どこかのあなたと、あの時の私へ。#8月31日の夜に
今週で8月も終わり。
今年は9月2日から学校が始まるところもあれば、すでに夏休みが明けて学校が始まっていたり、明日から始まったりするところもあると思います。
私の住んでいる長野は、自殺死亡率が全国で2番目に高い県です。
今、どこかでつらい思いをしているかもしれない誰かのことを思って、今年も書きます。
私は中学生の時、スクールカウンセラーの先生に「死にたい」と言った。
「学校に行きたくない」
「小学校の時にいじめてきた人たちと一緒に過ごしたくない」
「担任の先生も信じられない」
「だけど学校に行かないと進学できない」
「家族も親戚もみんな進学するのが当然だと思っている」
「だから、死にたい」と。
感情が爆発して取り乱したりしないように、自分なりに一つ一つ考えながら順序を踏んで説明したつもりだったのだが、最後にその言葉を言った瞬間、先生の顔つきが変わった。
私が話し終わるのを待たずに、「どんな理由があっても絶対にそんなこと言っちゃだめ!」と大きな声を出された。
私が冷静なトーンで話していたから、突拍子もない言葉が出てきて焦ったのかもしれない。
だけど、「死にたい」と思うことすら許してもらえなくて、その言葉の裏に隠れているたくさんのつらい思いまで否定されたような気持ちになった。
あの時、私はどうしてほしかったんだろう。
大きな声を出されてびっくりしたし、怖かった。
「私の痛みなんて知らないくせに」って思った。
でも、じゃあ「はい、さようなら」って言ってほしかったのかというと、それも違う。
やっぱり本当は「死なないで」って言ってもらえることを望んでいた。
きっと、ただ話を聞いてほしかっただけなんだ。
「死にたい」という言葉は、命を粗末に思うから出てくる言葉じゃない。
「死にたい」という言葉は、もう絶望感しかなくて何もかも終わらせたいって意味に聞こえるけど、本当はそうじゃない。
「死にたい」は、心のSOSだ。
だから「そんなこと言わないで」なんて言うのは、無責任だと思う。
誰もあなたにはなれない。
あなたの命は、あなただけのものだ。
「死にたい」って思ってたっていい。
つらいことから解放されたいと思うのは当然のことだし、楽になりたいと思うのは悪いことじゃない。
でも、もし「自分なんていない方がいいんだ」と思っているのなら、「ちょっと待って」って言わせてほしい。
私は、今でもときどき「死にたい」と思う日がある。
そして、そんな時には必ずしていることがある。
夜寝る前に「今日も生きていて偉い」って声に出して言うこと。
自分を誉めるなんて反吐が出そうなくらい、自分のことを蔑みたくなる日でもだ。
朝起きたら、同じように「目が覚めて偉い」って言ってみる。
すると不思議なことに、なんとなく「もう一日生きてみてもいいかな」という気持ちになってくる。
たとえ子供だましでもいい。
どうか、あなたのことを傷つける人と一緒になって自分自身を傷つけたりしないで、あなたはあなたの味方でいてあげてほしい。
生きるのって、簡単なことじゃない。
いくつもの奇跡が積み重なって今あなたが存在している。
それは本当に素晴らしいことだし、尊ぶべきことだ。
だから、堂々と。
自分を甘やかして、胸張って、生きよう。
(昨年書いた文はこちら↓)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます! もしよろしければ、サポートしていただけると嬉しいです。 ♡スキやコメント、フォロー、シェアなども励みになります!(スキは非会員の方も押すことができます)