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「休む」は動詞


何が言いたいのかタイトルでだいたい分かるっぽい記事。

「休む」は何もしていないわけではないよ、「休む」ことを怖がらないで、という内容。

保護者や社会人の癒やしになれば。

※この記事で言う「休む」には「遊ぶ」も含まれています。



先日、とある小学生との会話で、その子には1週間の中に休みが無いということを知った。

月〜金まで3箇所のサッカースクールで埋まっており、土日祝はクラブの活動があり、時間が合う時にはお父さんにもサッカーを教えてもらったりするらしい。

「友達と遊んだりしないの?」って聞くと、「スクールとかクラブ終わった後にちょっとだけ遊んだりすることがある」と答えた。

でもこれは別に珍しいことでもない。

サッカーだけで埋まってる子はそんなに多くはないけど、塾とかプールとは他の習い事で1週間埋まっている子は自分の周辺ではかなりいる。

塾に関しては、子供が自分から望んでいる習い事じゃなくて、親に「行きなさい」と言われて行っていることが多い。

小学生なのにとにかくみんなパンパンに予定が入っている。



話は変わって。

先日、友人の仕事の愚痴を聞いていたときの話。

友人の仕事を飲食店としておこう。

友人の上司である店長がお店を開き、まもなく最初の従業員として働き始めた友人と二人でやりくりしてきたお店。

お客さんが途切れないで入るようになってきた頃、店長はお店を拡張することを決める。

客席数を2倍にし、従業員も二人増やして、増やした客席をもっと埋めるために値下げもした。

増やした従業員の手が余ったらもったいないと考えた店長は、更に様々なキャンペーンを実施することで従業員に新たな役割を与えた。

結果、拡張前に比べて売上は1.5倍になったが、一人あたりの忙しさも1.5倍になったとのこと。

どうやら店長は忙しくないと不安になる人で、客数を増やすことと従業員の手を休ませないことが目的になってしまったのではないか、という話。



この「習い事だらけの小学生」と「忙しくしたい店長」の話、どちらも「休み」=「損」のような感覚からそうなってしまっているのではないかと考えている。

尊敬している一人である心理学を勉強している人に教えてもらった話だが、どうやら日本人は「利益を得る」ことより「損失を避ける」ことの方に強い関心を持つとのこと。

これは決してそれが悪いという話ではなく、そういう性質があるというだけの話。

その性質があるから、空き時間があることを損と捉えて、そこに何か予定やタスクを入れたくなってしまうのではないかと。


小学生の話なら、

「他の子は習い事しているのに、うちの子はその時間に何もしていなかったら差が開いてしまう」
「どうせ友達と遊んでるぐらいだったら、運動系の習い事に行かせたほうがサッカーも上手くなるんじゃないか」
「家でゲームをしている時間があったら、塾にでも入れて勉強させたほうが時間を有意義に使える」

のような考えで習い事に行かせていたら、まさに損失回避の思考。

後は「(共働きなどで)家に誰もいないからその時間預かってくれるところとして行かせる」という人もいるのかな。(これは共働き推奨のデメリットよね)


店長の話なら

「忙しくないっていうことはまだまだ働けるということだから、もっと仕事を詰め込まなきゃ」
「従業員が接客していない時間も給料は発生しているから、もっと接客数を増やさないと」

みたいな。


こういう思考はけっこうあるあるだとは思う。

でだ。

そこで改めて考えたいのは「それって本当に損失を回避できてるの?」ってこと。

例えば。

子供を塾に”行かせる”という行為は、子供に「あなたは頭が悪いから塾に行かせている」と間接的に伝えてることにならないか?
子供が「自分は頭が悪いから塾に行かされているんだ」と感じたら、本当に頭が悪くなっていくし(”ゴーレム効果”などを調べて)、無理やりやらされるものと感じるほど勉強自体を嫌いになっていくかもよ?
マイナス効果のためにお金を払ってるって考えたらそれこそ損失では?
1週間びっしりサッカーや運動を”やらせる”のはいいけど、そればっかり経験した子供は「運動は習うもの」と認識しないか?
遊びの中で育まれるものは、「習ってからやる」という環境でも得られるものなのか?
身体や心を休ませないことによる損については十分に知っているだろうか?
今我が子の周辺にいる子達より優れた結果を出すことが、はたしてどんな損失回避になるの?
従業員を忙しくすることによってサービスの低下が起こり、逆にお客さんが離れたり客単価が下がったしまったりすることはないだろうか?
店長も従業員も時間を奪われ続けていたら、新しいことを学ぶ時間や、より良いサービスを提供するための準備の時間も失ってしまわないだろうか?
休みが無くて従業員が身体を壊したら、それこそ大きな損失では?

ってね。



タイトルに書いたように「休む」は動詞であり、「休むことをする」みたいに言える行為だと思う。

つまり休むということは何もしていないわけではない。

本稿では「休む」には「遊ぶ」も含めるが、この「遊ぶ」だって何もしていないわけではない。

休む(遊ぶ)ことで避けられる損失があるし、休む(遊ぶ)ことで得られる利益もある。


だからそんなパンパンにガッチガチに予定やらタスクやら詰め込まなくても良い。

時間が空いていることを恐れないでほしい。

休むことが悪いことだと思わないでほしい。

休むことも予定でありタスクでもあるのだから。

休みがあって良い。

大丈夫。休んでも死にはしない。


以上、最近気になった壊れそうな人たちに向けた文章でした。



自分がやりたいことをやって結果的に自分が忙しいのはもちろん良いと思います♪

他者を巻き込んでないし、そういう時は自分自身もたぶんあんまり忙しいって感じてないだろうし♪



終わり

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