2024.4〜
話したきことより語らぬ方がよきことを考へて中年となる 黒マスクで心も覆ふ知り合ひの多き甲府は快晴である バスに乗り遅れし吾を街灯の上から二羽の鳩だけが見つ 一切れで二百円なり匂やかなドライアップル噛み締めてゐる 吾の行く改札口も人生も上向き矢印のままであれかし 古巣に出かけたときの歌。繁忙期だったので微妙に鬱々としている。 ※バスに乗り遅れた歌があるのでバス車内の写真・・・ちょっと無理があるな。
常磐道往けば生徒の何名が「富岡町」の標識を見る 〇・二から〇・九に変わるとき放射線量少し気になる 請戸小を無言で歩きし生徒らが芝生広場を駆け回っている 街を去る人多かりき田も庭もセイタカアワダチソウわんさかと 香り高き海の幸なれ岩牡蠣を横目に集合時間を言えり いわゆる「生徒の引率」の歌。同じ立場の人なら似たような歌を詠むだろうな…という反省がすごい。自分にしか詠めない視点がほしいよう。
雨のなき帰省となりぬ晴れ女の一族に生まれ育つてゐると 藍染の暖簾をくぐり吾よりも背高き母の隣に立ちぬ 母が洗ふ茶碗の椿あかあかと蛍光灯に照らされてをり 時速二七〇キロの傾きで新幹線のトイレに座る 銀色の個室はスプートニクのごとライカの孤独をひととき思ふ 新幹線のトイレって宇宙船みたい…と時々思うんですが、この感じ、伝わりますか?
庭先ですり傷一つ作りしに祖母に塗られているオロナイン こんなにも心配されて祖母に映る吾は未だに赤子かも知れず 真ん丸のサーキュレーター リビングに小犬が涼んでいるかのように 愛犬の十三回忌美味いものを探す尻尾の揺るるを笑い テレビの音大きかりけり祖母と母が二人で暮らす歳月を思う 新仮名チャレンジ。 投稿締切が夏頃だったので、お盆休みに帰省したときの歌です。なんと翌月まで帰省ネタを擦っています(ネタ切れ感)
継続が苦手すぎる
クリニック通院の日。いよいよスケジュール調整が難しくなってきており緊張感がある。だいたいいつも怖いか痛いかするのだが、先進医療に片足突っ込んでるのもあって、好奇心が勝ちつつある。おかざき真里さんの『胚培養士ミズイロ』の影響も間違いなく、ある。 #3行日記 #胚培養士ミズイロ おすすめです
行事のため休日出勤。夫のデジイチを借りて撮影をしたが、最近のはこんなに簡単にピントが合うのかと驚いた。何せ私のデジイチは中古品の2006年発売モデルだ。レンズに手ブレ補正機能もない。仕事に使うには相当難のあるカメラだが、独特の渋い色味が好きで手放せずにいる。 #3行日記 ちなみに #NikonD40 です。写真は最近撮ったやつ。赤の発色が特に好き。
盆の入り。4月に亡くなった大伯母の話を祖母から聞いた。亡くなる少し前まで毎日日記を書いていたらしい。その日記を、祖母がもらってきたそうだ。「今日は誰も来ない」「〇〇に△△を譲った」「書きたくない」そんなことが日々綴られていたという。何十年も毎日淡々と綴ってきたことが遺された誰かの悲しみを癒すのなら、日記を書くことにも意味があるのかもしれない。三日坊主の私が言うのもあれですが。 #3行日記
山あいを走る特急に乗った。豊かな木々と川の流れ、ずっと見ていられる。昔から自分のことを海派の人間だと思っていたが、もしかしたら山や川のほうが好きなのかもしれない。そういえば今住んでいる賃貸も、裏に小川が流れているのが気に入ったのだった。ということは山派なのか?自然派?(この表現だとなにか違う意味になる気がする) #3行日記 そういえば #山の日 だった
短歌連作はこちらに
午後五時の車窓に舞へる街明かりちらちらと光の粒のごとくに つくしの子風に揺られてシャッターを押せども押せどもピントは合はず 春花壇賑はつてゐるその向かう落ちし椿の絨毯赤し 椿なほ残す茶の色の有終の美とはならない幾多の生よ 遅桜咲く彫刻の森にゐて吾ら誰もが作品となる 脱衣場に挨拶交はすやはらかな声の主(あるじ)の人生思ふ 軽やかに生きてゆきたし沈んでもまた浮かび来る白き湯の花 進級の朝の挨拶三月より頼もしくあり始まる四月 生徒らを乗せて大型バス揺れる春の荒川水面も揺れる ファイ
二十首詠。 『旅の音』 生くることは働くことか親として暮らすことなく年女なり つくしの子風に揺られてシャッターを押せども押せどもピントは合はず 椿なほ残す茶の色の有終の美とはならない幾多の生よ もう何もしたくないなど言ひながら飛び乗る小田急ロマンスカーに 踏切を待てる子連れの自転車もカバンコートも春の装ひ 囁ける声も弾めり背に聞ける老いの夫婦の箱根の話 はしやぐ子を窘めてはゐる母親の声まで旅の音(ね)と届きたり 少年の声も車内によく響き春はこんなに賑やかだつた 薄暗き廃
東京の地下街人の戻れども閉ざされてゐるシャッターの数 四月中に覚えし名前呼びたれば給食係の瞳和らぐ 記入事項、手続き、未来、数へれば吾が手に重し婚姻届 新しき家庭増えたり戸籍には遂に母のみ残されてをり 新姓と旧姓使ひ分けていく私はだあれ「妻」と呼ばれて 網走の山の上にて出遇ひたるトーテムポールの笑み静かなり あれはアイヌこれはイヌイット何も何も美しきかな民族衣装 川岸の青鷺幾度も鳴いてゐる三十八度六分の夜に 台風の過ぎし朝に長袖の勢力増してゐる通学路 窓の向
20歳になったばかりの頃、10代のときに作った短歌をまとめてあったのを掘り出してみた。 まとめたやつは、古の個人ホームページ全盛期に自分のサイトで公開していたのだったと思う。あのサイト、どこいったんだろう… 久々に読み返したらあまりにも拙くてびっくりしてもいるけれど、いわゆる「黒歴史」として葬ってしまうには惜しいのでここに載せておく。 それにしたってひどい出来だ! 幼くて、浅はかで、不遜で、短歌どころか何もかも至らなかった昔の私は当時の周りにいた人たちにもたくさん迷惑をか