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殺人罪のAさんの涙

刑務所にいる殺人罪のAさんが、私の送ったクリスマスカードを読んで泣いたそうだ。正確には、同封していた子供に描かせた折り紙のメッセージに泣いた、と言っていた。子供は、このネットのご時世私が毎月毎月便箋を買い、どこかの誰かにせっせと手紙を書き綴っていることを見てきたのだろう。
子供はカードの冒頭に「ママのおともだちへ」と書いていた。Aさんはそのことに涙が出たそうだ。

Aさんと交流してはや2年。
2年間の中でAさんが泣いたという話は初めて聞いた。Aさんは「ママのおともだち」と認められたことがうれしかった、と何度も何度も綴られていた。私はAさんが、私と文通しているのだから、私の家族には認められて当たり前だと思っていた。Aさんがそんな基本的感情に疑いを持っていたことにすら私は無知だったのだ。Aさんにとってはあくまで交流しているのは私だけで、夫も子供もそうは思っているまい、自分など認めていられないとはっきりした線引きを持っていたのだと思う。
Aさんは、「ママのお友達って認めてくれたの?うれしい、涙が出た、何かしてあげたい…」ということをひたすら便箋2枚に綴ってくれた。このとき7歳の童女にさえ赦され得ないという気持ちはどういうものだろうかと私は思った。胸が不自然にぎゅうと締め付けられるような苦しみはあった。

最近大声で笑うことがない、将来どうなるのか見えない、毎日変わり映えがないといったことはAさんからよく聞いていた。けれど、Aさんはどちらかというと社会や人間に恨みつらみを持っていない。長い刑務所生活でそんな感情ははるかに諦めきっているのかもしれない。
Aさんは首都圏の災害やコロナクラスターが起こると必ず気にしてくれ、次の手紙で思いやりのにじみでる丁寧で優しい言葉で心配してくれる。そんなAさんには私のようなものにはとても安定した方に思われて、私がいちいち叱咤激励しなくともそれなりの満たしはあると思っていた。

そんな思い込みこそ私の完全な奢りだ。人がそんな強いわけはない。事件は私が生まれたころにさかのぼるほど古い。Aさんはその一回の過ちで生涯赦されない身となった。10人にも満たぬ裁判官たちで決められた刑期が覆ることはなく、このままいけばおそらく刑務所で命がつきるまで過ごすことになるだろう。
被害者でない私は「もういいんじゃないか」とどうしても思ってしまう。これほど力弱き老年のAさんを社会に出したところで、どんな犯罪が起きるというのだろう。法を作ったのが人間であれば、法を運用するのも人間だ。人間は人間の作った法により、セカンドチャンスの機会を作れない。ひどく不全な仕組みだ。人が人を裁くことの重さを人はあまりに知らない。人の命を奪うとはAさんのように腕力という機会に限らず、組織として、権力として、時代として、倫理観として、ときには正義として奪ってしまうことがある。

人が立ち返るときは人の恐怖や憎しみに触れたときではない。むしろそれでは逆だ。どれほど人がよくしてくれたか、どれほど自分は尽くされたか、そこに人は背負わざるを得ない十字架を負うのだ。このときに人は立ち返る。そういった優しさや思いやりに自分の未熟さが補われ、戒められ成長していく。
裁かれるときも人間による手作業なら、立ち返りにも人間による手作業の具体例が必要だ。人は自分の存在が許されたとき、いいようもない充足感と満足感を与えられ、ようやくこの世で活躍しようという気が興される。起きるのではない、自然と興される。
Aさんはもう十分責められてきただろう。罪の重さも嫌というほど知っているだろう。何千、何万回と首を垂れて悔いてきただろう。そんな人間を未だに刑務所に入れておこうとする人間こそ、自らの甘ったるい無謀な暴力に気づかない。

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