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リトルRyoheiと刹那

いかに刹那的に生きていられるか。

これが自分の今の課題であるように思う。今、とは言いつつもきっとずっと前から薄々と感じてきていたことだし、これからもずっと向き合っていくものかもしれない。

まるでリトルRyoheiてやつがいるかのように、何かにおいて自分の置かれた状況を客観的ぽく捉えようとする何かが自分の中にはいる。そいつは実態がないことをいいことに時間も空間も好きに飛び回っているようである。

自分の置かれた状況をそのままに受け止めることができれば、きっと味わえることはたくさんあろうに。そいつは何かと自分に物を囁くのである。

お前の英語は文法的にあっているか。
お前の質問は表に出すに足るほどクリティカルか。
今日これくらい行動しないと課題の締め切りには間に合わないかもよ?
お前の行動にはなんの意味があるの?

このリトルRyoheiに引っ張られて自分の思考はだんだんとその瞬間から離れ、結果自分の身体の動きは置き去りになる。作業興奮(動いてたらそのうちやる気が出てくるみたいなやつ)てのは言葉で知っていても、身体が動かない、なんてことになってしまう。

でもこのリトルRyoheiは時々いい役割もする。それは自分がフィールドに出たときなんかに発揮されるのである。文化人類学というのは、様々な状況において常に境界に自分の身を置くことを必要とする、と思う。フィールド先にどっぷりと身体をつけ込みすぎると具体の経験を抽象に落とし込む部分を見失う。一方で離れすぎていてもフィールドの経験は無意味なものになってしまうのだ。

フィールドに出ているとき、自分は自分の感覚を拠り所に、嗅覚として意識する。普段感じない感情が湧き上がったとき、それが何を意味するのかを考える。突然泣き、怒り、喜び出すモザンビークの人々。ビビッときた。彼らの感情が彼らの人生の中心にずっしりと座っている気がして。それはなぜかとなった。感情を表に出すのが苦手だったからこそそこに自分は魅了されているのかもしれない。彼らは彼らの感情を中心に、周りの環境を飼い慣らしているように見えた。一方自分はどちらかというと感情を押し殺して何か別の物を基準に生きてきたように思う。この差はどこから生まれているのか。社会的な物なのか。

リトルRyoheiは囁いた。モザンビークの彼らと酒を飲みながら馬鹿みたいに踊っている時ですら、囁いていた。僕は彼らと一緒に踊っていて笑っていたが、そこに没入していたか?と問われるとやっぱりそれはできなかった。

それはちょっと悲しいことでもある。人生通してずっと、馬鹿みたいに遊べる人、ふざけられる人に憧れを持ち続けているのも同じ理由であるように感じる。

ただ、だからきっと研究という形でモザンビークの人々の感情を取り扱いたいのだと思う。それはきっと25年間一緒に生きてきたリトルRyoheiがいたからこそ生まれ出た視点であるように思う。

ただ、そのリトルRyoheiに舵を取られ続けていてもできないことがある。刹那的に生きたい。その研究を実のあるものにするためにも、刹那的に生きていく必要があると思う。もっともっと自分を刹那で埋め尽くしていくのだ。

最初からバランスなんて求めずに、バランスは後から取れればいいんだし。

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