痛みを分かち合う
ボクは、どんな人間になるのだろう。
これは、ボクが初めて入院した時に看護師さんと話した内容と、今思う事とを混ぜてます。有難う、あの日の看護師さん。ボクは健やかに生きています。
ボクは人の痛みを分かる人間になりたいと、常日頃から思っている。誰も理解なんてしてくれない、と泣くあの日のボクのような誰かに寄り添える人間になりたい。ボクの辛さは、いじめだとか、友人関係だとかの明確な形を持たない辛さだったから余計に苦しめられてきた。そんな人の助け、心の支えになりたいと心から願っている。
でもそれと同時に思うのだ。
ボクは、ボクの痛みを通してしか人の痛みを理解出来ないのではなかろうか、と。ボクが人の痛みに寄り添えるのは、ボクが痛みを受けたから、だとすると、ボクはボクの痛みの尺度でしか人の痛みも推し量れはしないのかも知れない、と思ってしまうのだ。
例えるなら、
ボクは誰かにふざけてではなく、ブスと言われたら死にたくなる程に辛い。だから、その条件であれば他の人も死にたくなる程辛いに違いない、のように、自分の尺度でしか人の痛みを推し量れないのが怖い。今まさにそうだ、と言われればそれまでなのだろうが。
人の痛みを、わかった気になるのが怖い。
それを無意識の内に押し付けてしまうのが怖い。
そんな話をしたら、「そんな事をもう考えられてるのが凄いよ。」と慰めてもらった。
本当に、ただ、勝手に自分の尺度で推し量ったり、それを押し付けるのが嫌だと言うのなら、人と関わらないのが一番の解決策なのかも知れない。
でもボクは、人と関わって、大切にして、されて生きていたい。人の痛みを100%理解する事は出来なくても寄り添って、分かち合いたいと思う。