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【エッセイ】私は義父母がキライなんだ。(1167文字)

(注)あまり明るい話ではないです。
もし気が向いたら読んでやってくださいー!

「人をめったに嫌いにならない」というのが小さな自慢だった。
そうあるべきだと思っていたし、今もそれが理想だと思っている。

でも、

私は義父母がキライなんだ。

義父母は、悪い人ではないし、私を虐めてくるとかいうわけでもない。
しいて言えば「無関心」。
それは別に大した問題ではない。

ただ、圧倒的に価値観が合わない。
詳細は省くが、TPOにそぐわない振る舞いも、子に頼り切りな姿勢も、他人に対する横柄な態度も、どれもこれもに違和感を覚える。

それに対して疑問を抱かない夫への不信感もじわじわと芽生える。
結婚とは真の異文化交流なのだと、つくづく実感する。

会えば会うほど、自分の常識と相手の常識が違うことにショックを受けていしまう。
自分は異なる価値観を認めあえる人間だと過信していた。就活の自己PRにもそのようなことを書いた記憶がある。

どうやらそれは誤りだったみたいだ。
私が「認め合える」自信がある、「異なる価値観を持った相手」を思い浮かべてみる。

浮かぶのは、お酒の場で「いや、まったく理解できんわwww」と笑い合える相手だったり、外国人の方で「考え方が根底から違って面白いな」と思える相手だったり。

結局は、自分に害のない相手に限られていた。
すみません、自己PR取り下げます。

これまでは、単に幸運だったのだと思う。
価値観が似ていて、自分が心から尊敬できる人に囲まれて生きてこられた。だからこの年になるまで、人を嫌う必要が無かった。

今、私は戸惑っている。
生まれて初めて(は言いすぎか)のこの鬱屈とした感情にどう折り合いをつけていくべきなのか。

義両親は夫の大切な人なのだから嫌ってはいけない。そう思えば思うほど、嫌な部分が目に付いてしまう。

私だってそりゃあ、人を嫌わない自分でいたかった。

書くことが好きでよかった

このもやもやは多分一生ついて回るのだろう。
手を変え品を変え、私を悩ますに違いない。
だけど、それもいいじゃないかと最近少しづつ思えるようになった。

なぜなら、私に知らなかった感情を与えてくれるから。

私は物語を書くことをライフワークにしたいと思っている。一生をかけて何かを作り上げ、いつか成果を出したい。読んでいると胸がキリキリと痛んで苦しくなって、なのに心が温まるような、そんなお話を書きたい。

まったくの無からは有を生み出せない人間なので、これから人生に起こる出来事や自分が抱く感情はすべて、自分が書き続けていくエネルギーになると信じている。

「もやもや」「よろこび」「いかり」「どきどき」「にくしみ」どの感情のピースが欠けてもパズルは完成しない。

今日からは、パズルのピースを拾い集める旅にでるのだ。そう考えると心が少し軽くなったような気がする。

ああ、私に書くことがあってよかった。


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