込むことができました。
ひとくち、ふたくち。
少しずつ飲んでいくと、私の思考もゆっくりと回るようになります。
まず、私の恋は叶わなかったこと。
次に、私は殺されたこと。
そして、私は望まない方法で最終ミッションを達成させられたこと。
最後に。私は、ククツミでは、
「……ククツミちゃん」
…………。
ふと、私はシャロンさんの瞳を覗き込みます。
赤色。
そういえば私は以前、赤色が見えなくなっていたことがありました。
赤色が赤色だと認識できなくなるような、言われれば赤だと気づけるのですが、赤そのものや赤い模様には気づけないような。
きっと今の私の、音がよく聞こえない状態も、そのようなものの一種なのでしょう。
「……しゃろ、さん」
「なんだい?ククツミちゃん」
「わた、くし……は……くくつみ、です、か」
「ククツミだよ。ククツミだよ……、きみは、ククツミ、だよ……」
シャロンさんが私を抱きしめて、何度も何度も声をかけてくださいました。
シャロンさんの心音も、少しだけ、聞こえるような気がして、いたら。
ガラガラ、と。
甲高く、特徴的な音が、部屋に響きました。
円筒型の、持ち手を持って振ると音が鳴る、軽い素材でできた鈴のようなもの。
いつの間にか、バンクさんが机の上でそれを転がして、音を立てておりました。
それは、ヒマノさんがクリスマスのプレゼントにと渡してくださったもの。
『声を出せない状況で、なにかあったらこれを使ってほしい』と。
バンクさんも、そのことを覚えていたのでしょう。
私は、鈴に手を伸ばしました。
半日ぶりでしょうか、私の身体が、ようやく私の意思で動けたようで。
それを、落としそうになりながらも手に取って。
ガラガラ、ガラガラ、と。
ガラガラ、ガラガラ。
トントン。
別の音が、耳に入ってきた気がして。
ガラガラ、ガラガラ。
ガチャ、と。
「はーい、よびました〜?」
別の音が、心を揺らすように。
ゆっくりと部屋のドアを開けて、ヒマノさんがいらっしゃいました。
「……ひま、の、さん……?」
「はい〜、ヒマノですよ〜。パンの追加、持ってこようか迷ってたんですけれど〜……ふふ、鈴の音が聞こえたので、飛んできちゃいました」
言葉通りにヒマノさんは小鳥の姿に変わって、私の頭に飛び乗ります。
「ほん、と……に……きて……」
ヒマノさんはベッドに降りてから小鳥から元の姿に戻って、ほがらかに笑いました。
「そりゃあ、もちろん〜。……ぼくは……今まで、誰かになにかをしようとすることが、できなかったんです」
ヒマノさんは自分の手を猫の手に変化させ、私の頬に柔らかい肉球を触れさせながら。
「ぼくがなにかしたって、どうにもならない。だから……これまで、ククツミさんのことを……心配しても、なにもしなかった。なにも……できっこないと、思っていたから」
それは、ヒマノさんが。
ずっと悩み続けてきたもの。
「……蘇生奇跡も、食べ物も……今でも、ぼくがククツミさんにできることは、無いのかもしれません」
「でも……もし、ククツミさんが。何かを知って、苦しくて、吐き出そうとして、吐き出せなくても」
「……声が出なくても、それを鳴らしてくれたらいいな、って、思ってたので」
「だから、来ちゃいました」
本音を、言うと。
あまり聞き取れないまま、でしたので。
もっとちゃんと聞けていれば良かったのですけれど。
ただ、ヒマノさんが、来てくれたことに。
私は、たったそれだけのことで。
私は、私がククツミだと、思えたのでした。
「ひまの、さん……」
「どうしましたー?ククツミさん」
「……ありがとう、ございます……」
「いえいえ、お役に立てたのならー。……いえ、ぼく、役に立てたのでしょうかね?」
「そりゃあ、もちろん。……例えば、この、たまご蒸しパンとか?」
「それだけじゃなくて、ぼくも、こうー……あ、そうだ。ククツミさん、またシャロンさんであそびます?」
「どうしてだい?!」
いつも通り、ヒマノさんがシャロンさんをからかって。
シャロンさんが、いつも通り驚いて。
「……ふふ」
私は、ようやく。
笑うことが、できました。
そのまま、少ししてから。
私はたまご蒸しパンをゆっくり食べ終えて、おふたりにお願いをしました。
「……その、これから……日記を書こうと……思っていまして……」
「書き終わるまで……そばに、居てくださいませんか……?」
おふたりは快く受け入れてくださって、私はその返答をしっかりと聞けたことに安堵しながら、椅子に座り直します。
これまでの、私のこと。
これまでの、私のこと。
今日の、私のこと。
そして。
これから、私がなにをしようと思ったのか。
それだけは、私の心の中に留めておくことにしました。
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