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研究者日記 Day26 生い立ちその2

生い立ちの続き、というか、自分が水中考古の専門家としての人生を振り返って思うこと。 

もしかしたら、この日記の口調はいつもより硬いままかもしれません…。今日は、専門的なちょっぴり固めな内容についてずっと書いていたので。

ところで、私には理解できないことがある…
「水中にも遺跡があるんですね(驚き)」という感覚

水中考古学について初めてその存在を知ったのがいつかは全く覚えていない。アメリカの大学で普通に考古学の授業を受けているうちに、なんとなく興味を持ったから。テレビのドキュメンタリーでも水中遺跡の特集などが組まれていたり、水中遺跡関連の書籍もある、もちろん、考古学の入門書にも水中遺跡は紹介されている。特段、水中遺跡に気にかけることはなかったし、砂漠に遺跡があるように、水中にも遺跡があるのは、ごくごく自然のことだった。

自己紹介の際に「水中遺跡の研究をしている」と言うと…
 “Wow, that‘s Amazing…”のような会話から始まる
 どんな遺跡を調査しているのかと聞かれる
 Mongol Shipwreck(蒙古襲来)についてと話す
 多くの場合、“I think I read about it somewhere…”と続く

これは考古学者以外の人との会話  

中にはTakashima(鷹島)の名前を知っている人もいた。水中遺跡は、アメリカをはじめ多くの国では、珍しい存在ではない。日本の水中遺跡も知っている人が多い。

他に陸でもいいので日本の遺跡を知ってる?と聞くと、何も出てこない時々、JomonまたはKofun…と言う人がいる
吉野ヶ里や三内丸山なんて名前は出てくる気配もない

不思議だったのが、寿司(Sushi)を未だに知らない人と会ったことがあるが、彼もMongol Shipwreckを聞いたことがあると言ったのには驚いた。

さて、今度は日本の話…

私は、6年間ほど日本に戻らない時期があった―その間に水中考古学に目覚めたのだが…久しぶりに日本に戻って水中遺跡の話をした時には、驚いた。なんと、日本ではほとんどだれも「水中遺跡」を知らない。全く意味不明だった…どうして「水中に遺跡がない」という考えが生まれるのか。自分にとって疑う余地のない常識を、みんな口をそろえて「はじめて聞きました」、「考えたこともない」と言う。

これが最大のミステリー… いや、理由は内閣が水中遺跡に無関心だったからなんですが…岸さん・池田さん・佐藤さんあたりでなんらかの対策をはじめておくべきだったんですよね。

「水中遺跡を初めて知りました」このフレーズ、今まで聞いたことがあるのが、バハレーンで1回、残りの数千回は、すべて日本…

アメリカの友人に、この不思議な感覚について話したところ、
「例えるなら、日本人だれもピカチューを知らない、ってことだろ?」と
確かに…それに近いかも。

そうそう、アメリカの方々(非考古学者)は、日本はアメリカよりも水中考古学研究が進んだ国であると漠然とイメージしている人が多かった。それもそのはず、アメリカは大陸に位置する国で対外的な思想は疎い。一方、日本は島国で海と共に生きているイメージがある。様々なモノが船で運ばれたし、アメリカとの国交の樹立も船を通してだ。また、日本は歴史や伝統を大切にする国というイメージも強く、テクノロジーにも強い。となれば、もう、水中考古学は世界トップクラスであろうと…。

アメリカ人の持つ日本のイメージ
 海洋国家・島国ー海は大切
 歴史は海や船と密接な関係
 伝統や歴史を重んじ、環境などにも高い関心を持つ
 テクノロジーは最先端 
   = 水中考古学の研究はアメリカよりも進んでいる!
 

まあ、無理もない… 水中文化遺産に対する学術的関心は1830年代に芽生えてますからね。ジョージ・バス先生もノーベル賞に最も近いと言われる国家科学省を授与されるなど水中考古学は身近な存在。


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