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Dear くにっち

この週末は重たい課題がどさっと溜まっていて、ただでさえ晴れない天気の中、自分の心にも厚い雲がかかっていたようだった。

なんてスタートしてみたけど、今はそのうちの一つが終わって、全くプレッシャーがないってわけではないけど、幾分穏やかである。

今日(月曜日)にはグループで書くリサーチプロポーザルのドラフト提出の締め切りと、個人でやる課題(二つのペーパーを比較して、研究手法の比較についてエッセイを書きなさい的なもの)の締め切りであった。自分の心を重たくしていたのは紛れもなくこの前者、グループ課題である。

メンバーは4人。グループでリサーチプロポーザルを書くというのはなかなか難しい。Aさんがリサーチトピックで、Bさんがトピックの背景を担当して、Cさんが研究手法を書いて...なんて分担はできない。全員で一つの興味を話し合って、リサーチトピックを探して、それをリサーチクエスチョンへと絞り込み、それに対するバックグラウンドを分担して書いて、お互い書いたものをスカイプしながら検討しあって結び付けて、それを研究手法へつなげて、、と全てのプロセスでそれぞれが考えたものを全員が共有し、チビチビ前へと進んでいく必要があるのである。

これはとても難しい。人間関係的な側面で発言を躊躇してしまうような場面にも出会すし、誰かが引っ張るものの違う方向に持って行ったり、発言しない人がいたりなどなど。グループで一番初めにミーティングをした時はさほど自分はみんなと仲良いと感じていなかったこともあり、最悪だ...という気分であった。

ただやっていく中で面白かったことがある。それは自分がリサーチプロポーザルを考えるに当たって重要視していた部分と他のメンバーが重要視していた部分が違っていたことだ。

自分たちのリサーチクエスチョンは「南アフリカの憲法がイスラム教の宗教結婚を認識していないことによる、ムスリム女性への影響(impact)はどのようであるか」となった。(え!となった方はこちらに。)まずはバックグラウンドを、南アフリカにおけるムスリム女性の社会的立ち位置、南アフリカの結婚に関する憲法の変遷、憲法がイスラム教の宗教結婚を認識していないことに関する過去の研究の三つに分けてそれぞれが担当をして文献をあたった。

自分は3つ目を担当した(ここがプロポーザルの肝になると思っているので、プレッシャーを感じまくっていた、故に週末自分の心はどんよ〜りであった)。自分たちの問いに対して過去にどのような研究が蓄積されて、どのような穴があるのか(逆に自分たちが研究する理由になる)。これを踏まえないとリサーチクエスチョンは明確にならないし、ということはその問いに答えるべき情報も明確にならないし、ということは研究手法も明確にならないし、ととても大切な部分であると思う。さらに"impact"という言葉はとても広いので、ぶっちゃけ"impact"ってなんやねんってところを突き詰めなければ、集めるべき情報もわからない。自分の担当した部分はそれを明確にする役割を担っていた、のだと思う。

しかし、グループのみんなは、”impact”という問いで十分であると思っていたようであった。なんなら自分が3つ目のパートを書き終える前に研究手法の話に移ろうとしていて、自分はんんん????となっていた。

結局、「過去の研究は南ア憲法がなぜイスラム婚を認識できないのか、という政治的な分析等に集中しており、実際に認識していないことがどのように人々の文脈に落とし込まれ、受け取られ、実践されているのかという実生活に根差した研究が少ない。その過程でどのようにムスリム女性に対して不利な社会構造が再生産されていくのかという部分を”impact”と定義づけて問いにしよう」と提案をした。

提案をした時、ミーティングの目的は研究手法について話し合うということだった。だから自分以外のみんなは具体的な手法(量的調査とか質的調査とか、具体的にどのような機関に協力を依頼するかとか、細かいところまで)を持ち寄っていた。それに比べて自分が持ち込んだアイデアは、その一歩手前(バックグラウンドと過去の研究とリサーチクエスチョンを繋げて必要な情報を明確にさせること)+大雑把な研究手法という感じだった。

ここで驚いたのは、自分がこの話を持ち込んだ時、みんながohhhhhという感じで納得してくれたことである(素直に嬉しい)。自分としてはそこがないとプロポーザル進まぬ!!という感じだったのだけど、みんな的にはそうではなかったみたいだった。ただ、なるほどリサーチトピックと研究手法が接続された!というような感じだった。

もう一つ驚いたのが、他のみんながすごく細かいところまで研究プランを想定して持ち込んでいたことである(〜の機関にアポをとって〜人のアシスタントと連携して...)。またその手法を使う上での危うさなどについても考察していた。

なるほど、もしかしたら単純に自分の思考回路とみんなの思考回路が違ったりしているのかもしれない、なんてこのとき思った。自分が着目したポイントはどちらかというとwhyの部分(なぜその研究をするのか)でみんなが着目ていた部分はhowの部分であるように思う。もちろん、今回違ったものを持ち込んだということが単純に思考方法の違いというわけではないと思うし、それぞれが研究について今まで学んできたことは違ったりするわけで、そういう要素もあるとは思う。ただ、なるほど、違うのかって思うことで一つ見えたことがあるような気がする。

というのは、criticise(批判)から入るのではなくてintegrate(統合する)姿勢を常に持っておくのが大事なんだなということである。初め自分は、「リサーチクエスチョンをもっと練らないと次に進めないでしょ!!」と思っていて、思わず研究手法に進もうとしていたメンバーたちを批判しかけていたけれど、でもみんなの持ち寄ったアイデアを見てみるとそこには明らかに自分の考えが及んでいなかったものがあったわけで。結果それぞれが違うものを持ち込んできたからこそ、それを整えながらくっつけながら一つのドラフトプロポーザルが完成した。なーに、批判じゃなくてまずは受け止めるって、小学生の時に習うことやん!と思ったあなた。たしかに。でも大人になればなるほど、知識をつければつけるほど「これが正しい!」ということは増えていって、それが知らぬ間に物事の前提になっちゃうこと結構ある気がするのです。そういう時って、多分知らぬ間に、正しいと思いながら、相手の意見を受け止めてると思い込みながら結局批判しちゃったりすること、あるんじゃないかなと思う。

友人が「今の時代、編集が鍵だ」と口にしているのをよく耳にする(これを読んでくれてたらなんとも恥ずかしい!)。正直自分は、編集という言葉がすごくミクロなものな気がして、「今の時代」というとてもマクロな言葉と一緒に使われることに対して違和感を感じていた。だからあまりよくわかっていなかったような気がするし、今もそこまでわかっているか自信はないのだけど、一つ今回のような経験がその編集の技術に当たるのかなと思った。とてもありがたい経験だった。

と、いうことで一つ肩の荷が降り(これはドラフトなので、いったん提出したのちに12月末にかけてもう一度推敲していく〜)、またこの苦行を乗り越えながら最初はぎこちなかったメンバーもいい感じの雰囲気になってきた。最高!ということでルームメイトが作ってくれたメチャうまなフランス料理Confit de canard(トプ画のやつ。赤ワインとともに。。)を日曜夕食に食べ重苦しかった週末を一気に挽回した。ちなみにグループプロポーザルに全時間を費やした自分は、個人課題はあえなく敗北し、締め切り間に合わず。明日も続きやりまーす(水曜日には出したい。。)。

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