2021Sp志乃【年輪】

 二時間前には所狭しと皿に乗った料理が並んでいた食卓を、満足のため息とともに眺める。とうに食事の片付けも済んで、皿は洗い終わっていた。食後のお茶も和やかにお開きになり、なにも乗っていない深い木の色が暖色蛍光灯に照らされているばかりだ。
 濡らして固く絞った台拭きを黙々と往復させる。お茶の前にだって一度綺麗に拭いたのだから、大して汚れてもいない。油汚れに突っかかることもなく全面拭き終えて流しへ行き、布巾を洗って干せば、もうすることはなかった。
 自分の定位置へ腰を下ろす。一番台所に近くて、風通しのいい端の席。柱壁が張り出していて、テレビは少し見づらい。
 拭いたばかりの木目調の分厚い天板を指でなぞる。濡れ拭きの余韻でひんやりするそこへ、片頬をぺたりとつけるようにして突っ伏した。
 ……戸建てのこの家に越してきて、もう三〇年近くなる。引っ越しの際に買って運び込んだこの大きなテーブルも、同じだけの時を過ごしてきた。二辺に三人づつ、計六人掛け。夫、娘二人、義両親と共にここへ来て、末の息子も生まれ、七人で囲んだ食卓だ。
 子供たちを育てて、学校に入ったらここで宿題を見て、毎日ここで食事をした。
 突っ伏したまま、これ以上ないほど近づけた目で天板を眺めれば、そこここに傷が残っている。向かいの端にあるのは、小さい頃は本当になんにでもかじりついていた長女がつけた噛みあと。その隣は次女がフォークで引っ掻いたあと。ここからでは遠くて見えないけれど、私がいる席の対角には息子が油性ペンで落書きしたあとがある。いろいろ試したものの、もともとあった天板の凹凸に入り込んでしまったインクはどうやっても落ちなかった。
 テーブルの真ん中には、鍋敷きが間に合わなくてフライパンで焦がしたあと。固いものを落としてへこませたあともある。
 思えば、このテーブルも随分広くなった。
 六人掛けのテーブルに七人で掛けた二〇余年前。一〇年ほど前に義両親を見送り、親と子で向かい合うように席を移動した。長女、次女と続いて巣立ち、ついこの前息子も巣立って。今となっては、普段このテーブルにつくのは夫と私の二人だけだ。
 それでも定位置は変わらず、私は台所側の端、夫はその隣。並んで同じ長辺に座る。
 このテーブルは、帰省してきた子供たちがいて、やっと囲める食卓なのだ。
 次に食卓を囲めるのはいつになるだろう、とこぼしたため息が年季の入ったテーブルをわずかに曇らせる。子供たちはみんな、それほど遠くへ行ったわけではない。しかし、日帰りができる距離とはいえ、あの子たちがいる日は既に非日常なのだ。
 天板の曇りが、消えていいのか迷うようにじわじわと消えていくのと同時、夫がダイニングへ戻ってきた。明日の予定を気にしながらめいっぱいまで粘っていた子供たちが、この家を出るときに持ちきれず置いて行っていた、細々した荷物を回収して帰るのを見送っていたのだ。テーブルに限らず、この家はどんどん広くなっていく。
 おかえり、と突っ伏したまま声をかければ、夫はただいま、と言って私の横を通り抜けた。足音は台所のほうへ行き、電気ケトルでお湯を沸かす音がする。茶葉の缶を振る音も。
 しばらくして、目の前にマグカップが置かれた。緑茶の香りがする。コーヒーだろうと紅茶だろうとこのマグカップに淹れるのだ。夫も揃いのマグになんでも淹れる。
 また隣に座るのだろうかと思っていたら、夫は少しためらいがちに、私の向かいの席へ――長女の定位置に座った。
 おや、と思って体を起こすと、おさまりが悪そうに小刻みに座り直しながら、落ち着かない顔で私を見る。おおかた、娘のどちらかに言われたのだろう。
 何度座り直してももぞもぞと据わり悪そうに動いているのを見て、少し笑ってしまった。

 次に帰省してきた娘が、以前と変わらない席で今までより椅子の位置を近づけて座る私たちを見て呆れたように笑うことなんて知らないから、今は向かい合って座る新鮮で懐かしい距離を楽しんでみようか。

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