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2021年展覧会ランキング

観劇ランキングに引き続き1位しか発表しません。

1位:磯崎隼士個展「今生」

キュレーション:卯城竜太
「極めて退屈に塗られた」
ベニヤ板、血液

これはネオ・ダダのリーダー・吉村益信の住居だった場所が会員制のギャラリーとして今年生まれ変わった場所「ホワイトハウス」での展示。元住居なので展示の部屋はほぼ1つしかない。そこに壁一面に作家自身の血液がただ塗られた「絵」が展示されている。
行く前は苦手なタイプの作品だと思っていたけど、今年一番印象に残った展示になった。自分の直感を信じるのも大事だけど自分が普段見に行かない系統の作品を見に行ってみるのも良いことだ。

その時のノート


一つの作品の前でこんなに長く過ごしたのは初めてかもしれない。
まだ鼻の奥にほんのり鉄の匂いが残っている。

空間に足を踏み入れたときに最初に飛び込んできたのは匂いだった。床の木の匂いに混じる鉄のような匂い。2階建の住宅の床が一部取り払われて吹き抜けになったほぼキューブ状の空間の一つの面が「血がただ「塗られただけ」」の作品。

自然光のみの空間に存在するのは自分、作品、そして作家。
(作家は感覚が研ぎ澄まされているような感じと作品からは想像していなかった物腰の柔らかいさを持った人だった。)
少しすると作家が口を開き、ぽつりぽつりと会話が始まる。

作品を一望できる場所の椅子を勧められ、腰を下ろす。
会話の大半は他愛のないこと。私の仕事のこと、猫のこと、お能のこと。
私はせっかく作家が目の前にいるのだからと作品について尋ねる。

なぜ血液を使い始めたのかを聞くと、最初は油絵具を使っていた。それはそれでいろいろな表現ができて素敵だけど他の素材でも作れるんじゃないかと思った。具体的な理由はよく分からないとのこと。
偶然かのような口ぶりに反して私にはそれが必然であると思えた。

最初その空間は私にとって重苦しかった。「死」についての作品を作ったという作家自身の血が使われた作品は小さなスケールでの死の集積のように思え、痛みを感じた。その空間にいるのは苦しく、圧倒的な存在を持ったその壁が迫ってくるような感覚。

私自身が慣れないものと対峙している間も長い時間死や自身の血と向き合ってきた作家にとってはその空間は現実であり日常なのだろう。
ぽつぽつと会話を続ける。

しばらく経つと他の観客の出入りもあり、ただ黙って作品見たり、作品に触れたり、踊ったり、思い思いの方法で鑑賞する。

次第にその壁が優しいものになってくる。

死や喪失が穏やかに同じ空間に存在すると言うと大げさかもしれないが、太陽が少し傾いて光の入り方が変わったからか、圧倒的な存在へ慣れからか、息苦しさはなくなり、そこは空間は柔らかい太陽の光のように優しい温度を持った空間になった。居心地が良くなってきて去る理由がなくなり、作品を鑑賞する義務感からではなく作品に近づくことができるようにもなる。

しばらくして他の観客が来て私の椅子がなくなってしまったのでその空間を後にする。

ドアを閉めて新大久保の街に出ると旅先から帰ってきたときのような、自分にとって現実である場所に少し違和感があるように感じるあの感覚。

時計を見ると1時間近くが経っていた。


追記

死っていうとちょっとおかしい
生と死が一体になってる
有限の生=死



来年はもっと他人の作品を見たい。
あ、アナザーエナジー展を見てないので終わる前に見に行こう。


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