指示をするなら”得たい結果”を指示する


試合中や練習中に選手に指示をするべきかどうか、っていう話じゃなくて。

指示をするとしたらどんな指示をするべきか、って話。



「ラインをあげろ!」
「幅を取れ!」
などなどよくある指示。

でもこれだと正しく伝わらないのではないか?と考えている。

どういうことか。


例えば上の2つで言うと。

ラインを上げるのは何のため?
幅を取るのは何のため?

この「何のため?」によってプレーが変わる。


ラインを上げることが「オフサイドを取るため」なら、DFラインの1人だけわざと下がっておいて、タイミングを見てその選手が一気に上げる方が良いかも知れない。

ラインを上げることが「守備陣形をコンパクトにするため」なら、DFラインを保ちながらラインを上げる必要があるだろうし、上げられない状況なら逆にFWが下がってコンパクトさを維持する必要があるだろう。


幅を取ることが「そのサイドから攻めるため」なら、そのサイドを狙っていることを気付かれないように、目立たないようにポジションを取ったほうが良いかも知れない。

幅を取ることが「中央にスペースを作るため」なら、サイドいっぱいに広がって、中央に出来るスペースを使う、味方に使わせる準備をする必要があるだろう。


同じ指示でも「何のため」でやるべきプレーが変わる。

見える範囲では全く同じ動きだとしても、選手の準備が変わる。


この「何のため」がチームで十分に共有されているなら、試合中では上記のような指示でも良いとは思う。

けど、そうでなければ、指示を変えた方が良い。


それがタイトルに書いた「”得たい結果”を指示する」ということ。


その行動によってどんな結果を得たいのか、を指示する。

「ラインを上げる」だとしたら、例えば「守備陣形をコンパクトに!」と指示する。もしくは「中盤の相手キーマンのスペースを奪って」と指示する。

「幅を取る」だとしたら、例えば「中にスペースを作って!」と指示する。もしくは「相手SBをサイドに寄せて」と指示する。

そうすれば意図を間違わない。

この意図がディテールの差になる。


また、「”得たい結果”を指示」にすることで、行動を指示するよりも、選手がアイデアを出せる余地が出来ることもメリットの1つ。

練習中であれば、「その結果を得るならこういう方法もあるんじゃないか?」と選手側からの発想や提案も得られるかも知れない。


指示をされる側として。

例えば、「お金を貸して」と友人に言われるなら。(これは指示というよりお願いだけど)

なんでお金を貸してほしいのかを聞きたいと思う。

その理由が「会社を作りたい」だったら?

だったら最初から「会社を作りたいから協力してくれ!」って言ってくれたら投資としての心構えも出来るし、もしかしたらお金を貸す以外の方法で助けられるかもしれない。

得たい結果を言われる方が物事を進めやすいと思う。


この「”得たい結果”を指示」とは上の階層を指示するということ。

社会貢献したい > そのアイデアを実現したい > 会社を作りたい > お金がほしい

という階層があったら、一番下の「お金がほしい」ではなくその上に属する要望を指示する。


だからサッカーでこの「”得たい結果”を指示」するとしたら、全体像が見えている必要がある。

全体像が見えていないと上の階層の指示が出来ないから。


先日「しくじり先生」という番組で「家事・育児が原因で夫婦がしくじらないための方法」というのをやっていた。

その中で。

夫は家事をかなり手伝っているつもりだったが、妻からしたら全然出来ていないものだった。でも夫はやっているつもりだからドヤ顔で、妻はイラッとする。

どうやら夫は家事の全体像を把握できていなかったから、夫的に自分が手伝っているものがほんの一部だったことに気がついていなかった。

妻が家事リストとして148項目を書き出してみたら、夫は自分がいかに何もしていなかったか自覚した。それと同時に何をした方が良いのかも把握した。

こんなような話があった。

この148項目にはかなり細かく家事が書いてある。

「ゴミを出して」と言えばゴミは出してくる夫。
でもゴミ箱に新しいゴミ袋をセットしたりはしない夫。
『ゴミ出し』というセットの中の一部しかやれていない。

みたいな話もあった。

でもここでもし最初の指示を「ゴミを出して」から「ゴミ箱を使える状態にして」にしていたら、この問題は解決できていたかもしれない、と考えたりもした。

指示する側が上の階層を示すことは、受け手に全体像を把握させることに繋がり、実行が意図に沿ったものになりやすい。

もしその過程において、指示する側のイメージと違う行動や失敗が受け手側にあっても、全体像を知っている状態でそこを指摘されれば受け手側の学習効果も高いはず。



このように「”得たい結果”を指示」で上の階層を指示することは効果的だと考える。

だからといって指示が「勝て!」では階層が上すぎて、受け手は何をしたらよいかがわからない。

かと言って「ボールを蹴れ!」では階層が下すぎる。

受け手側が意図を把握するためにちょうど良い階層の言葉を選択しなければならない。

そのためにも戦術的な勉強も含めてサッカーに詳しくなる必要があるし、階層を整理するにはゲームモデルなどを作って、指示する側が自分自身の指示の意図を正しく把握する必要もある。



ちなみに、ちょうど良い階層の言葉かどうかはわからないが。

攻撃のポゼッション的な練習のときに、「引きつけろ」とか「パススピードを速く」とか「相手の矢印の逆を取れ」などの指示をすることも有ると思う。

だけどそこで、これらの指示で「”得たい結果”」として、「味方にスペースを作ってボールを届けて」と指示すれば、上記の指示が必要なかったりする。

その手段として引きつけ方をアドバイスしたり、「味方はそのもらったスペースとボールを生かしてね」と伝える必要もあったりするとは思うけど、とりあえず「”得たい結果”を指示する」の例として。



先日、自分が所属しているオンライサロンのラジオで、「サッカーが上手くなるには”ずるいこと”をしようとすることが大事」という話をした。

「”得たい結果”を指示する」で上の階層を指示することは、その”ずるさ”を引き出すことにも繋がると思っている。

得たい結果ではなく行動そのものを指示されたら、選手は”ずるさ”や”個性”を入れる余白が無い。

「こういう結果が得たい」ということだけを指示すれば、そのプロセスは選手の自由になる。

そうすれば選手はそこに”ずるさ”や”個性”を入れることができる。

選手の創造性を育むためにも、全体像を知ってサッカーを理解するためにも、「”得たい結果”を指示する」は役に立つと思う。



ということで、やっぱりそのためにもサッカーの全体像を理解できるような勉強は必要なんだろうね!

範囲広すぎ!



終わり

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