見出し画像

I AM FROM AUSTRIA そしてピガール狂騒曲 多様性とジェンダーロールと

ここで宝塚歌劇団についてしっかり書くのは初めてじゃないか?このところ抱えてきた思いを今日のLIVE配信で確固たるものにしたので、どうにか言語化してみたいと思っている。ただのヅカオタのつぶやきです。

前提として書いておくと、私のご贔屓は月城かなとさんで、この人のせいで宝塚沼に落ちました。2017年の11月だった。めちゃくちゃ衝撃の出会いだった。あんな美しい人が存在するなんて?今でもそう思います。以降月城さんの出演する大劇場作品だけはチェックしていて、今や月組みんなまとめて大好きです。珠城さんも大好き。さくらちゃんも大好き。退団が発表されたときは泣いた。あとほかの組にも多少贔屓にしているジェンヌさんがいます。CS放送も加入してしまったので、なんだかんだ宝塚歌劇団についてちょっとずつ詳しくなりつつある……そんなヅカオタが書いているため、月組贔屓の視点であることはご了承いただきたいのです。


まず、前作「I AM FROM AUSTRIA」(以下IAFA)について。私はこの作品が本当に好きで。おそらくこの投稿もIAFAの話が中心になると思う。
宝塚の作品ってけっこう悲劇も多くて、悲劇ゆえ?の深くて良質な物語がたくさん上演されているけれど、このIAFAは真逆。スーパーハッピーミュージカルだった。わかりやすく明るく元気な作品といった感じだろうか。疲れたときにIAFAは効く。


ウィーン発の人気ミュージカルなので、もとから質の高い作品であることは間違いないのだろうけど、そこを宝塚がある程度上品に潤色しているらしい。本家と比べてどうかはわからないけれど、私はとても良い作品だったと思う。

IAFAを初めて見たときの感想としては、「はぁ~~~元気出た~~~!」という語彙力のないものと、もう一つ「現代劇、いいなぁ……」だった。
女優であるヒロインのエマが自分の人生を自分で切り開くために一歩踏み出す姿が描かれて、ゲイのサッカー選手や市井の貧しい人々が出てきて彼らもまた受け入れられている描写があり、あとは女性警察官も出番が多くてとてもカッコよかった。
歌詞のトンチキさ(「マッチョ!マッチョ!」「バンザイバンザイ筋肉~♪」といった歌詞がある)に何も考えず楽しんで終わらされそうになるけれど、それだけじゃなくて、多様化する現代社会が前向きに描写されていた。そこがすごくよかった。

宝塚は女性だけの劇団でありながら、昔ながらの男尊女卑だという指摘を時々耳にする。そこは私も同感だ。いいのかなぁと思いながら、彼女たちのパフォーマンスのすばらしさに、いつも何も言えなくなってしまう。
女性が男性を演じることがやはり大きな特色であるので、男性キャラクタの活躍がメインになりやすいのだと思う。(有名な「エリザベート」はタイトルロールがそもそも女性だからわりと女性メインではあるけれど。帝劇版よりもトート閣下の出番が多いという話を聞いたこともある。帝劇版は見てないので何とも言えないけど…)
まあそれが売りなのだから、それで良いのかもしれない。でも、男役だろうと娘役だろうと、タカラジェンヌは全員、一般人には想像もつかないような努力をしてあの一員になっているわけで、演技もダンスも歌も、そのパフォーマンスのレベルの高さは男役であるか娘役であるかということは関係ない世界なのだ。
それなのに、表向きには娘役が添え物に見えてしまうことがある。

画像1

写真の左側のポスターの白い人物5人は全員各組のトップ娘役だ。それでもこの小ささ。同じ衣装でとりあえず並べられているような。
構図としては、このスペースに10人もずらりと並べられないのだろうし、やむを得ないのかもしれないけれど、男役>娘役なのだなぁと思わされてしまう一つの例といえると思う。

話を戻して、IAFAで感動した女性警察官について、もう少し説明すると、男性警察官と対等な存在として描かれていたのが珍しいなと思ったのだ。たぶん、いつもの宝塚作品なら、女性警察官はスカートだったんじゃないかと思う。IAFAではスカートではなくパンツスタイルで、男性警察官と同じ衣装、同じダンスをしていた。男でも女でもなく「警察官」としての描写だった。そういえば、ホテルのクリーニング係も男女どちらもいたっけなぁ(今思い出した)。そういう、性別による職業の分業が少ないのはIAFAで特徴的な描き方だったと思う。

例えばフィナーレのダンスパートであれば、黒燕尾服の男役とドレス姿の娘役に分かれて群舞する姿に対して、性別で分業されていて良くないなどという不満を持つことはないだろう。作法として、パフォーマンスとして、一つの型であると思うから。
一方、物語のある作品では、時代背景に合わせて性別の扱い方も変えていかなければならないと思う。IAFAは現代劇だからなおさら。(そういう意味では花組の「花より団子」はちょっと…原作ありきなので仕方ないのだけれど、未成年ヒロインが酒を盛られてホテルに連れ込まれるとか…平成初期の時代設定だからOKになるのだろうか。私はどうにも受け付けなかった…こういうのはだんだん淘汰されていくんじゃないかなぁ…)

IAFAの職業に男女の偏りがないところは、すごく素敵だった。そこに、女性の強さが加わって、マイノリティ:ゲイや生活に困窮している人々を受け入れるおおらかさが加わって、なんだか頼もしい作品だと思った。そういうことに変に焦点を当てているわけでなく、多様であることが当たり前に描かれていたから。そういうのが普通の世の中になるように、演劇作品も後押しできることがあるのだなと思って、頼もしかった。
(そもそも生活に困窮している人たちをただ受け入れるだけじゃ世の中ダメなんだけど、それでも「彼らも同じオーストリア人だ」というのは暖かい視線だったと思う。そして、ゲイの恋愛については、うーん、多少オモシロ要素にされていた気もするからそこも課題なのだろうけど、該当キャラクタを取りまくキャラクタにもマイノリティへの偏見はなかったのでありなのではないかなぁと思っている)

そしてようやく最新作「ピガール狂騒曲」の話である。同時上演の和物ショー「WELCOME TO TAKARAZUKA」については割愛。それはもう素晴らしかった。月城さんまじで美の暴力。
「ピガール狂騒曲」はシェイクスピアの喜劇「十二夜」を原作として、今から100年くらい前のパリを舞台にしたコメディミュージカルだ。

ピガール自体は、「女性が男装をして自分を偽っている」というところが大きなポイントになる物語なので、どうしても男か/女かという違いが大げさに書かれることは避けられなかったのだと思う。若干ネタバレになってしまうけれど、ラストのセリフが、女性であるか男性であるかを強く意識させるものになっていたのは、まぁしかたないよなぁ……
一方、19世紀末~20世紀初頭の話なのでIAFAほど全面的に女性が前に出てくるわけではなかったけれど、当時の女性の立場で、これから自分たちがどうあるべきかを強く主張する場面が何度かあったと思う。そういう風に主張し、行動した女性がいたから、世界中で女性の社会進出が広がったのだろうなぁ…と、その時代の特色も何となく感じられる場面だった。

IAFAでもピガールでも、その主張をするキャラクタを演じるのはさくらちゃんで、彼女はそういう役が本当によく似合う。(男性に付き従うような役はあんまりハマらなかったもんね…)
さくらちゃんは、自身が演じたIAFAのエマを印象に残っている役でよく挙げていて、やはりエマの生き方に大きく影響を受けたのだろうと思う。やっぱり、あのミュージカルが多様性を描いたことは、確かに誰かの救いになっている。

それにしても、月組のプロデューサー?の中でそういう女性の自立みたいなものがトレンドなのだろうか。そういうのどんどんやったらいいと思います。来年は楠木正行と弁内侍をウエクミ先生が描くので、いろいろ期待したい。

とりとめもなく書いてしまった。
男役の揺るぎのないカッコよさは間違いない。私だってそこに夢中になった。
だけど、このまま男尊女卑の体制をとり続けていてもよいのだろうか?
宝塚を愛することは、このジレンマをどう乗り越えていくかを考えることでもあると実はこっそり思っている。過去の作品は過去の作品で素晴らしいものがたくさんある。だけど、これから。これから作られていく作品には、時代背景によっては仕方ない部分があるにしても、もう少しだけ現代の状況をふまえたものが増えていくといいのになぁと思う。
胸の片隅に、もやっとする思いを抱えながら、それでも虚構の世界の美しさに目を奪われてしまうので、あんまり説得力はないのだけれど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?