「絶望を希望に変える経済学」(日本経済新聞出版)書評

バナジーとデュフロの両ノーベル経済学賞受賞者による著作。翻訳は村井章子。この人が翻訳した著作が面白くないはずはない、ということで読んでみました。

内容は経済学部の出身でなくてもほぼ理解できる内容でした。そして面白い。以下この本について私がもっとも面白いと感じた部分(Chapter3 自由貿易はいいことか?)と、この本では書かれていなかったけれどもさらに突っ込んで書いてほしかった(単に私が読解力不足で見落としているだけかもしれませんが)と思う点について言及していきたいと思います。

「自由貿易はいいことか?」という見出しから、経済学をかじったことがある多くの方がリカードの比較生産費説を連想するかと思います。そして本書においてもやはりリカードに言及します。リカードの比較生産費説とは平たく言うと各国が他国と比較して相対的に優位な生産性を誇る分野・商品に生産を特化することで、各国が利益の総量を増やすことができる。よって各国は関税など課さなくても自国経済をうまく回すことができるはずである、とする自由貿易推進の考え方です(リカードの比較生産費説については書籍やインターネットの解説が多数存在するので、ここでは詳しく言及しません)。自由貿易を推進するWTO(世界貿易機関)の存在を全面的に肯定するための理論的支柱と言ってもよいかと思います。

しかし、本書ではこの考えを痛烈に批判します。

まず、比較生産費説では自国が相対的に優位性を確保できる分野・商品に特化すべきと考えますが、特化する過程においては当然のことながら産業構造の転換が迫られます。その際、相対的に自国が劣位にある分野・商品の生産に従事していた労働者は

①自国が相対的に優位性を確保している分野に転職する。あるいは

②自分が元々従事していた分野が相対的に優位である地域・国に移住する。

のいずれかで対応することになる、とします。

しかし本書では①に対しては、

労働者が他の分野に転職するのは容易ではない。

②に対しては、

仮に労働者は失業したとしても、容易に他の地域・国には移住しない。

として批判し、その例としてアメリカのラストベルト(かつては鉄鋼や自動車産業で繁栄していたが今は寂れている五大湖周辺の地域)等に言及します。

この考えは自分自身に置き換えてみれば当たり前で、自発的失業でもない限り、「新しいこと始めなあかんのか!」とか「生活していけるかも分からへん新しい土地に引っ越さなあかんのか!」とか考えてしまい、リカードの期待するような行動には移らない可能性が高いです。本書では非自発的失業の場合、自尊心が傷つけられることが上記の行動パターン(=リカードの予測に反する行動パターン)につながると言及しています。

以上が本書の中で私がもっとも面白く感じた点ですが、ここからは本書で言及されてはいなかったものの個人的には言及してほしかったと思う比較生産費説否定論を展開していきたいと思います。(私の読み落とし、あるいは言及するまでもない陳腐な考え方であったならばご容赦ください。また少し不正確な表現もありますが、同じくご容赦ください。)

まず自国が相対的に優位な部門・産業に特化するとなった場合、

①他国に比して相対的に劣位にあった産業で経済活動を展開していた企業が業態を変更する。あるいは

②他国に比して相対的に優位にあった産業で経済活動を展開していた企業が事業を拡大する。

の2通りになると思われます。

まず①の場合、企業が新規事業を展開する場合というのは、財政的に余裕がある場合でなければ困難であると思われる点。なぜ業態を変更しなければならないかというと他国に比して相対的に劣位にあったからであり、業態を変更せざるをえないような企業はその時点で財政的に逼迫しており、業態を変更するような財政的余裕はないと思われます。また、企業が新規事業に乗り出す場合の多くはM&A(買収・合併)であり、何もない所に元々相対的に劣位にあった企業で他の業態で働いていた労働者を採用して元々相対的に優位にあった既存企業と勝負するというのはかなりの困難を伴うと思われます。(私個人では楽天モバイルのようなケースしか思い浮かびません。その楽天モバイルでさえグループ内の他の事業の利益をつぎ込んでいるというのが現状ではないでしょうか。)大企業にしかできない業だと思います。そして仮に新規事業に転換する際に、既存の比較優位の企業から有能な社員を引き抜けたとしても、その社員に競業避止義務が課されていればその才能を活かすことは困難となります。(どことは申しませんが新聞等ではこういった事例で訴訟に発展しているという記事が散見されるはずです。)

以上が①の場合の否定論です。

次に②他国に比して相対的に優位にあった産業で経済活動を展開していた企業が事業を拡大する場合ですが、これは①の場合と比較すると企業側からすると比較的容易に取り組めると思われます。しかしながらこれはあくまで「企業」の側で容易であるだけということです。

企業の側からすると他国が相対的に劣位になった部門へと進出するので、その分の消費需要も確保できることになりますが、事業を拡大する企業からするとその需要をすべて満たそうとはならないはずです。皆さんや私が仮に経営者なら、今まで進出していなかった地域の需要がどの程度か見定めるのは困難であることから、相対的に劣位にあった企業が元々確保していたほどの雇用を確保しようとはならないはずです。結果失業者が増加することが予想されます。

また、相対的に優位な既存企業が事業を拡大するとなると、マス化のメリットが生じ、労働生産性がさらに高まることが予想されます。結果それまで相対的に劣位であった地域・国で雇用されていたほどの労働者を確保する必要がなくなり、失業者は増加すると思われます。

以上が「絶望を希望に変える経済学」の書評とそれに悪乗りした私見でした。

拙文であるにもかかわらず、最後までご清覧くださいましてありがとうございました。

※ここまで「他国に比して相対的に」との記述をしてまいりましたが、比較生産費説において「他国に比して」は不要な表現かと思われます。ここまで我慢してご覧くださった方ありがとうございます。もちろん比較生産費説に初めて触れたという方はスルーしてくださっても、この件については結論は何ら変わらないので大丈夫かと思います。




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