2022Wi志乃【ロープウェイ】

 旅の思い出に、と宿からしばらくバスで山を登り、ロープウェイの乗り場へやってきた。車酔いもせず、運賃を払って降車し、穏やかな緑の空気を胸一杯に吸い込む。暑くもなく寒くもなく、のんびりと観光するにはちょうどいい陽気だ。
 ただ山のてっぺんまで行って帰ってくるだけの、本当に文字通りの物見遊山。しかもそれほど標高も高くない上、人口に膾炙するほど際立って眺めがいいというわけでもないらしい。一人旅だからこそできる、気楽な観光旅程だった。
 私のほかには老夫婦が一組と、やはり一人旅なのか、くたびれた雰囲気の女がバスを降り、空を見上げてはホウと息をついている。平日の真昼間なので、バスの乗客も少なかった。休日であれば、もう少し賑わうのだろうか。
 ひなびた様子の売店を横目に、券売所へと歩き出す。山の麓の大きな駅に、土産物を売る店はいくらでもあったので、ここで買い物をする人はあまりいないのだろう。
 傷と劣化で白く濁り始めているアクリル板越しに、大人一枚、と告げて切符を買う。この出発駅と、山頂の終点しかないロープウェイなので、金額も大人か子供かの二択しかない。私の後から来た二組も、私が財布をしまう間にさくさくと切符を買っていく。褪色の始まった赤い矢印に従って、コンクリートの廊下を進めば、あっという間に乗り場へたどり着いた。
 ゴウン、ゴウンと太いワイヤーを巡らせる機械の音が響く中、係員が降りてきた空のゴンドラを開けては閉めて確認している。バスの時間を覚えているのか、人が来ることを知っていたかのように、係員はこちらを振り向いた。薄暗い中で判然としない営業スマイルを浮かべると、さっと手を挙げて私たちを招く。慣れた様子で声を張り、ご一緒でよろしいですかと問いかけてきた。
 老夫婦と女が目を見交わしている間に、私はひとりで、と一歩進んだ。降りてくる人もいなければ、乗る人も私たち以外にいない。それなら、十人くらいは乗れそうなゴンドラを独り占めしても問題はないだろう。
 するりと希望は通って、ぱちんと切符が切られ、私一人を乗せたゴンドラのドアが閉まる。
 大した揺れもなくコンクリートの箱から滑り出したゴンドラは、うららかな午後の日差しの中をするすると昇っていく。あっという間に下を見るのが恐ろしい高さまで進み、森を切り開いた草原に小さく影を落とした。
 人が通る、地面がむき出しの道はない。それでも、ゴンドラが通るための道が確かにあって、遮るもののない一本道が燦々と照らされている。
 乗り場で聞いたワイヤーの動く音が近づいてきて、駅ではなくワイヤーの中途を支える柱を越えた。がくんと段差を乗り越えた衝撃で窓に手をつき、拍子に進行方向へ視線を持ち上げる。
 てっきりもう半分くらいは進んだものだと思っていたが、今初めて通り過ぎたような柱があと三本はあって、案外このロープウェイの道のりは長いらしい。山頂はまだまだ先だ。
 ハイキングコースのような登山道がチラチラと木立の隙間から見える。蛍光オレンジのブルゾンを着た親子が歩いているのを見て、子供を連れていても登れる山なのだな、と少し考えた。親子は楽しそうに歩いて、時折足を止めて休憩したり、登ってきた道や今いる地点から見える眺めを楽しんでいるようだった。
 自分の足で頂上までたどり着いたなら、単純な頂上の眺めの良さのほかに、達成感なんかも味わえるのかもしれない。
 ゆらゆら、また柱を越える。じっと箱の中でおとなしくしていれば、山道を歩くよりも遠くを見通しながら、山頂まで連れて行ってもらえる。それを味気ないと取る人は、きっと多い。
 だが、先人の苦労とその成果に甘えて見る景色というのも、決して無価値なものではないだろう。あの無味乾燥の乗り場も、一人きりで黙って外を眺める鉄の箱も、私にとってはこの上なく自由な居場所だ。閉じこめられているようで、逸脱を許されないようで、しかし日常とは全く違った世界を与えられている。
 なにより、あの親子と私の目指す場所、たどり着く場所は同じなのだ。
 道の眺めを存分に味わって来た親子と並んで、こうして益体もないことを考えながら山頂へ運搬された私が見る景色は、一体どんなものだろう。
 洞穴のような降り場が迫るのを見ながら、私は浮き立つ心のままにリュックサックを背負いなおした。

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