見出し画像

要約 『数学する身体』著者 森田真生

●ベストフレーズ

子どもの遊び場には、立ち入り禁止がたくさんある。「この先は行き止まり」が決められた中で遊ぶのは、いつもどこか窮屈だった。
その点、数学は広い。誰も行ったことのないところまで、好きなだけ遊んで行ける自由があった。 11ページより

●はじめに

数学はやりたい人だけやればいい、は本当か?

本日の一冊は、小林秀雄賞を最年少で受賞した数学者の森田真生さんの『数学する身体』です。

数学が苦手なお子さんから「数学なんて社会に出たら役に立たない」「数学なんてできなくても生きていける」というセリフを言われたことはありませんか? そしてその問いにどう回答すべきか悩んでいらっしゃいませんか?

数学との関わりが深くなった現代では、数学の中心にあるのは「心」や「情緒」ではないかと著者は述べています。数学を学ぶ上で大切なのは、五感で触れることのできない数学的な関心を続けてやめないことです。学びの本質とはここにあり、「役に立つから」「できないと生きていけないから」学ぶのではない、ということが述べられており、数学を勉強する目的、理由を考えるのに最適の一冊です。

●本文要約

1.数学を学ぶということはどういうことか

「数学する身体」というタイトルですが、この「身体」とは、手や足といった分かりやすい「身体」と数学との関係から始まり、数学を学ぶことが「身体」がなければ存在し得ない「心」にどう影響していくのかが述べられており、学びの深さについて言及されています。
数学者が書いたエッセイであり、「数学を学ぶということはどういうことか」についてのひとつの見方を示してくれる一冊です。

古代における数学とは、日常の具体的な問題を解決する手段でした。手足を初めとする身体を使うことでそれを可能にしており、暦を数えたり土地を測量したりするために、より実践的な「道具」として数字を用いていたのです。

古代ギリシア時代になると、計算することよりも「証明」することに価値が置かれるようになります。「なぜ」その理論が正しいのか?ということを証明することが「文化」になった時代です。この「証明」文化の代表作がユークリッドの『原論』であり、そこで使用するのは「図」でした。

17世紀以降の中世ヨーロッパでは「図」ではなく「記号」を使用する一般式が誕生します。ただし数学を一般式で表すことに対して数学者の限界が訪れます。「図」には物理的制約がありますが、「記号」には限界がなく、計算が複雑化するためでです。

20世紀に入り、コンピュータの基礎が生まれます。身体性のない「計算する機械」の誕生です。コンピュータの基礎を発展させたチューリングは「計算」そのものを物理的機械にしたものの、機械自身が「数学する」ことはできるのか?「数学する」上で思考する心やひらめき、直観という要素を機械自身がはできるのか?という問いをもちます。

もう一人、現代を代表する数学者として岡潔が取り上げられています。数学に厳密性や客観性が求められる現代において、岡潔はもう一度数学を身体化し、数学と一つになることを志します。人間が「わかる」ようになるとは計算や証明によってだけでなく、自己が変容することも大切な要因ではないかと主張しています。

「数学」という一見「心」など関係無さそうな学問であるにも関わらず、チューリングや岡潔の関心は最終的に「心」へと向かっています。その「心」とはひらめきであったり、無心でいる状態から現実世界へと意識が戻ってきた際の考え方の変化である、その「心」に裏打ちされるのはやはり「知識」なのではないか、と述べられています。

2.数の認知的な限界を人は身体を使うことで克服した

数は、人間の認知能力を補完し、延長するために生み出された道具である。人間は少数のものについては、その個数を瞬時に把握する能力を持っている。しかし、近年の認知神経科学の研究によると、三個以下の物の個数を把握するときには、それ以上の個数を把握するときとは違う固有のメカニズムが働いているらしい。 14ページより

実際に試していただきたいのですが、私たちは、三個以下の物については、数えなくてもその個数を瞬時に正確に認識できます。しかし、四個あたりを境にして、この能力は使えなくなってしまい、見ただけで個数を把握することは難しくなります。つまり数えなければ数がわからなくなるのです。
そんな人間の認知的な限界を補うために、人は様々な工夫を重ねてきました。つまり、指などを使って数を数えるということです。
しかし残念ながら私たちの指は10本しかなく、足の指を使っても20個までしか数えることができません。ストレス海峡諸島の原住民は、肘や肩、胸や足首など、全身を使って33まで数える方法を持っているそうですが、いずれにしても限界を迎えてしまいます。

3.認知的な限界を克服するために誕生した数字

紀元前三三〇〇年頃になると、シュメール人の手によって、世界で最初の文字が発明される。1を表す記号を二個三個と並べて2や3を表すのが基本であるが、4も5も同じ記号を四個や五個並べればようかというと、そうはいかない。ここでも人間の認知能力の限界によって、正確に把握すること自体が難しくなり、道具としての使い勝手が悪いからだ。 18ページより

例えば漢数字の場合は、一、二、三の次は「四」になりますし、ローマ数字の場合は、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの次は「Ⅳ」となります。このように、数字は古今東西、人間の認知限界に合わせるように工夫されてきました。
しかし、

続きは以下リンクからお読みいただけます。(残り6000文字)

4.計算する「道具」や「技術」も進化し、数学の生態系が作られた
5.結果の正当性を「証明」することが数学の主軸になった
6.仔細に見れるようになったからこそ、抽象的な「概念」へと移行
7.アラン・チューリングの考えた心と身体とを繋ぐ「万能性」
8.「計算」から「人工知能」へ
9.自然環境や人間の身体こそが計算に必要な資源を提供する役割を担う
10.学問の中心にあるのは人の「心」
11.進化しつづける「数学」とそれを支える「心」

ここから先は

36字
◆専門家と編集部で厳選した「親が今読むべき本」を「一冊10分」に圧縮してお届け ◆8冊分の記事を、「一冊分のお値段」でご提供 ◆オーディオブックも同時配信で、「ながら聴き」も可能 ◆「要約リクエスト」を受けつけているのはSHiORIだけ(LINE登録から) 忙しい中でも「親のセンス」をアップできます。 子育て支援はあっても、一番負担のかかる「親」の支援は足りていません。 SHiORIは徹底して「親の味方」になります。ご愛読の程、よろしくお願い致します。

「親」に特化した初の書籍の要約マガジンです。 週2回(水・土)|月8本 「教育」「心理学」「マネー」など、ベストセラーから知る人ぞ知る本ま…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?