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研究者日記 Day27 生い立ち、その3

昨日に続き、連続投稿。金曜と土曜は、忙しそうなので。

あと、昨日はちょっと愚痴っぽかった。20年前の話ですので。今は、ダイブ改善されました。また、不思議なのは日本の個々の研究者はトップレベルであること。

そう、これも理解不能なんです。水中遺跡への理解度を見ると、日本の政府(内閣府・議員など)は、北朝鮮以上こーとじぼわーる以下。一方で、研究者はマジにトップレベル。個人の努力でできることをバリバリこなしている。

さて、大学卒業後、しばらく放浪の生活をしていました。大学院に行かずにオマーン、イエメン、トルコなどで発掘を。また、その合間には大学のラボで働かせてもらって…。このころは、陸の考古学です。インダスとメソポタミアの交易に興味があり、インダスの遺物が出るアラビア半島の遺跡の発掘。これがたまらなく興奮。

一番印象に残っているのが、オマーンのRas al-Jins遺跡。ここでは、フランスとイタリアの合同チームに交じって調査に参加させてもらってました。

 この遺跡、どうやら船を修理した工房があったようです。
葦船の外側にタールを塗り付けて防水加工をしていたようですが、そのタールの破片が見つかっています。タールは時々交換していたようです。そのタールには、内側に葦の跡、外側にフジツボなどがついている。

ちょうど私が参加したとき、その葦船の復元船を作っていた。航海実験をするようで。そこに、水中・船舶考古の研究者がいた。いろいろと水中考古学の話などで盛り上がった。君も水中考古学を目指したらどうだ?と。

空港に戻る途中に水中遺跡によって行くから一緒にこないか?という。私は泳げたけど、スクーバはできない。まあ、シュノーケリングで上から見るだけになるけど…。

私が水中遺跡を実際に触れた最初だ

下で何やら作業しているのを、私は上から眺めているだけ。途中、ウミガメが近くまで来たので、一緒に泳いだりしながら…。


帰国後、大学院へ行こうと決意。

ここで水中考古学への道へ、と思われるだろう。が、まだ寄り道の途中。

そもそも、あまり運動は得意ではないし、なんかたいへんそうだな~と漠然と考えてしまった。いくつかの大学に願書をだした。ウィスコンシン州(マディソン)、オクラホマ州のタルサ、そして、テキサスA&Mだ。もう一か所、オクラホマにも願書をだしていたかも。

ウィスコンシンはばりばりのインダス文明
タルサは旧石器ーヨルダンとか、あのあたり
オクラホマも石器とGISなどコンピューターサイエンスと考古
そして、テキサスは海事考古学

その中でもウィスコンシンは1番希望だった。アフガニスタンなどのちょっと北方で研究をしたかった。そこからインドのグジャラトを経由して…。海の貿易もいいけど…

たしか、大学院は全部アクセプトされた。ちょうど、そのころ911のテロが勃発。そこで思った…アメリカの研究者が中近東に行けるのだろうか。しかも、アフガンに行きたいと思ってたけど。かなり混乱してた時期で、どうなるかわからない。一生懸命学んでもフィールドに出られないこともあるのでは?

そこで思った、海だ。 

海をフィールドにすれば、いろいろなとこに行けるのではないか。どこかで問題があっても、海はどこかで必ずつながっている。そう思ったら、水中しかない…。インド洋と東南アジアの海、そして、日本にもつながっている。


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