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水中考古学を定義する その2

前回の続きから。水中考古学の定義について。ちょっと真面目な読み物です…。

1990年代以降、水中考古学がどのように変わってきたのか、その契機となった4つの項目についてみていきます。 

 1.タイタニック号の発見を契機とした国際的な取り組みの始まり
 2.開発対応の急増と水中文化遺産を守る行政の考古学調査の本格化
 3.様々な分野の知識を統合する必要性
 4.海洋問題と水中遺跡の関り 
  

これらはどれも密接に関わってはいるが、あえて分けて書くことにしよう。

  1.タイタニック号の発見を契機とした        国際的な取り組みの始まり 

タイタニック号の発見(1985年)は、水中遺跡の研究に大きな影響を与えた。一つには、「公海」における発見であったこと。先ず、公海において遺跡を保護する法律が存在していないことが多くの人の危惧するところとなった。深海を探る機器の発達も進み、音波探査機や水中ロボットなどが普及し始めたころでもあった。資金さえあれば、だれでも水中遺跡を見つけ出すことができる。民間による深海の探査が幕を切ったのだった。

沈没船の「宝」を引き揚げて一獲千金を目指すトレジャーハンター達も活動を活発化させていた時代でもあった。それまで、ゆっくりと形成されつつあった水中遺跡を守る取り組みが、急ピッチで進むことになった。1996年には、ブルガリアのソフィアでICOMOS憲章が採択され、国際的な「水中文化遺産」の保護が進み始めた。

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【ICOMOS憲章 UNESCOの水中文化遺産保護条約を批准していない国の多くは、このICOMOS憲章を採択もしくは水中文化遺産の調査・保護の原則として捉えている https://icomosjapan.org/charter/charter1996.pdf

その後、UNESCOによる水中文化遺産保護条約が出来上がってくる。2001年のパリ総会で発足した。現在では、70か国以上が批准しており、国際的な枠組みの中で水中遺跡の保護が行われるようになった。批准していない国も多くあるが、そもそも国内法で十分に水中遺跡が保護されているのにUNESCOの条約を批准する必要性を感じない国も多い。また、UNESCOを批准せずともICOMOS憲章を水中遺跡保護のプロトコルとしている国も多い。中国、イギリス、アメリカ、インドネシア、中南米の国々など、いくらでも例はある。さらに、この後に説明するバレッタ条約を批准している国も、そこまでUNESCO条約の批准に熱心でないし、特に批准する理由もない。 

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【UNESCOの水中文化遺産保護条約 水中文化遺産保護(水中考古学)の国際的なスタンダードとなりつつある。ユネスコ大好き日本は批准していない。http://www.unesco.org/new/en/culture/themes/underwater-cultural-heritage/

しかし、水中文化遺産を保護する法律がなかったり曖昧だった国にとって、UNESCO条約は、水中遺跡保護を改めて見直す良いきっかけとなった。また、UNESCO条約は、積極的に国際交流事業を始めるきっかけにもなった。現在では、国境を越えた調査はごく当たり前である。特にアフリカ東海岸(タンザニア・ケニア・モザンビークなど)やイスラム諸国、東南アジアなどでは水中遺跡の研究は国際調査・協力で大きな成果を見ることができる。ヨーロッパの国々も植民地時代の反省もあり、現地の遺跡保護には積極的に取り組んでいる。地元水中考古学者のキャパシティービルディング・プログラムなども実施している。

そもそも、船というモノは、国境を超えるために作られた道具。そこに積まれている品物は過去の国際交流を示す証拠となる。世界各地で様々な商品が船に積み込まれ、各地に運ばれていく。沈没船の研究は、一つの国の研究者だけでは、わからないことがあまりにも多い。水中遺跡、特に沈没船は、グローバルな時代を象徴する遺跡だ。そのインターナショナルな遺跡を調査するには、ある程度のスタンダードや共通認識が生まれる。水中考古学調査手法、水中遺跡保護の方法論、遺跡保護の在り方、水中遺跡の見せ方などの項目があるが、行政による水中遺跡のマネージメント方法と密接に関わってくる。

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【バンコクで実施されたUNESCO水中文化遺産トレーニングのマニュアル 東アフリカ、アラブ諸国、カリブ海など各地でトレーニングが実施。http://www.unesco.org/new/en/culture/themes/underwater-cultural-heritage/unesco-manual-for-activities-directed-at-underwater-cultural-heritage/training-manual/


  2.開発対応の急増と水中文化遺産を守る          行政の考古学調査の本格化


1960-70年代、水中遺跡といえば、研究目的調査だった。しかし、世界各地で次々に水中遺跡が発見されていく。それまで、珍しかった水中遺跡が、ありふれた遺跡になった。ヴァーサ号のような大規模な遺跡、宝を積んだ船というイメージの水中遺跡だったが、現実は、遺物がゴロゴロと転がっているだけの遺跡がそのほとんどであった。

護岸工事や河川の拡張、パイプラインを敷く工事などに際して水中遺跡が発見される。そうなると、それらの遺跡を保護する枠組みが必要となる。特にヨーロッパ各国でそれぞれのスタンダードや枠組みのもとで遺跡保護が行われてきた。1990年代に一つの国際条約が結ばれる。欧州評議会のバレッタ条約だ。この条約は、遺跡・文化遺産全般の保護と活用に関する取り決めであるが、水中遺跡も同様に扱っている。それぞれの国が責任を持って(水中)遺跡の把握・調整・保護を実施することを決めている。この条約のもと、行政における水中遺跡調査が定着することとなる。つまり、研究目的ではない水中遺跡の調査や水中遺跡のマネージメントが必要となった。いわゆる行政による水中遺跡の管理だ。

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https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/suichu_iseki/h27_09/pdf/sanko_1.pdf

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【欧州評議会 EUとは異なる組織。国際社会の基準策定を主導する汎欧州の国際機関だそうです。47か国が加盟しています。ヴァレッタ条約では陸上・水中問わず普遍的な考古遺産の保護を求めています。 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ce/index.html】

それまでの水中遺跡調査は、個人の研究者やグループが、その遺跡の特性やリサーチクエスチョン、予算などに合わせて遺跡の記録手法を考え、実践した。引き揚げた遺物に対しても保存処理を何十年と掛けて施し、地道な研究を行なってきた。その特定の遺跡に興味のある考古学者が遺跡にべったりついて研究をするイメージだ。

しかし、行政の発掘は全く別である。さほどその遺跡に興味がなくても調査し成果を上げなくてはいけない。しかし、沈没船一つ引き揚げると保存処理に数十年、莫大な予算が必要となる。「遺跡は引き上げてはいけない」という考えが定着していく、つまり、遺跡を記録し、現地にて保存することが最善の策となる。この方法については、別の機会で詳しく書きたい。水中遺跡は、発掘しないで、埋め戻す。その場所で保存するのが通常のセオリーとなった。

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【水中遺跡を埋め戻して現地保存をしています。 SASMAP Guide Manual 2  http://sasmap.eu/typo3temp/tx_ncstaticfilecache/sasmap.eu//index.php/


ここで、世界的な取り組みと開発対応は合致する。UNESCOは、遺跡の現地保存を第一のオプションとしてしている。条約は、トレジャーハンターによる遺跡の盗掘を阻止するために作られたという解釈が一般にはあるが、これは間違いである。条約で重要なのは、陸の遺跡と同様に遺跡を保護し、調査で得られた情報を一般に還元することにより社会を文化的に豊かにすることにある。発掘・引き上げせずに遺跡を調べ、遺跡を現地に保存し、その情報を広く伝える。その作業には、研究目的のみを行なってきた考古学者よりは、様々な状況下でしっかりと遺跡の調査ができる人材が必要となった。そのための作業のスタンダード化、遺跡の調査手法のマニュアル化が進んだ。数万件存在する水中遺跡を把握・保護し、そして、活用していくことが求められるようになった。それには、水中という環境特有の問題点を理解する必要があり、水中遺跡発掘のエキスパートの指導の下、地方行政の担当者でもしっかりと調査できる体制を作ることが求められた。

なかなか難しいように感じるが、近年はデジタル技術や海洋探査技術の進歩により多くの作業が効率よく安全に行えるようになってきた。水中ロボットを利用して遺跡の全容を3次元で記録することも可能であり、実際に行われている。普段は陸の調査を行なうが、必要であれば水中の調査も行う遺跡調査の担当者がどこにでもいることが理想である。アメリカでは、水中遺跡の調査を担う部署が各州に置かれている。また、中国でも百人ほどこのような水中遺跡を調査・発掘できる担当者がいると聞く。

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【アメリカ 海洋エネルギー管理局が海洋開発に関わる開発の際の事前調査で発見された遺跡を公表している。代表的な遺跡は3次元復元をしており、ウェブサイトで閲覧できる】

現在、海洋開発が進み、特に洋上風力発電設置のための事前調査(アセスメント)のおかげで、水中遺跡発見ブームが起きている。イギリスやデンマークなどそれぞれの国で数万件の水中遺跡が確認されている。この状況下では、研究目的の調査など微々たるものであり、世界の水中遺跡の基本は、行政による調査となった。

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【水中文化遺産候補地点を示した地図。画面に見えるツブツブが水中遺跡。オランダ周辺だけで6万点存在している。多くは、海洋開発に際する事前調査・アセスメントで発見され登録されている。日本の埋文行政で言うところの「周知の遺跡・包蔵地の地図」にあたる。              Martijn Manders Preserving a layered history of the Western Wadden Sea Managing an underwater cultural heritage resource  p.22】


3.様々な分野の知識を統合する必要性

水中遺跡の調査には、様々な分野の専門家の力を必要とします。探査には、海洋学、海洋音響工学に関するちょっとした知識、マリンエンジニアなど。発掘は、体育会系だったりする。また、保存処理は化学の知識など。そして、海洋生物学や地質学も必要。文系でありながら、理系の要素を必要とし、また、フィールドが基本。船体構造になると建築やエンジニアの知識も必要。なんでもできる人が必要だ…。これだけ聞くと、かなり大変な作業に聞こえるだろう。幅の広い知識、様々な意見を取り入れる心構え、新しいことに挑戦する心を持っておく必要はある。ただし、これだけのコラボを生み出すのは、やはり、大きなプロジェクトとなる。一人の研究者が発掘したいから調査をする、というプロジェクトではない。ある程度、国や地域が(研究費を支援することに)合意したうえでの調査となる。それだけ水中遺跡は注目を集める研究分野となっているのだ。数名の研究者でこなせるけ研究ではない。


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【サイドスキャンソナー(音波探査)により写し出された海底に露出した沈没船。船のフレームがたくさん突き出しているのがわかる。Edge Tech Gallery https://www.edgetech.com/underwater-technology-gallery/】

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【海洋探査会社による沈没船など水中文化遺産の調査           株式会社 ウィンディ―ネットワーク http://www.3d-survey.jp/index.html】

水中考古と他分野のコラボについて、一つ例を紹介したい。       海は広い。だけど、海を知るには小さな研究も重要だ。海にはたくさんの生物がいるが、ある特定の場所にしかいない生物もいる。水中で発掘する際には、様々な環境問題も考えないといけない。水中遺跡は、生物の住処となっていることが良くある。沈没船は天然の漁礁。そこに住むバクテリアなどの微生物は新種だったり、珍しい生物がいたりする。また、特定のサンゴが生息するなど水中遺跡が環境と一体化していることもある。その遺跡を、我々の考古学的探求心だけで破壊してはいけない。大規模な発掘の前には、生物学の調査をすることもある。生物学や地質学、様々な分野の人とコラボをして調査を実施する。

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【座礁した船に住むバクテリアなど微生物の調査 深海でも遺物だけでなく生物のサンプルも採集する。沈没船・遺跡は環境の一部として捉える。   Shallow Water Ferrous-Hulled Shipwreck Reveals a Distinct Microbial Community     Kyra Price, Cody Garrison, Nathan Richards, Erin Field. 
Front. Microbiol.,19 August 2020 | https://doi.org/10.3389/fmicb.2020.01897

重要なので、もう一度書く。遺跡は一人の研究者のモノではない。海の研究を行ういろいろな人と一緒に調査を実施することが基本。考古学者は、様々な分野の人とコラボレーションできる能力を必要とする。それぞれの分野についてある程度の知識は必要だが、エキスパートになる必要はない。海の調査は、多種多様な分野とかかわりを持って行う。海には守るべきものがたくさん詰まっている。


 4.海洋問題と水中遺跡の関り

さて、海洋問題について。海事考古学は、海と人とのかかわりについて学ぶ学問である。つまり、海の恩恵を学び、人間が海に与えた影響(またその逆も)を考える学問だ。ここ数年、様々な海洋問題が時折話題となる。海事・海洋考古者は、早くから海洋環境を守ることの重要性を認識し、海を学び守ることを徹底してきた。流行りのSDGsの目標14に「豊かな海」を守る取り組みがあるが、海の現状を知るには海事考古学は欠かせない。海洋国家と呼ばれる国々は、自国の海事文化を調べるために調査体制を拡充させている。

インドも海洋文化の解明を目指し、水中考古学の発展や海洋博物館の建設などを進めている。中国との関係など多少政治的な側面もあることは否めないが、それでも海洋の理解、海事文化の理解は、一つのトレンドとなっている。それは、海事文化の理解が様々な海洋問題の解決の糸口になると考えられているからである。水中遺跡に特化した国立の施設(博物館や研究所)が多くの国で設立されている。さらに、水中遺跡をそのまま水中で展示する海底公園も、イタリアやギリシャなど地中海だけでなく、中南米、アフリカ(ケニアなど)でも進められている。水中遺跡は、豊かな海の学びを提供する。

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【SDGs 持続可能な社会に向けて。海の歴史・海事文化を考える。     Sustainability 2019, 11, 5080; doi:10.3390/su11185080      Sustainability PDF

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【私の後輩、山舩さんのブログ SDGsや水中での調査作業について書いているので、ぜひのぞいて見て欲しい Hi-Story of the Seven Seas  

このように水中遺跡は、社会全体で解決すべく海洋問題にかかわっていることであり、国が取り扱う事業となった。そして、様々な分野と学際的な研究を行う必要がある。水中遺跡の持つ意味そして発掘する意義は時代により変化している。

最後に…

バス教授の研究に特化した考古学は、それは大きな成果をもたらした。しかし…

現代の水中考古学は、開発とのバランスの上にたち、そして、海洋問題の解決のため、海と人類の関係を学ぶため、国が力を注ぐ学問となっている。

まだまだ、この取り組みは始まったばかりだ。おそらく、近年の動きは、水中文化遺産研究と呼んでも良いかもしれない。それは、学者だけではなく、行政や様々な人が関わって遺産を守っていくという考え方に即している。

本当に大切なのは、陸・水中の隔てなく遺跡を保護すること。また、水の惑星に住む人類は海と深いつながりがあることを考えたとき、その歴史を知ることは表面に見えている以上に深い意味がある。 

というわけで、水中考古学の定義から現代の水中考古学の話しをした。どうだろう、水中考古学がどういう学問か理解していただけただろうか?


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これから、もうちょっと面白い記事を書く予定ですので、宜しくお願い申し上げます。

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