助けてくれ

こんにちは、しおんです。仰々しいタイトルになってしまったのですが、自分の家庭について少し愚痴を書かせてください。普段と比べてかなりまとまりのない文章になっていると思います、すみません。

私の両親は事情により別居しており、私は今父親宅で暮らしています。事情というのは、元の家から父親の職場まで片道1時間ほどかかるため、コロナ禍になったことにより満員電車による感染リスクが大きいのでは、と母親が心配したからです。私が大学へ通学する場合も同様のリスクが考えられるため、父の職場にも私の大学にも自転車圏内で通える場所に居を構え、今はそこで生活しています。

ただ、今、私にとって母親のコロナ禍に対する姿勢が自分の精神的安定と衝突する部分があることで悩んでいます。母親の考える感染対策は、

  • 自分を中心とした半径2m以内に他人が来ない

  • 換気が徹底されている屋内あるいは屋外

この2つの条件を満たすところ以外は行ってはならない、というものです。例えば電車は禁止です、なぜなら2mの距離を必ず確保できる環境ではないため。建物についても、訪れる前に電話やインターネットで混雑状況や換気の状態を調べ、上ふたつの条件に当てはまらなければたとえ日常生活に必須であっても容易には行かせてもらえないのが現状です。例えば病院なら、症状が緊急性を要するものでなければオンライン診療、緊急性を要するものであれば、何件も病院を探して最適なところに行く、という対応をとっています。美容院にもここ2年1回も行けていません。スーパーはもちろん、コンビニに行くのすら制限されることもあります。

ここまで聞くと、「やりすぎでは」「よくそんな環境で3年間生きてきたな」という感想を持つ方も少なくないと思います。ただ私自身は、このやり方に必ずしも反発しているわけではありません。その理由としては、まず一つはこの2つの条件を満たす場所ならウイルスの感染リスクは限りなく低いこと、そしてもう一つは、たとえ若者であろうと、新型コロナ後遺症を訴える割合が見逃せない程度に高いことです。新型コロナ後遺症には咳、味覚障害という症状だけでなく、倦怠感や睡眠障害などの症状も含まれます。私は5年前から精神疾患及び自律神経失調症を患っており、これらの症状が通常の人より精神的に大きな負担になってしまうことが予想されます。これらの状況を踏まえ、たとえ別居していながらでも、母親がコロナ対策に関しては徹底を要求することは私にとっては十分に理解できることではあります。

ただ最近になって、母親の要求する姿勢のうち一部が、私がこれから成人として日々を過ごす上で障害になっていると感じることが増えてくるようになりました。それは大きく言うと「自分の選択ができないこと」に尽きると思います。

コロナ禍を理由に、自分がその時「食べたい」と思ったものを自分の力で手に入れることができない。常に母親に頼むか、父親に何を買ったか見られながら生活しなければならない。自分の行きたい場所の感染リスクを家庭内で共有する必要があるため、自分の好きな場所に好きな時に行くことができない(前、駒場保健センターを家族に黙って受診したら、それをばらされてGPSをつけられました)。友人と会うにしても、何人で会うのか、どこまで融通が利く仲なのか、などを共有する必要があるため、ある程度深くまで交友関係を話さなければならない。極め付けは、都内ワンルームアパートに父親と住んでおり、しかも父親はテレワークでほぼ家にいるため友人との会話が筒抜けであること。等、感染対策そのものよりも、自分のプライベートが制限されているという現状が積もり積もって、慢性的なストレスを抱えながら日々生活しています。

このような話を聞くと、どうしてそれに反発しないのか、と疑問を抱く人もいるかと思います。実際母親にも、「不満があるなら隠さず言ってほしい」と言われています。ただ、過去の私は、あるいは現在も、このようなストレスを我慢するより、親に対して反発して意見を言うことの方が苦痛に感じるという傾向があります。その理由は私の生い立ちにあります。私は幼少期から母親との折り合いが悪く、互いが互いのことを信頼しきれていないという関係でした。私が親に負担をかけ続け、特に思春期以降は、そのお返しに暴言や肉体的苦痛を与えられることも少なくありませんでした。その過程で、「母親は私をこういう人間だと思っているのだろう」という偏見が定着し、現在もその呪縛から逃れられていません。大学生になって母親と冷静に話す機会もあり、その中で「そういうふうには思っていない」と否定してもらえることもありましたが、それでもその言葉で安心しきるには至っていないのが現状です。そのため、「これを言ったらまたこんなふうに思われる」「こういうことを言われるに決まっている」「それを言われたら私は再び傷つき、自分を見失ってしまうだろう」という空想(それが現実になったことも…)が先走り、反発することに対する恐怖心が勝ってしまいます。反発して傷つくくらいなら嘘をついて乗り切る。私はアリバイ作りが上手くなりました。その過程で、自分がどうすればストレスなく生きられるのか、あるいはどういう価値観を持って生きていけばいいのか、という感覚が次第に麻痺し、「少々我慢しても言うことさえ聞いてれば楽だ(自分が傷つくことはない)」という考えに囚われるようになりました。そしてそういった自分を正当化して過ごしてきた結果、つけが回ってきて今ここで愚痴を吐いている、というわけです。

話は大きく変わりますが、2023年の目標として、来年の一人暮らしをするために体力作りとスキルアップをする、具体的には、大学に毎日通える体力と、エンジニアとしてインターンやアルバイトができるだけの知識を身につける、ということを掲げました。しかし、今の状態で果たしてそれが実現可能なのか。正直、五分五分未満だと思っています。体力はつくかもしれないが、それと同時平行で精進するだけの気力が既に限界を迎えています。確かに、一人暮らしをするだけなら別途にプログラミングの勉強をする必要はありません。体力さえあればプログラミングスキルがなくてもできるアルバイトはたくさんあります。しかし、プログラミングに全く関係のないアルバイトを始めてしまったら、仮に体力がついても、復学した際にはプログラミングを十分にやる時間がなくなってしまうと考えています。そうしたら、好きなことができなくなってしまうし、好きなことで身を立てる可能性も低くなってしまう。それを防ぐために今のうちからスキルアップしておくことは必須なはずなのに、そしてそのために休学したはずなのに、不安障害に加え上に挙げた家庭環境の問題もあって心がついていかないのが現状です。要約すると、自立するためには、自分で選んで飛び込んだ世界を諦めなくてはならなくなってしまうかもしれない、ということです。

それならいっそ、今の貯金を活かしてとりあえず家出をして、そのあとでアルバイトを探そうか、と考えてしまうこともよくあります。ただそれは、失敗した際の対価が大きすぎる(家に連れ戻された場合、監視が強化されることは目に見えているし、穏便に一人暮らしさせてもらえないという懸念が生じてしまう) し、今の自分の体力や精神状態を考えると、長期的なアルバイトをするのに不安があるために失敗する確率が高いことは理解しています。だからそれは極力避けたい。ただ、私がいつまでも冷静でいられるか、自分自身よく分かりません。なので、私の現状を書き出した上で、必要ならば私の衝動を止め、もし私に万が一のことがあれば協力してくれる方が一人でも多くいた方が私の支えとなります。そのためにこのnoteを書きました。長々と書いてしまい申し訳ありません。最後にこのタイトルの回収をして、この記事を終わりたいと思います。





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