簡素化のススメ − 余白が人の力を引き出す -
簡素化(かんそか)
[名](スル)むだを省いて簡単にすること。
荷物が多くなるほど人は動けなくなるし周りが見えなくなる。無駄な荷物を減らして余白を作ろう。という話にサッカーを添えて。
情報が溢れる昨今。「あれをやりなさい」「たったこれだけで変わります」「あれがあればこれができます」と、たくさんのやるべきことや手に入れるべきものが目に入ってきます。最近は音のみでも入ってきます。
それらの情報によって、「あれをやってないと周囲についていけない」「あの基本を全部できないといけない」「これすらもできないようじゃダメだ」、そんな思いを抱かされてしまいます。
その思いに引っ張られて、「やるべきこと」「知るべきこと」「出来なければならないこと」などをどんどん追加して、気づいたらそれらをこなすことで1日が終わることもあります。
それはそれで充実した1日と言えるかもしれません。
でもこの1日を過ごす状態から新しいことを生み出すことは難しいです。
その状態で「自分ならでは」を出すことも難しいです。
あれもこれもと荷物を増やした結果、踏み出す一歩が重くなるし、荷物にばかり目が行くようになるからです。
ここで言う「荷物」とは、時間、物、思考、のことです。
新しいことを生み出せる時や「自分ならでは」を出せる時は、えてして荷物が無い時だったりします。
旅行で、スケジュールをぎっちりと詰めないことで旅先で新しい場所に気づくことが出来たり、物をいろいろと持ち歩かないことで現地の物と直に触れ合うことが出来たり、やらなきゃいけないことを持たないことでその場の楽しみ方を考えることが出来たりします。
時間、物、思考、に「余白」があると、これだけ景色が変わります。
荷物を沢山持っている時はその景色に気づくことは難しいです。
シャワーを浴びている時にふと良いアイデアが出るときがあります。
裸で、1人で、余計なものが無い空間で、安全を確保されていて、さらに目を閉じる時間があり、シャワー以外の音も無く、行動は自動化されている。
そんなシャワーの時間は荷物がとても少ない「余白」の時間と言えます。
そういう「余白」が人の力を引き出すからだと思っています。
そんな「余白」を作るには「やる」ばかりに目を向けず「やらない」に注目する必要があります。
サッカーにおいても余白が無くなることがあります。
最近は、各国、各クラブの戦術や指導理論などをかなり知ることが出来ます。
有名選手たちのエピソードも、幼少期からプロになってからのものまで、たくさん公開されています。
遠い地の映像も見ることができ、サッカー好きとしてはとても幸せな時代です。
指導者だけでなく選手や保護者もそれらの情報を得ることが出来るため、昔に比べたらみんな様々な知識を持っています。
ただその得た知識を、「やったほうがいいこと」「やらないといけないこと」として背負い過ぎると、荷物過多になり、余白が無くなってしまいます。
あれもこれも必要だからと言って、周囲の人達からいっぺんに多くの荷物を背負わされることは、選手にとっては無自覚にキツイことです。
また、指導者も自身に余白が無いと目の前の選手とじっくりと向き合えません。
本来サッカーは余白の使い方を自分で工夫することで楽しむものです。
ルール以外の制限が少ないゲームを提示した時、選手たちはイキイキと楽しそうにプレーし始めますが、制限が多いゲームを提示すると、それをこなすことで精一杯になり、新たなものを生み出すことは少なくなります。
サッカーにおいても余白は大事です。
そんな余白を作るためにも、「やる」ではなく「やらない」に注目しながら、荷物を整理して少なくする必要があります。
「本当にそれいる?」と考えると、省けることはけっこうあるものです。
例えば戦術的なこと。
「攻撃時、ボール周辺に数的優位を作りに行って、スペースが狭くなったら他のスペースに移動して、それらの動きによって出来たスペースは別の味方が使ってまた数的優位を作りに行って」
おそらくこの指示だけで多くの戦術的動きが再現されると思います。(例えなので本当にそうなるかどうかはツッコまないでくださいね)
にも関わらず、動きを細かくたくさん指定するよりも余白があり、選手は創造性を発揮する機会が増え、指導者は見るべきポイントが楽になって他を見る余裕が生まれます。
動作に関しても、例えば「ゴールキーパーに防がれないようにシュートして」とだけ選手に伝えれば、「足のここで蹴って、軸足はこうして、助走からこうやって、身体を起こして、腕はこう使って、蹴った後はこうやって、相手をよく見て、ゴールの位置確認して…」などの細かい指示は省けます。
教え込むことは荷物を増やして余白を減らすことになりえます。
もちろん、シャワー時のように、行動が自動化されることで思考的余白を増やすこともできます。
ただ、時間は平等に有限なので、自動化するまでは多くの荷物を背負ってプレーすることになるだろうし、自動化しても時間的余白が増えるわけではありません。
無駄を省いた必要なことだけを自動化すれば、時間も節約できるし、思考の余白も増えます。
情報を活かす時にも、省けることはあります。
例えば、有名選手が幼少時代に「やっていたこと」を真似したくなる気持ちはわかります。
でももちろん、それをやることで誰でもその選手になれる、ということはありません。
また、そんな有名選手達には「やっていなかったこと」や、「誰かはやっていたけど、誰かはやっていなかった」ということもあるはずです。
全ての有名選手がやっていたことを全て取り入れてやっていたら、余白が無くなるどころか足りなくなります。
それぞれに合った「やる」があります。
それ以外は「やらない」を選択することも必要です。
サッカーの現場だけでなく教育においても、特に「やらない」方が良いと思うことがあります。
それは「誰かと比べる」です。
誰かと比べることは、「やる」を増やすことに繋がる傾向があると感じています。
学校は学びを得るための場所ですが、優劣を競う場所ではありません。
サッカーは勝敗を競うゲームではありますが、優劣を比較するゲームではありません。
生活は生きるために必要なことであり、優劣を証明するためのものではありません。
でもそこで誰かと優劣を比べるようになると、優に近づくためのことに時間を使ったり、物を増やしたり、思考したりします。
他者より優れてると言うためだけに結果を焦り、要らない荷物を増やして余白を無くしてしまいます。
余白は新しいことを生み出すためにも「自分ならでは」を出すためにも必要です。
ただ、ここまでで言いたいことは「余白が大事だから何もやらない方が良い」という話では有りません。
簡素化(かんそか)
[名](スル)むだを省いて簡単にすること。
無駄を省くことが大事だという話です。
使ってみないと、経験してみないと、無駄かどうかわからないものです。
その新たなものに気づいて一歩を踏み出すためには余白が必要です。
余白のために未知のものを最初から拒絶していては、新しいことを生み出すきっかけも失われて余白の使い道も無くなってしまい、本末転倒です。
ただ、昨今はすでに多くの荷物を持ってしまっていることが多いと感じています。
新たなものを試してみるためにも、今ある荷物を減らして余白を作ってみてもいいかもしれません、というお話でした。
そんなことを言っているこの記事も、もっと簡素化することが出来そうですね。
「やることばっかり探して大変そうだけど、やらないことを探して余裕を持てば、やれることが増えるよ」
簡素化するとこんなものでしょうか。
やりすぎると味気ないですね。
終わり
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