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#6座右の書のはなし
この本は私のバイブルだ。がちもんのバイブルだ。
「お前、これ読んどけ」
三年前のある日、父にそう言って手渡された数冊の本のうちの一つがこの本だ。手渡されたなかには「若きウェルテルの悩み」「日本人はいかに生きるべきか」「単純な脳、複雑な「私」」「人生がときめく片付けの魔法」などもあった。最後のは、あまりに私の部屋が汚いからに違いない…。
ウェルテルの洪水のように溢れ出る激しい心が、ドイツの四季折々の自然描写とともに描かれる。ウェルテルが友人にあてた手紙でほとんどが構成されている。
これも読んで興奮した。日本で生きてるとあまりに当たり前すぎる、けれど心のどこかでもやもやしていたことを言語化してくれる阿部謹也。
とっつきにくい脳科学をわかりやすく教えてくれる。びっくりすることが多い。目次だけですでに面白い。「今ここに立っている不思議」「脳を覗かれる」「「あんな人と付き合うな」は有効か」とか。
最後は私の部屋の画像である。
冗談です。
こんまりさんのおかげでクローゼットはかなり理想に近づきました。クローゼットは。
不思議な本
「自分の中に毒を持て」
とても不思議な本だった。太郎氏は1911年生まれの、言葉通り20世紀を目いっぱい生きた人物だ。私が生まれたのは1999年なので、タッチの差でかぶってない。そのくらいの時代の人が書いたとは思えないほど、この本の文章は読みやすい。読み手に語り掛ける文体もそうだが、一番は語る内容だ。当時も今も、私の心にジャストミートする。
本当に生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きることだ。それを忘れちゃいけないと思う。 熟すということは、技能や熟練とは関係がないというのがぼくの信念だ。芸術は勿論、スポーツも歌も会話もすべて、下手なら、むしろ下手でいいじゃないか。そう思って平気でやればいい。もっともっと下手にやろうと決心すれば、かえって人生おもしろくなるかもしれない。むしろ、歌やスポーツや会話のうまいなんて奴にかぎって世間の型や基準のもとに決められちゃって、それにならされている人間だ。(本文抜粋 p.72)
私の生きる指針になる、と思った。この本を上着のポケットに入れて常に持ち歩き、堀辰雄氏の「風立ちぬ・美しい村」と交互に何度も読んだ。
ただ、太郎氏とまったく同じ生き方をしようとは思わない。彼のように逆境に興奮することはあまりないからだ。しかし彼のエッセンスを取り込むことは、私の精神の健康に良かった。
不思議な点はもう一つある。
この本を日常的に読んでいるときは調子がいいが、しばらく読むのを忘れていると、気分が落ち込んだり乱れたりするような出来事が起きたりする。そんなときにパッとこの本を開くと、なぜか私に今必要だと思えることが書いてあるページに出会えるのだ。
いい内容の本でも、その考え方を自分のものにすることは難しい。たいていは読んでしばらくすると思い出さなくなってしまう。
読めば読むたび新しい発見がある。読みやすいから何度でも読める。
もーほんっと大事な本なのだ。
とはいうものの、大雨の時に水没させてうっねうねなのだが
ふっふっふ
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