水中考古学を定義する その1
今後の予定として・・・・大まかに以下のことを書いていきたい。通常、水中考古学とは何か、その発達の歴史、著名な遺跡の紹介、などなど順番に書いていくべきかもしれないが、ざっくばらん・臨機応変に書いていきたい。
①世界の著名な遺跡の紹介 (シリーズ)
②日本の遺跡 (シリーズ)
③水中考古学のお話~トピック的に
基本、①~②を進めていこうと思っている。が、今回は最初なので、やはり基本的なことは書こうと思う。水中考古学の定義と簡単に歴史を語ろう。なので、③にあたる。2回に分けて書く。
水中考古学とは何であろうか? 最初にその定義をしたい。
I. イントロ
水中考古学と聞くと、水中に眠る宝を掘り当てる、というイメージだろう。潜水して遺跡を探して、そして、発掘…。1960年代ごろまでは、このイメージでも良かったのかもしれないが、今は違う。
または、沈没船を丸ごと引き揚げてどーんと博物館で展示している。そんなイメージを持つのではないか。著名な遺跡として、17世紀の軍艦ヴァーサ号がある。1960年代にストックホルム湾で発見され、引き揚げられた。船体の9割以上が残っていた。
【ヴァーサ号博物館の展示と船内(非公開)。ヴァーサ号博物館は、北欧で入場者数No.1の文化施設だ。軍艦を丸ごと引き揚げて保存処理を施し、展示している。引き上げから展示まで30年以上を要した】
ヴァーサ号の保存には、当時一般に普及しつつあったポリエチレン・グレコール(PEG)を使用した。通常、遺物を溶液に浸して処理するが、70mを超える船体を浸す容器はない。そこで、船体にスプリンクラーを張り巡らせ、薬品を噴射し続ける方法を採った。数十年間もシャワーを浴びせ続け、最終的に博物館で展示されたのが1990年代に入ってからであった。(保存処理については、後々詳しく書く予定)。
【保存処理について、私が作成した(福岡市埋文センター)の動画があるので、なんとなくわかるかな…】
水中考古学がどういう研究なのか…名前を聞くと、水中に存在する遺跡の研究をする専門家のように聞こえるが、実は奥が深い。
そもそも、1990年代ごろまでの考え方と、その後の考え方では、若干趣が異なる。一度、水中考古学という言葉は、学術的意義を失った時期があったようだ。ひとことでは言い表せないので、全体を読んでみて感じ取って欲しい。
II. 学術的な定義
考古学とは何だろう…。考古学の芯は、過去を学ぶ(考える)ことにある。そして、それを人々に伝え、未来に残していくこと。過去を知らずに現在は見えないし、現在を知らずに未来は語れない。考古学とは、「人類の過去の生活の様子を、人々が使っていた道具や痕跡から探る・考える学問」だと自分は捉えている。
水中考古学は、そもそも、英語のUnderwater Archaeologyという言葉から来ており、日本では定着している。ところが、海外では、このほかにNautical ArchaeologyやMaritime Archaeologyと呼ばれる分野が存在する。これらを見ていきたい。
水中考古学(Underwater Archaeology) 日本でよく聞く「水中考古学」という言葉。水中という環境で行う考古学作業を意味する。発掘作業のイメージが強いが、例えば音波を使った遺跡を探す方法(探査方法)や水中での測量方法、水中から引き揚げられた遺物の保存処理方法などを統括した言葉である。水中に存在する遺跡に対して行う調査・研究のメソッドの総称である。また、水中遺跡にかかわる法律(国際法など)も、広い意味ではこの水中考古学の分野に入るのか…。定義が最も難しい。研究としての分類ではないとの見方もある。
船舶考古学(Nautical Archaeology)
水中考古学はメソッドであり、船舶考古学はセオリーを持った学問だ。学ぶ対象がはっきりとしており、「船」に関する事柄すべてをその研究の対象とする。船の構造、船の道具(アンカーなど)、積み荷、港などを調査する。人々がどのように船を利用してきたか、社会における船の役割、船の文化などを考える。研究の対象となる遺物が沈没船などであるため、水中に没していることが多い。そのため、水中考古学的手法を用いて研究する機会が多い。水中考古学は、研究対象である船を調査するための手段なのだ。あくまで研究の対象は船や港である。船が山の上にあれば、数千mの山でも登る。また、対象は「船とその文化」なので、船の設計図など文献史料や絵画資料などを好んで扱う船舶考古学者もいる。海に潜れないだけでなく、泳げない人も、もちろんいる。私の大学院のプログラムの名称がNautical Archaeologyである。
海事考古学(Maritime Archaeology)
船舶考古学が、船と人類の関りを学ぶ学問。海事考古学は、海と人の関りを学ぶ学問だ。なお、海事には、海という言葉を使っている。しかし、Maritimeという言葉は河川や湖沼も含むものとして捉える。「海事」と訳しているが、水域に関する事柄だ。島嶼部における人類の活動や水域・水産物の利用など広く過去の人類の水域の利用方法などを研究する。海を含めた文化的景観なども海事考古学の範疇になる。ある意味、海事考古学には船舶考古学も含まれていると捉えることもできる。人類の船の利用(の歴史)に特化した研究か、人類の海の利用(の歴史)に特化した研究か、の違いである。私の専門は、海事考古学であると考えている。あくまで自称だが…。また、海と人の関りに焦点を当てた場合、海事考古学と呼ぶよりは、「海洋考古学」と呼んだ方が良いかもしれない。
【船舶考古学者は、船について学ぶ。なので、土器などに描かれた船の絵などを専門に学ぶ人もいる。大学院では、絵画の専門家、水中遺跡にかかわる法律を勉強している人、ガンガン潜るダイバーなどと一緒に勉強をした。ある意味、様々な分野の幅の広い横のつながりを重視していた。】
この定義を見て、違和感を覚える人はいないだろうか?この二つの学問領域には、水没遺跡(例えば旧石器時代や縄文時代の遺跡で陸に形成されたが後の時代に水没した遺跡)は対象となっていないように見える。実際、水没遺跡とそこから出土した遺物に考古学的価値を付与するのは、「水中考古学者」ではなくそれぞれの専門家である。
簡単に言えば、そもそも遺跡はどこにあろうが遺跡である。砂漠で発掘をする考古学者を「砂漠考古学者」と呼んだり、田畑で発掘をしても「田畑考古学」とは言わない。考古学は、過去を学ぶ学問なので、過去の特定の環境を学ぶのであれば、その環境を名称としても良いと思う。例えば、過去の人類がどのように洞窟という環境を利用してきたのか、ということを学ぶことを専門とした人を想定しよう。その研究は、「洞窟考古学」と呼んでも差し支えないと思う。さて、水中はどうだろう。人類が水中で生活をしていたわけではないし、多くの遺跡は陸上で形成され、その後に水没する。また、水深が浅い遺跡は、矢板で囲って水を抜いて発掘を行う。そうなると、水中考古学という言葉の意味が全くなくなる。いや、もともと意味のない言葉だったとさえ思えてくる。
III. ジョージ・バス教授の考え
基本、水中考古学は、手法=研究のための手段である。私の恩師ジョージ・バス教授は、船舶考古学の分野で功績が認められアメリカの国民科学栄誉賞を受賞した大御所であるが、彼の有名なフレーズが二つある。
「考古学者をダイバーにするのは比較的簡単だが、その逆にダイバーを考古学者にすることは難しい」
「水中で発掘作業を行う考古学は、単に考古学と呼ばれるべきである」
学術の世界では、まさにこの通りであろう。
【1960年代初頭、バス教授(当時は大学院生)が初めて発掘した沈没船遺跡・ケープゲラドニア遺跡は、トルコにある青銅器時代(紀元前1200年頃)の遺跡だ(https://nauticalarch.org/projects/cape-gelidonya-late-bronze-age-shipwreck-excavation/)】
考古学の「学術的意義」を純粋に考えたとき、バス教授の言葉はまさに端的に要点を突いた言葉であり、「水中考古学」という「学問」を否定しているように思える。実際、バス教授は、水中考古学という言葉に違和感を持っていたことは事実だ。1970年代以降、水中遺跡の研究がポピュラーになると、水中考古学という言葉は意味を持たなくなっていった。
バス教授は、「水中考古学の父」と呼ばれ、世間一般からは水中考古学を作り上げた人物だと言われている。だが、本人は、その名称は正しくないと言っていた。私は、幸いにも、バス教授の最後の授業を受けた生徒の一人だ。彼は、水中考古学という名称はなくすべきだとプライベートで語っていた。
【バス教授が設立したINA(Institute of Nautical Archaeology)のページ。世界で初めてテキサスA&M大学で船舶・水中考古学の大学院プログラムを開設した(https://nauticalarch.org/)】
と、ここまでが、基本的には1990年代までの考え方と言っても良い...。基本、学術的な定義と言える。しかし、私は、水中考古学という言葉を使っている。それはなぜか?一つには、海事考古学と言っても専門家でないとピンとこない。日本では水中遺跡の存在すら気が付いていない人が多いため、遺跡破壊が進んでいる。多くの人に水中遺跡の存在を知って欲しい。その意味で、あえて水中考古学という言葉を使っている。海事考古学と言っても、水中遺跡につながらないのだ。でも、本当は海事文化の研究をしている…。
IV. その後は?
だが、現在、水中考古学という言葉は復活している。それは、1990年代ごろに顕著になってくる。その変化の契機となったポイントは、4つある。
1.タイタニック号の発見を契機とした国際的な取り組みの始まり
2.開発対応の急増と水中文化遺産を守る行政の考古学調査の本格化
3.様々な分野の知識を統合する必要性
4.海洋問題と水中遺跡の関り
話が長くなるのでここでいったん中断したい。続きは、定義その2で。
(写真は筆者撮影・無断転用はご遠慮ください)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?