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死ねなかったら生きてない

死ぬっていう選択肢が出来たから生きやすくなったんだと思う。

皮付きのままグリルされた淡路島産の玉ねぎを眺めながら彼女は言った。

そういえば、阪神淡路大震災は、たしか私たちが生まれて間もない頃だったように思う。

そしてわたしは、カッターを腕に当てて、声を漏らさないように、部屋で1人激しく泣いていたあの日を思い出していた。

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2011年5月、高校3年生のわたしはうつ病・自律神経失調症・軽度のパニック障害だと診断を受けた。

あのときのわたしは、毎日泣いていた。自律神経失調症の症状の1つである睡眠障害で、夜は眠れず天井を見つめながら静かに涙を流し続け、親の送迎で連れて行かれた学校ではパニックの発作が出ないように必死だった。

とにかく死にたかった。生きている自分をひどく呪った。
死にたい以外の気持ちがわかなかった。

うつ病で特に状態が悪い間は、死ぬ以外の解決策が見えなくなり、身の回りにあるものすべてが、わたしが死ぬための道具に見えていた。

ある日わたしはどうしようもなくなって、気づけばカッターを取り出して左腕に当てていた。

高2のときに同じクラスだった友人が、見えないように、誰にもバレないように、背中や肩のあたりをカッターでよく刺していると言っていた。

死にたいわけじゃなくって、流れる血を見て生きてることに安心してるんだよと言っていた。その気持ちが少しだけ分かった気がした。

でもわたしは死にたかった。カッターを当てながら、これを深く刺して抜いて、血が溢れて、死ねるんだと思った。もしかすると、大きな動脈のある首の方がいいのかもしれないと思った。

簡単だと思った。

自分の命を終わらせることは、とても簡単なことだと思った。
お腹の底からそれを理解したそのとき、急に全てがどうでもよくなった。

わたしは、明日でも今すぐにでも死ぬことができる。
それも、とても簡単に。

いつでも死ねるんだから、もう少しだけ生きてみてもいいかもしれないと思った。

初めて死にたいと思ったときから15年も経っているのだ。
数日延びるくらい体も心も耐えられる気がした。

もう少しだけ、死にたい理由と向き合ってみて、希望を持って生きてみて、また耐えられないくらい死にたくなったら、死ねばいい。わたしのなかに死にたくなったときに死ぬという約束のような選択肢だけが残った。

カッターを取り出してから、そう思うまでにどれくらい時間が経ったかは分からない。カッターの刃をしまって、ひとしきり泣いて、落ち着いて、その日はいつもより少しだけ寝られた気がした。

それ以降、買ってからずっと使う機会のなかったパンダの絵柄が表紙のノートに、いまどんな気持ちか、何が苦しいのか、これから理想的な人生を送れるならどんな人生にしたいか、わたしにとっての幸せはなにか、など、時間をかけて自分の考えを整理していった。

整理ができてきた頃には、症状もだいぶ見られなくなっていた。

そして、「薬で治ったら、この世にこんなに苦しんどる人間おらんわ!!」と言いながら薬をゴミ箱に投げ捨て(これは良くない)、病院をドタキャンして以降通院をやめ(これも良くない)、

いまはこうして元気に生きている。

診断を受けてから8年ほど。
もちろんそれなりの波はあるものの、睡眠障害や自傷行為、死ぬという解決策しか思い浮かばない状態などいわゆるうつ病の症状は通院を取り止めてからは見られていない。

ちなみに、家族のことが悩みの主な原因だった。いまではやせ我慢ではなく純粋な気持ちで、尊敬や感謝の気持ちもあるし、あのときの家族の言動もそれぞれの事情があったのだと思慮することはできるようになった。

それでもまだ長く実家にいると、心がグッとなることがある。
この年末年始も、少し厳しい。

しかしながら、いつもわたしの奥底には「いざというときは簡単に死ぬことができる」というわたしにとっての真理のようなものが脈々と流れている。

そしてそれを感じた上で、死ぬという選択をしないことを自らの意志で決めている。

わたしの意志で死なない以上、わたしが死ぬのは、事故・事件、病気・災害など、自分で決められないタイミングでしかない。

だから、いつ来るか分からないその瞬間までをひたむきに生きようと、今日は、思っている。

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生きることを自分で決めているわたしたちは強い。

あのとき死ぬに死ねなかった臆病さが、今日生きることを決める強さになるとはなんとも皮肉なものだ。

このことを、誰かと共有できる日が来るとは思っていなかった。
とても幸せなことだと思った。

「死ぬって選択肢がいつもあるようになってから、ちょっと強くなったと思う」
「もっとパワーアップできる気もするんだよね」
「ちょっと生きるの楽しくなってきた」

彼女もわたしも、もうしばらく生きているんだろう。

玉ねぎは冷めても十分に甘かった。

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special thanks to miyu
生死をさまよった2018年。
の、ブログの文章を読んで、わ、いまだ、
いま書かなきゃって、思いました、
ありがと、!

わたしが楽しく書いているだけ、と思っちゃうので、サポートしてくださって嬉しいです!!!うわーい!