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種を播く準備をすることにしよう。

都市農業振興基本法が制定され、6年になろうとしている。

高度経済成長期、バブル期に都市農地は無用の長物と扱われ、さっさと宅地にしてしまえとまでいわれ続けてきた。
次代の代わり際、日本農業新聞に寄稿したのが以下の原稿。


待たれる都市農業振興基本法の制定

「都市農業振興基本法」が議員立法により今国会で制定される見込みだ。私たち都市農業者が待ちわびた法律でもあり、是非とも早期成立を求めたい。

思い返せば、昭和から平成にかけてのバブル景気のころ、都市の農地は低未利用地とみなされ、地価高騰の原因とも揶揄(やゆ)され、まるで悪者扱いだった。

私たちはこつこつと先祖から預かった農地を耕してきただけなのに……。

1991年(平成3)年の改正生産緑地法の制定で、東京、名古屋、大阪の三大都市圏の市街化区域内農地は「保全する農地」と「宅地化する農地」に二分され、農家はその選択を迫られた。

保全する農地を選択すれば長期営農が義務づけられ、宅地化する農地を選択すれば重税が課せられる。

まるで踏み絵を踏まされるような選択だった。

その結果、三大都市圏の農地は保全する農地を「生産緑地」と指定、それ以外を「宅地化する農地」とした。

当時、生産緑地指定を受けた農地が約1万5000ヘクタール。宅地化する農地となったのが約3万ヘクタールであった。
その後、生産緑地の面積は横ばいか、現在も微減に止まっているが、宅地化する農地は2012年には1万3000ヘクタールと半分以下に減少、現在も減り続けている。

宅地化する農地は相続税や固定資産税の負担に耐えきれず、宅地となって消えていった。

当時、我が家では農地の100%を生産緑地とし、現在に至っている。同様に多くの農家が熟慮の末、生産緑地の指定を受けた。厳しい選択であったが20有余年を経て、その選択は正しかったと思う。

そして今、時代は明らかに変わりつつある。

バブルは崩壊し、長い経済不況の果て地価は下落し、人口減少と高齢化が進み、都市農業は新たな視点で評価されるようになりつつある。

都市農業振興基本法案

都市農業振興基本法案では

「都市農業が、これを営む者及びその他の関係者の努力により継続されてきたものであり、その生産活動を通じ、都市住民に地元産の新鮮な農産物を供給する機能のみならず、都市における防災、良好な景観の形成並びに国土及び環境の保全(略)、都市住民の農業に対する理解の醸成等農産物の供給機能以外の多様な機能を果たしている(以下略)」

と記されている。

都市農業振興基本法の制定を見据え、東京都議会自民党都市農業政策研究会は、「国家戦略特区」を活用した都市農業の推進として「都市農業特区」を提案した。

内容としては

① 農業経営基盤強化促進法に基づく特定貸付制度を生産緑地にも適用し、生産緑地を貸し付けた場合も相続税納税猶予制度を適用する

② 市民農園整備促進法等により開設した市民農園にも適用を拡大する

(①②とも現行の相続税納税猶予制度では農地の貸借は基本的にできない)

③ 生産緑地地区の指定に係る面積要件の緩和

――などを求めている。

なにはともあれ、春はすぐそこ。

都市農業の存続にはまだまだ困難を伴う。
だからといって、胎動する希望の光に目を背けるのは、ご先祖さんから預かった農地に申し訳ないし、農業者として実にもったいない。
やがて出来てくる法律や制度に魂を吹きもむのは、紛れもなく私たち農業者であり、地域自治体・農業委員会やJAなのだから…。

なにはともあれ、春はすぐそこ。
畑を整えて種を播(ま)く準備をすることにしよう。


しらいし・よしたか 1954年東京都練馬区生まれ。東京農業大学卒、野菜農家。92年度JA全青協委員長。97年農業体験農園「大泉 風のがっこう」開園。食農教育を推進する特定非営利活動法人(NPO法人)「畑の教室」代表。

(日本農業新聞 1面「論点」2015年3月)


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