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清濁、綯い交ぜ

新しい生活が始まってから、よく実家へ帰るようになった。
父が存命の頃は、父と私の折り合いが悪く、
母と私が話をしているとヤキモチを妬いて
私が帰った後に
「女二人で俺を蔑ろにしている」
と母を責めていたようだったし、
前回の結婚生活では、元夫たる人間が
私が実家に帰るのを気持ちよく思っていなかったのが見え見えだった。
(私は相手の家族と敷地内同居をしていたというのに。)
それから、一緒に暮らす人間がまとう、負のオーラは伝播する。
よく、母から
「お前は人が変わったようだね」
と悲しそうな顔で言われたものだった。
冷たくて人を見下すような顔をしていたそうだ。
その事を実家に出戻ってから聞いた時、
元夫の人格が憑依していたように感じて少し、気味が悪かった。

今は違う。
私が怠けて一人暮らしとなった母への連絡が少しでも滞ると、
新しい家族となった彼から
「お母さんに連絡したの?」
「今度はいつお母さんのところに行くの?」
と厳しくチェックが入る。
あ、忘れてた、とでも言おうものなら、
ちゃんと連絡して、顔を出さないとダメでしょ、と叱られてしまう。
そのおかげで心置きなく、気持ちよく、実家に帰れるようになった。

実家に帰ると、
たまには一緒に出掛けることもあるけれど、
ほとんどの時間、それこそ時間を忘れてお喋りをして過ごす。
話があちらに揺れ、こちらに揺れ、本線を行きつ戻りつしながら。
そのなかで、前夫の話題が出た。
私の前夫の職業はちょっと特殊な職業だったため、
あちらこちらに彼のことを知っているひとがいる。
(その職業については、noteに書きたいが、現在内容を温め中である。)
母のおともだちが、私が再婚したことを母から聞いて、
その時に話してくれたそうだ。

前夫について。
私と破綻した後、二年もせずに新しい方とご縁をつないだようで、
なんと、子供もいるそうだ。
それを聞いた瞬間、私の口から反射的に出た言葉が、

「うわ、気持ち悪い」

であった。
あのおとこと子供を作るなんて。
しかも、私の人生が一時期だけでも破綻し、
それこそ地底の底にたどり着くくらいに気持ちが沈み、
何をしても何を見ても空っぽでうつろな日々の中、
とっとと次の人生を歩いていたとは。
何だか今まで以上に赦せない気がした。
彼に一時期、縋ったこともあったが、
それは彼に気持ちがあったわけではなく、
私自身が、自分の人生の一部が破綻したことを認めたくなくて、
無かったことにしたかったからだ、ということに気が付いていた。

私は期待していたのだ。
少しでも彼が困ることを。
すげなく私を追い出し、その追い出された私は、
母のおかげで住むところと食べるところは心配いらなかったけれど、
資格も特技もなく、10年以上を非正規で過ごしてしまったおかげで
その後の就職活動にとても難儀した。
(前夫より、正規雇用の職に就くことを反対されていたため。)
そのせいで、世の中全ての人から不要な人間だと言われたような気がしていた時期もある。
それなのに、彼はというと、
そんな辛くてみじめな時期を少しも味わうことなく、
彼はとっとと人生リセット釦を押下したのだ。

彼が今、心から楽しく過ごしているのかわからない。
自分も愛せない人が他の人間を愛せるとはとても思えないが、
せめて、私が味わったような絶望的な孤独感を
再婚相手には味わわせたくないと、これだけは思う。

ただ、こういうどろどろとした感情とともに、
清らかですかっとした気持ちも共にあることもまた、事実。
あんなに一時期、執着し、復縁したいとまで思い詰めた相手だが、
「時薬」とはよく言ったもので、
いまや、そんなこともあったな、と思う程度で、
冷えた頭で冷静に考えてみれば、辛いことの方が多かった日々。
かと言って、なかったことにしたいわけではない。
なかったことにしてしまえば、今の私は無い。
一緒にいた人間に影響されてイヤな人間だった頃。
思いやりのない人達に囲まれて、心が固くなっていた頃。
その頃があるからこそ、優しい彼と暮らす今の自分がいる。
優しくしてくれる人たちに素直に感謝できる自分がいる。
毎日働くことが出来て、自分の居場所があることに感謝する自分がいる。
嬉しいことにも感動して涙が出てしまう自分がいる。
好きだった音楽も、固く縮んだ心には全く染みてこない。
ひとり、孤独な、しんとした時間に聴いた音楽こそ、
身に沁み、心に染みて、糧になることも知った。

母から話を聞いた時、すごく解放された気持ちになったのもまた事実。
恐らく、これが本当の私の気持ちなのだ。
破綻する直前の出来事に、ひっそりと心痛める必要もなくなった。
私が今後、たくさん笑って過ごすことが最大の「仕返し」なのだと、
清濁併せ持つ、私の心が笑う。

最近、とあるSNSで前夫の近影を見た。
相変わらず、苦々しい顔をして映っており、この人は生きていて何か楽しいことがあるのだろうか、にっこりと笑うことがあるのだろうかと疑問に思ってしまうような顔だった。
顔には生き方が現れる。
私もそれを忘れないでいよう。

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