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【書評 島崎藤村『破戒』】社会におけるくすぐりフェチについて

はじめに

最近、読者の幅を広げたいと思い日本文学に興味を持ち始めた。その時にkindleでたまたま目に入り読んでみようと思ったのが島崎藤村の『破戒』という小説。

著者の名前とタイトルは聞いたことがあったが、読んだことは無かったので丁度良い機会だと思い書を読み進めた。これが思いの外めちゃくちゃ面白い。

文体や時代背景にやや歴史を感じるが、深く考えさせられるようなストーリーは現代においても通じるところがあるだろう。

『破戒』という作品の内容を簡単に表すとすれば、
社会に対する究極の自己表現であると私は考える。

自らの生き様や社会生活にも影響を及ぼす程の内なる「秘密」を抱えている主人公の内面的な葛藤がありありと精緻に描かれた作品。

大まかに言えばそのような内容の作品であるが、私はこの本を通して生まれ持っての性癖であるくすぐりについて考えざるを得なかった。

すなわち、自分自身がくすぐりフェチであるということについて身の周りにいる人や社会に対して堂々と打ち明けることができないというもどかしさが存在しているからである。

SNSを通じて匿名でくすぐりフェチであることを打ち明けることはできても、家族や職場の人間、性癖を持たない一般の友達には口が避けてもくすぐりが好きなんて言えないという人は多いのではないだろうか。

本稿では島崎藤村の『破戒』という作品を通して、社会におけるくすぐりフェチの抱える葛藤について考察していきたい。

島崎藤村について

まず初めに、著者の島崎藤村とはどのような人物であり、どのように『破戒』という作品が書かれたのかを簡単に表しておきたい。

1872年(明治5年)の3月25日に筑摩県馬籠村(現在の地名で言うと長野県木曽郡山口村)に生まれた島崎藤村。本名は島崎春樹。

引用:http://toson.jp/smarts/index/20/

『破戒』という作品が生まれるまでの主な略年譜は以下の通り。

  • 1881年(明治14年)  9歳:学問のため上京し銀座の泰明小学校に通学

  • 1887年(明治20年)  15歳:明治学院普通部本科に入学

  • 1891年(明治24年)  19歳:6月、明治学院を卒業

  • 1892年(明治25年)  20歳:明治女学院の教師となる

  • 1893年(明治26年)  21歳:1月、同月創刊の『文学界』同人となる

  • 1896年(明治29年)  24歳:東北学院の作文教師として仙台に赴任

  • 1899年(明治32年)  27歳:小諸義塾の教師として信州小諸に赴任

  • 1905年(明治38年)  33歳:4月、小諸義塾を辞して上京

  • 1906年(明治39年)  34歳:3月、『破戒』を自費出版

『破戒』を書き始めたのは1904年(明治37年)であるが、その下地となったのは小諸(長野県)での教員生活であったと考えられる。藤村はこの頃,
生物の進化論を唱えたダーウィンの『種の起源』や、社会と人間のあり方をありのままに描く写実主義(リアリズム)の文学者フローベールの文学を学んでいた。

1905年(明治38年)に藤村は『破戒』を書くために教員という地位を辞して上京し、この2年間の生活中に三人の子供が次々と無くなり不幸に見舞われる中で『破戒』の自費出版を行った。

『破戒』という作品がもたらした成功は大きく、日本の自然主義文学運動を導いた。作品の中では明治時代の中に残る封建制ゆえに同じ人間でありながら他の人間から差別されるという不合理な実情を描いている。

しかし、人間は自然の進化のなかに生まれてきた生き物であり、人間は平等であるべき存在である。藤村は明治の時代になってもなお差別される部落民「丑松(うしまつ)」を主人公として選び、その心の悲しみを描いて日本の軍国主義、天皇制にするどくせまっていくのである。

『破戒』のストーリー要約

くすぐりに関する考察に入る前に、『破戒』という小説の中身について大まかなストーリーや登場人物について簡単に紹介しておきたい。

主人公:瀬川丑松(せがわ うしまつ)
信州で小学校の教員として働いている主人公で生徒にも好かれている。
明治という時代において社会から虐げられ差別される部落民出身であり、丑松はそれを「秘密」として勤務先や下宿先である「蓮華寺」の人たちに隠しながら生活を送っている。

ヒロイン:お志保(おしほ)
丑松が下宿している蓮華寺に引き取られた女の子。父親は丑松の勤務先である小学校の教員であり定年前に自主退職している。ちなみに退職後は毎日酒を飲んでふらついているアル中のような生活を送っている。
丑松は次第にお志保の境遇を想う中で密かな恋心を抱き始める。

丑松の友人:土屋銀之助(つちやぎんのすけ)
丑松の親友であり教員の同僚。出世コースを順調に歩むようなエリートで、植物学の研究者になるのが夢。丑松が内向的だとすれば銀之助は外向的な性格だと思う。次第に心が病み始める丑松を誰よりも心配してる良い人。

思想家:猪子蓮太郎(いのこれんたろう)
部落民出身の思想家・作家・政治活動家であり、丑松は私的に尊敬し傾倒している人物。社会から差別されている身分から、反骨精神溢れる力強く精緻な文章を著しており人を惹きつけるカリスマ性のある人。
丑松は猪子蓮太郎の新著述である『懺悔録』という本を読み、自分自身の内
面に向けて深い深い葛藤の日々へと堕ちていく。

上記に4人の主要な人物を紹介してみたが、もちろん他にも物語の鍵を握る登場人物は存在するので興味のある人は読んでみてください。

ストーリー
「読んでみて」とは言ったものの、『破戒』は全体を通して暗くてドロドロした人間模様も出てくるので人によって好みは分かれると思う。

しかし明治における「差別」という問題や主人公丑松の悩みや葛藤を鮮明に表した現実主義(リアリズム)の小説で私はめちゃくちゃ面白いと思った。

ネタバレしないように本稿において詳細は避けるが、ストーリーとしては終始丑松の「内面」や「心情」の変化に焦点を当てて描かれている。大きなポイントとしては「丑松が部落民出身であり、その事実を打ち明けるべきか隠し通すべきか」を葛藤していることにある。

ではなぜ、丑松は部落民であることを話すことができないのか。
一つはそれを話してしまえば現在の職業や住む場所を失ってしまい生活できなくなるから。もう一つは「父からの教え」が関係している。

「たとえいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅(めぐりあ)おうと決してそれとは自白けるな、一旦の憤怒悲哀にこの戒(いましめ)を忘れたら、その時こそ社会(よのなか)から捨てられたものと思え。」こう父は教えたのである。

島崎藤村『破戒』2013,11,28 岩波書店 p.14

一生の秘訣とはこの通り簡単なものであった。「隠せ。」——戒めはこの一語(ひとこと)で尽きた。

同上 p.15

『破戒』というタイトルにおける「戒」とは素性を隠すこと。
そして、丑松がその戒を「破(やぶる)」べきかどうか…という葛藤を描いたストーリーである。

また、もう少し猪子蓮太郎という人物について説明しておきたい。
物語の中で父親と並び丑松の内面的な思想に大きく影響を与えた人物。
なぜ丑松は蓮太郎に惹かれたのか。本文中の言葉を引用しておこう。

新しい思想家でもあり戦士でもある猪子蓮太郎という人物が穢多(えた)の中から産れたという事実は、丑松の心に深い感動を与えたので―—まあ、丑松のつもりでは、隠(ひそか)に先輩として慕っていのである。

同上 p.16

丑松にとって蓮太郎という人物は、同じ境遇にいながら社会に対して正々堂々と戦っている勇者であり、希望を与えてくれるような存在である。
だからこそ、蓮太郎の思想が眩い「光」であるが故に秘密を打ち明けられない自分自身の心に「影」を落とすのである。

すなわち、丑松は蓮太郎のようにありのままの自分を世に曝け出す力強い覚悟を持った生き方をしたいと考えている反面、「誰にも打ち明けるな」という父からの教えに縛られて生きている。

これを自分自身の抱える「性癖」に置き換えて考えてみると分かりやすいと思う。あなたは丑松と同じような境遇にあるとき、自分の「性癖」を曝け出すことができるだろうか、それとも誰にも打ち明けない生き方を選ぶのだろうか。

社会におけるくすぐりフェチという存在

本題に入る前に、なぜ私が『破戒』という作品に感銘を受けnoteで取り上げようと思ったのか触れておきたい。
それは、丑松の境遇と私自身のくすぐりフェチを抱えた人生と重なるところがあるからである。

別の記事でも書いたかもしれないが、私がくすぐりフェチに目覚めたのは物心がつく前——5歳くらいの時だ。他の園児が先生にくすぐられているのを見て「羨ましい」という気持ちを抱いたのがきっかけだと思う。

そこから、自分自身の内面的な世界でひっそりと「くすぐり」について考えていた。「くすぐられるのが好き」であると、家族や友人に打ち明けることなど当時は考えられなかった。別に打ち明けたからと言っていじめられるとか差別されるとかは無いと思うが、どことなく口に出すことが「タブー」であるような社会であると感じていた。

中学生くらいになって少しづつその考えが変わり始める。
家でパソコンからインターネットを使うようになって「くすぐり」について調べるようになった。そこでくすぐり小説と出会い、「あれ…?もしかして社会には意外とくすぐり好きの人がたくさんいるのではないか」と考え始めた。

正確な時期は覚えていないが、恐らく高校生くらいの時にパソコンでいつものように「くすぐり」について調べている中で「ひめりんご」さんの書いているアメブロの記事に出会った。
これが『破戒』で言うところの丑松が猪子蓮太郎の書物に出会ったときのような感情と言えるだろう。
「くすぐりフェチであることを堂々と社会に発信」している姿に当時割と深い感銘を受けた記憶がある。

そこから4~5年くらいかけて「葛藤」が始まることになる。
すなわち、自分の抱えている「くすぐりフェチ」という秘密を曝け出したいという欲望と、「決して打ち明けてはならない」というような社会の軋轢。

最終的には「くすぐりフェチ」を打ち明けたいという気持ちが勝って2018年の2月にくすぐり界隈のTwitterと創作活動を始めた。
「打ち明ける」という自分の行動に背中を押したきっかけは、大学に入学したばかりの頃、イベント系のサークルの勧誘に会って「何がとは言えないけど他に興味あるものあるんで」みたいに適当に断ってたら、「自分の好きなことを堂々と好きと言えるようになれ!」という檄を飛ばされたことだ。

そのサークルには入らなかったけど、その言葉だけは深く心に突き刺さった。「くすぐりフェチであることは悪いことではないし、堂々とくすぐりが好きだと言える人間になりたい」というように考え方が変化した。

以前「健全」についての記事を書いたが、「くすぐりフェチにとっての健全とは堂々とくすぐりが好きであると発信することに他ならない」と考える。

今振り返ってみると「くすぐりフェチを打ち明けられない」と蓋をしていたのは自分自身だったのではないかと思う。
Twitterを始めてフォロワーという目に見える数字に触れてみると、「世の中には自分が思っていたよりも沢山のくすぐりフェチがいる」のだと気づいた。

しかし、社会において「くすぐりフェチ」というのは正直まだまだマイノリティだと感じる。私自身、くすぐり界隈のTwitterやブログ、小説という匿名の中では何も躊躇することなく呼吸をするのと同じように「くすぐり」について語ることができるが、未だに家族とかフェチ以外の友人とか職場の中で堂々と「くすぐりが好きです」と語ることはできない。

だけれども、くすぐりフェチについて発信する人が増えて、例えばこれまでくすぐりに興味が無かった人たちが徐々に増えていけば社会は確実に変わっていくと考えられる。

話を『破戒』に戻して、猪子蓮太郎は『懺悔録』と言う自著において
「我は穢多なり」という文句から書き始めている。

私自身も、猪子蓮太郎のように社会に対して「我はくすぐりフェチなり」と堂々とくすぐりが好きであることをこれからも発信し続けていきたいと考えています。

おわりに

本稿では島崎藤村の『破戒』という作品についての大まかな登場人物やストーリーを紹介して、それを元に社会におけるくすぐりフェチという存在について語ってきました。

ほぼ自分語りのような話にはなりましたが、伝えたいことは自分の持っている好きな性癖を堂々と発信することができる社会になれば生きやすよねということ。

現に、私自身は今くすぐりフェチであることを発信できており幸せです。
それは「くすぐりフェチ」であることを打ち明けられないという戒めを「破る」という行動によってもたらされた結果であると考えています。

すなわち、行動でしか人は変わることができない。
内面で考えていることは、発信しなければ意味をもたらさない。

本稿が猪子蓮太郎の『懺悔録』のように、ひめりんごさんのアメブロのように、誰かの背中を押すきっかけとなれば幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

参考文献

・島崎藤村著『破戒』(電子書籍版)2013,11,28 岩波書店
・フローベール :https://www.y-history.net/appendix/wh1204-022.html
・藤村記念館:
 http://toson.jp/publics/index/20/


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