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カツ丼

私は菜食なのである。
といっても、たまに魚や卵は食べているし、なんなら、最近はチキンカレーなんかも食べている。
菜食「主義者」ではないから、いいんです。

菜食にすることにしたのは、20代の半ばごろ。ラマナ・マハルシという、インドのいわゆる聖人の、動物に対する優しさに感銘を受けて、あとは、なんとなく悟りを開けるんじゃないか、とか、波動が上がって、なんか良いことあるんじゃないか、みたいな下心も少しあった。
そもそも、波動も悟りも、なんのことかよくわからないのだけど。

最初は難しかった。お肉を食べたくなるわけではない。菜食にすると決めたその日から、お肉を食べたいという欲求は無くなった。あるいは、その前から既になくなっていたので、菜食にしようと思ったのかもしれない。お肉は食べないことにしたのだけど、外で何か食べようとすると、大抵のものにお肉が入っているのである。野菜炒めには豚肉、ほうれん草炒めにはベーコンが入っていたり。チェーン店でなければ、場合によってはお肉抜きで、と伝えることにしたが、結局外食は減り、家で自分で作ることが増えた。

それまで自分で料理はほとんどしなかったのだけど、すぐに出来るようになった。お肉を切らないで良いので、楽なのである。

自分で作るようになって良かったのは、味を自分の好みで加減出来ることで、結局、自分にとって一番美味しい料理が出来るのである。
塩を入れるときに、塩加減を自分の感覚で決める。
量らない。
するとそのとき、自分の身体が必要としてる分を、ちょうど良く入れることが出来るのではないか。だから、おいしい。

当時は実家で両親と同居していて、母親もいたのだけど、そもそも母親は料理があまり好きではなく、嫌々やっているようなところがあって、あまり上手ではなかった。
いろいろ健康に気をつけた食事なのは良いのだが、そういえば米を炊く前に、グルグルと右回りだったか、左回りだったか、ずいぶん長いことかき混ぜていた。こうすると、炊き上がった後、かなり長い間、お米が傷まないのである。2、3日お釜に入れっぱなしでも平気ではなかったか。
小松菜も良く出てきた。小松菜だけ、大量に炒めたもの。塩味。
そしてダイエットスープ(痩せるの意味ではないと思う)なる、トマト、セロリ、玉ねぎ、その他野菜一式を煮込んだだけのスープも、毎日のように出てきて(今も作っているのだろうか。多分作っている)、これが実においしくない。

しかし、こうして書いてみると、菜食にする前から野菜を大量に食べさせられていたことがわかる。

ともかく、自分で作った方がおいしい、ということで、それ以来自分で作り続けてるし、それは苦にならない。
難しい料理はしない。
揚げ物は苦手である。
というか、今の家ではしない。油の取り扱いが面倒だからである。
煮るか、炒めるか。
煮る時は、材料を全部鍋に放り込んで煮るだけで、あとは味噌、あるいは塩などの加減次第。炒める時は、どの材料から炒めるか、順番が大事なようである。
地面の下に生える根菜類、つまり、ニンジン、玉ねぎ、その他火の通りにくいものは先に炒め始める。
ニンニクを使う場合は、油を敷いたところに、最初に入れるのが良いようである。胡椒や、唐辛子、スパイスなどは、自分の体調次第で量を加減する。
こういったことが出来るのは、自作ならではである。

炒めるときに使う油は、オリーブオイルが好みで、菜種油、胡麻油も良いが、オリーブオイルは万能である。味噌汁に少したらしてもおいしい。とにかく、こだわらない。良くコーヒーに凝る人がいて、それは素晴らしいことだけれど、これは全く別物で、毎日することであるから、出来るだけ簡単にしておく。そういえばコーヒーに凝る人は男性が多い気がするけど、そうでもないだろうか。

今日はカツ丼を食べた。

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