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2020年のうちに書き残しておきたい出来事

2020年は、これまでとは違う意味で本当にいろんなことがあった年だったように思う。

コロナによる影響で、仕事はリモートワークに。
営業で訪問できないどころか、今まで当たり前のように顔を合わせていた会社の方々ともテキストや音声のみのコミュニケーションをとるようになったのはものすごく不思議な感覚だった、もうずいぶんと慣れたが。
3月以降での出社日数を数えたら、5日間くらいだった。
11月中旬に新オフィスに移転したが、結局新オフィスはまだ出社していないまま年内の営業日が終了した。

緊急事態宣言が出たりして、人と直接会える機会がうんと減った。
外に出るときはマスクをつけるのが新時代のスタンダードなのもあり、遊びに出掛けた際の写真の多くはマスク姿のものになった。

個人的な出来事としては、楽しみにしていたライブや舞台が中止になった。
オンラインのライブ配信は、テレビと大差なく感じてしまい、なんだか味気ないなと思ってしまう。
来年以降は、今までと全く同じとまではいかなくてもまたライブや舞台を生で楽しめる世の中が来てほしい。

地元で過ごす時間が増えて、世代の違うお友達ができた。
ふらっと飲みに行くときに声を掛けられたり、釣りに連れてってもらったりしてもらえるお友達ができて楽しい。

あとは付き合ってた人と別れ、新たな出会いを求めるべくマッチングアプリを始めてみたところ、マーケティングに通ずるものを感じて日々是勉強也という気持ちになっている。

…なーんてことがあったわけなのだが、私の中での2020年を振り返ったとき、これまでの全ての出来事を差し置いてでも書き残しておきたいことがある。

我が家の犬の話だ。
(ちなみにこれは私のLINEアイコンでお気に入りの写真。下に寝ているのは妹だ。)

2020年11月、犬が15歳にして息を引き取った。
私はたまたま実家に帰省していたため、最期を看取ることができたのはせめてもの救いだったように思う。

これは犬(どころか万物あらゆる生き物)を飼っている全ての人に共感してもらえると思うのだが、「うちの子」ってのは世界で一番かわいいものだ。

例に漏れず、私もうちの子が一番かわいいと思っている。
きっとこれからもずっと私の中のナンバーワンでオンリーワンなのはうちの犬以外にいない。

(昔、いぬのえいがという犬にまつわるショート作品集の映画が好きだった。
その中の「うちの子No.1」というミュージカル調の作品の中で、飼い主同士がうちの子の自慢をするものがあるのだが、そののフレーズがずっと耳から離れない。)

今回あまりにも突然の別れで、そこから悲しみに浸る暇もなく仕事やら何やらでバタバタしたまま、ここまで来てしまった。
今日がちょうど四十九日だ。

犬が生きていた証は、家族が思い出すしかない。
そう思い、最初は自分の中の整理用として犬の思い出をメモ書きしてはいろいろ思い出しては日々泣いていた。
多分いわゆるペットロスというやつなのだろう。

雑多に思い出を書いているうちに、このメモ書きをnoteにしたいと思った。
読んでもらえる人がいるのかは分からないが、うちの犬の話を読んでくれた人に我が家の犬の存在を知ってもらえるだけで、私の心は少し救われるのではないかと思ったからだ。

犬の思い出話を書いてみただけだが、思った以上の文章量になってしまった。
とはいえ人生の半分以上、犬と暮らしているのだから思い出が多いのは当たり前なのかもしれない。

田上が泣きながらこの文章を書いて、泣きながら推敲しているのだなと思いながら見てもらえればと思う。(世に出すために一部削ったが、きちんと推敲できているかと言われると自信は全然ない。)

うちに犬が来たのは2005年のことだった。
私は当時小学6年生。

昔から犬が飼いたくてたまらなかった私は、ペットショップやホームセンターのペットコーナーに行くと、ガラスケースの中の子犬の様子をずっと見ていた。
親から「もう行くよ」と言われると、うちで犬が飼えるわけはないと頭では分かっているものの悲しくて毎回泣いていた。

犬を飼えないのは分かっているものの、犬の図鑑やら犬の飼い方の本は買い与えてもらっていたので、犬に関する知識だけは飼っていないにも関わらず人一倍あった。
いわゆる耳年増みたいな状態だ。

それが小学6年生のゴールデンウイーク、急に中古車販売と並列して来ていた移動型のペットショップに連れていってもらった。
そこでなぜか急に犬を飼う流れになり、「責任をもって世話するんだよ」などと言われて、犬を連れて帰ってきた。

思い返してみても、このあたりはいったいどうしてこうなったのかが全然よく分からない。
嬉しすぎたのか思考回路がショート寸前だったのだと思う。

我が家に来たときの犬は、片手に乗るサイズだった。
犬は生まれて3カ月は親元で育てるべきだが、当時は生後2カ月ちょっとだったため、本当はまだ親元にいるべき期間だったのだろうなと思うのは随分後になってからだ。
本当は、犬の飼い方の本にも載っていたと思うのだが、念願の犬が来た喜びでいっぱいだったので、そういうことを気にする余裕はなかった。

「ルーキー」という名前は弟が響きでつけたのを母が気に入って、父が承認した。
私もいろいろ候補を出したが、全く採用されなかった。

母が父に「名前はルーキーで良いか?」と確認したところ「東山とかはおじさんになっても少年隊なんだから、年とっても若々しい名前で良いんじゃないか?」などと言っていたのを覚えている。
実際「名は体を表す」ということわざによるものか、いつまでも若々しくておじいちゃんになっても「赤ちゃんですか?」と聞かれることも多かった。

うちの犬はパピヨンという耳が大きい犬種なのだが、しょっちゅう会う人に「チワワですか?」と声を掛けられていたのもあり、実はチワワだったんじゃないかという疑惑があった。
後日無事パピヨンであることを保証する血統書が届いたのもあり、「ちゃんとパピヨンで良かった」と安心したものだ。

まあ、パピヨンだろうがパピヨンじゃなかろうが、うちの子がかわいいことには変わりがないが、成長したら被毛の量がパピヨンらしくなったのもありチワワと間違えられることも減った。

生まれつき足の筋が伸びて脱臼しやすい体質で、足の手術を経験したりしている。
あとは腸の手術もしている。
金がかかる犬だ、とよく家族で話していたのを覚えている。

うちの犬は、長崎生まれだ。
血統書にはそう書いているので、多分間違いないはずだ。
そこからなんやかんやで仙台で縁あって我が家の家族として迎えることになり、そこから札幌へ家族ともども移動した。
両親の実家への帰省の際にはフェリーを使うのだが、その時はフェリーに乗って一緒に旅行をしたし、飛行機にも何度も乗っている。

ちなみにフェリーや飛行機移動の際は、もちろんではあるが人と一緒にいることはできない。
フェリーは犬用の小屋が用意されている甲板近くに犬を預けて、ごはん等の様子をたびたび見に行く。
犬が船酔いをして食欲をなくしてしまったり、いつもと違う環境のためトイレもあまりしたがらない等大変だったが、それでも何回も海を旅している。

飛行機移動時には、キャリーバックごとグランドアテンダントさんに預けて目的地で引き取るのだが、おそらく荷物と同じところにいるのだと思う。
飛行機が着陸してから荷物を出している係員さんの様子を眺めていたら、うちの犬の入ったキャリーバッグを抱えている係員さんを見つけて思わず犬の名を叫んだことがあった。

家族旅行の際にもいつも連れていっていたので旅行写真にはいつも犬が一緒にいる。
うちの犬が自分を犬だと思っていないため、他の犬と一緒にされるのをストレスに感じてしまうがゆえに、ペットホテルに預けるという選択肢はなかった。

旅行写真を見ると、家族が代わる代わる犬を抱いている写真が出てきてなんだか面白い。
私含む子供たちが中高生になると、部活が忙しいとか思春期だとかで親と出掛けなくなっても犬は一緒に出掛けたりしていて、それもまた面白い。

あとは誕生日に撮ってもらっている写真にもいつも犬が一緒にいる。
(写真は、自分は目をつぶっているが、犬が一番かわいい顔をしているので選んだ。)

散歩に行くときには、お気に入りのキャリーバックに自分から入りに行って連れていってもらうのを待っていた。
散歩は飽きたら歩くのをやめて、キャリーバッグに入って帰る。
散歩後はおやつを楽しみにしていた。

家族以外には懐かないタイプで、友人が来ると吠えたり唸ったりしていた。
小さい脳みそでもうちの家族のことは、仲間だと判断できるのかと思ったものだ。

写真を撮るのも嫌がってカメラやスマホを向けると唸ったり噛んだりしてきた。
しばらくすると観念したように写真を撮るのを許してくれる。(というか撮られないようにするのを諦める。)

そんな風にして、15年一緒に暮らしてきた。
(私は実家を出たのもあって、実際は10年ちょっとだったが。)

当たり前だが、犬は喋れないし何を思っているのかも分からない。
最期の日は、食欲はあまりなかったもののいつも通り散歩にも行ったしワンワン吠えてたし、ギリギリまで元気だった。
まさか急にいなくなるなんて、全然思ってもいなかった。

15年という時間は思った以上に、ずっと長い時間で、その分の心の空洞も大きいようだ。
寝たきりになるような状態よりは、健康寿命が長いということだから幸せだったのかもしれないと信じたいが、もっとおいしいものを食べさせてあげられたら…とか、もっと撫でておけばよかった…という後悔の気持ちばかりが湧いてくる。

もともと犬が大好きで、将来は盲導犬のパピーウォーカーやリタイア犬ウォーカーのボランティアをできたら良いなと思っていたくらいだったが、今は大好きなうちの犬がいなくなってしまった悲しみを思うと、また犬や生き物と暮らすことはできないなと思う。

これからも心の中では思い出とともに生き続けると頭の中で理解はできても、なかなか心の整理はつかない。
書いたらスッキリするかと思ったもののそんなこともなく悲しみは癒えない。
今は犬のことを考えては泣いてしまう日々を過ごしているが、いつか思い出して懐かしく笑えるようになるときがくるのだろうか。
それともいつまでも思い出しては泣いてしまうのだろうか。
犬のことを忘れたくない思いのほうが強いので、泣いて過ごすほうがマシだと思ってしまう。

全くまとまりがないが感情がまとまってないので仕方がない。
以上、2020年のうちに書いておきたかった整理しきれていない感情の忘備録。

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