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人生と自己認識

まず1回死んでみる

…とはいっても、本当にこの世で命を落とすわけではない。

29年の人生で、生き方について真剣に考えてみた結果、この方法が最も自分の人生観を自己認識するために効果的だと実感した。

そして、自己認識することが僕の人生を考えるための原点を知ることだとわかった。

自身のための備忘録として。
そして、人生で同じ悩みを抱えてきた多くの人に少しでも僕の経験が役に立つことを願い、このマインドセットを共有したい。

死のシミュレーション
-本当の自己認識をするために-

誰しもが一度は考えたことがあるかもしれない。

「いま自分にとって大切だけど、普段あまり連絡をとっていないあの人が明日死んでしまうとわかったら」

「いま、喧嘩した友達がこれから交通事故で亡くなってしまうとわかったら」

「大切に可愛がっていたペットが悪さをして必要以上に叱りつけてしまった後に、急な病気で亡くなってしまうとしたら」

最後が来るとわかっていたら、一時的な感情で思いもよらない言葉や行動をしてしまうことに対し、強く後悔するイメージ(自分が嫌だと感じる自分)ができる。

先に示したようなシーンでは、予め最後を知ることができるなら、きっと自分の中の良心に従った行動・言動を選択をするだろう。そして、その良心に従った行動は自分が本当に選択したいし、すべきだと感じている行動ではないだろうか。

自分自身についても同様に、死をシミュレーションすることで、本当に自分が望んでいることを知ることができる。

1回想像の中で死を経験してみよう。
そして、客観的にその死の場面をイメージしてみよう。

寿命を全うして死した自分に、最後はどんな声をかけてあげたいだろう。
自分が関わってきた人々にどんな風に自分を語ってもらいたいだろう。

いま、想像の中で死んだ自分に対し、かけてあげたい言葉や、関わってきた人々にどんな風に語られたいか、これはつまり死に際に振り返る人生をどう感じたいかである。

私なら例えば、妻から
『あなたは、いつも素直な気持ちで本当の優しさをくれる明朗で前向きな人物だった。感謝することを忘れずに、前向きに努力を惜しまない勇気をくれる人だった。』
と弔辞を読まれたい。

あとは、この弔辞を読まれるためにはどのような行動をとるべきか選択して行動するだけである。

妻に限らず、自分が関わる全ての人に当てはめて自分への弔辞を考えてみることで、自分が対人関係において心の奥底ではどうしたいのか?が浮彫りになる。

そして、その意志に沿った行動をとることで、自分自身の行動に意味を感じることができる。

この、終わりを思い描くステップを省略して、自分の意志に反する行動をとってしまい、相手や自分を傷つけてしまったことは何度もある。読者のあなたもきっと経験があるはずだ。

長くなってしまったが、要約すると以下のステップを実践することが、迷いのない人生観と精神衛生を保つための手段として大いに役立つことがわかった。

  1. 何か始めるときには、まず終わりを思い描く

  2. 終始1で描いた終わりを意識して、そこに向かうために正しいと感じる行動をする。
    ※慣れるまでは訓練が必要。自分の本心に沿った行動をとることの気持ちの良さ・自己肯定感を知ると継続できる。

*時間的、精神的、肉体的余裕がない場合は自身をコントロールする力が鈍る。こんなときは悪循環に陥る前に、本当に優先すべきことかどうかを見極め、不要と判断した場合には後に回すかやらない判断を下すことで、優先すべきことに注力できるだけの余裕をもつこと。

また、自分にはどうしようもないことや、まだ起こってもない不安に頭を悩ませて無駄な時間を過ごすことで、自分の余裕をなくした経験が多々ある。

こんな風に自分が気にし過ぎ症候群に陥っているかどうか判断するためには、その悩みを解決するために自分ができることがあるのか?コントロール可能か?を考えてみる。
その結果、自分が影響できないことであればどうしようもないことなのでそこで考えるのをやめることができる。

ここまで記したことは、完訳7つの習慣に記述された第一から三の習慣にあたるが、実体験に基づき非常に有効に感じた方法である。

少しでも同じ悩みを抱えた人々に役立つことを心より願う。

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