育成の近道は遠回り
サッカーにおいては、年齢が低ければ低いほど、
コーチの命令通り動けば
単純なことを徹底してやりまくれば
毎日ボロボロになってでも量をこなしまくれば
その時点での結果は出やすい。
なぜなら、
命令通り動いていれば、コーチの知識でプレーが出来る
単純なことだけを繰り返せば、プレー中の判断スピードは早い
量をこなせば、怪我さえなければ周囲のまだ未熟な選手より高い能力を得る
こんなアドバンテージを得られるから。
だから、
自分の持つ知識で判断する
複雑な状況の中からプレーを選択する
楽しめる範囲でのみプレーする
の選手より結果が出やすいのは間違いない。
年齢が低ければ低いほど、周囲は未熟なのだから。
身体的に早熟な選手たちを選抜してそれを行えば、対戦相手はまだ未熟な判断力とプレー精度でその差を補うことは出来ない。
ではその『服従、単純、量』の選手はその時の結果以外ではいったい何を得るのだろうか?
自分で考えず、複雑なことを避け、とにかく量をこなす。
自分で考えない方が、楽だし責任を負わなくて良いことを学ぶだろう
単純を繰り返した方が、良い評価をもらえることを学ぶだろう
苦痛と共に量をこなす方が、結果につながるということを学ぶだろう。
そしてこれらによって、サッカーは誰かに言われてやるものだと学ぶこともあるだろう。
では『判断、選択、楽しむ』は何を得られるのか。
自分の判断に責任を持つことで、自分で知識やプレーを向上させていく必要があることを学ぶだろう
複雑な状況を受け入れて選択を繰り返すことで、情報収集と選択が習慣化されていくだろう
楽しめる状態を維持することによって、またプレーすることへの意欲が高まり新しいことを取り入れる好奇心も得るだろう
これらはきっとサッカー以外にも良い影響を与えることがあるだろう。
『服従、単純、量』はスタートダッシュには最適だ。
未熟な年代において結果のみを求めるならとても効果的な手段だと思う。周囲が未熟な内に一気に置き去りにする。
『判断、選択、楽しむ』では結果までに時間がかかることが多い。
複雑な状況下での選択が習慣化されて判断スピードが早くなるまではむしろプレーは遅いし、楽しさによってプレーの量が増えるまでは能力もなかなか高まらない。
でも最終的に高みに辿り着くのはどちらだ?
思考と責任を放棄し、言われるがまま単純を繰り返すことを求める
難しい問題も自分ごととして目を背けず、物事にポジティブに取り組む
今後どちらの方が一回のトレーニングで伸びる幅が大きいだろうか?
世界トップクラスの選手達は、どちらを習慣とした人達なのだろうか?
山を登る時、直線的に登るルートの方が、遠回りするルートより、1時間後にはより高いところにいるだろう。
しかし直線ルートでは途中で息切れしてしまい、頂上まで辿り着けない。
遠回りルートは1時間後の高さでは負けるかもしれないが、数時間後に頂上に辿り着くにはこのルートを選択する必要がある。
遠回りルートは道中の様々な経験も、直線ルートより多く得られるだろう。
『服従、単純、量』の若年層で結果が出るスタートダッシュ直線ルートよりも、『判断、選択、楽しむ』の時間はかかるけど様々な経験と共に頂上を目指していける遠回りルートの方が、きっと景色も良い。
これは別に「目の前の結果を求めるな」ということではない。
ただ、直線ルートで1時間後の高さを競うのではなく、頂上まで行ける可能性がある遠回りルートをお互いに進む中で、その時々の高さを競わないか?という話。
直線ルートで競えばきっと疲れて山登りをやめてしまうし、その辛い経験から二度と山を登ることは無くなってしまう。
遠回りルートで仲間と笑いながら、助け合いながら、その時点での登った高さを競う方がきっと長く続けられる。
頂上をどこにするかは人によると思うが、サッカーにおいてはワールドカップやチャンピオンズリーグで優勝することだと私は思っている。
かなり高い山だ。
直線ルートでそこに辿り着くには相当な才能が必要だろう。
そしてそこで優勝することが出来ても、人生という山はその後も続く。
という詩人っぽい表現でこの記事を終わることにする。
終わり
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