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for serendipity1100「自分がどう作られてきたか」

せんだいメディアテーク編『つくる〈公共〉50のコンセプト』(2023)にある美術家・演出家・高嶺格さんの文「同時代性という尺度-コン・テンポラリーをどう認識するか」(88-91p)より。

多摩美術大学で教えておられる高嶺格さんはよく学生に「自分がどう作られてきたか」について考えるように話すといいます。そこでよく話される例がボーヴォワールの「女は女に生まれるのではない、女になるのだ」。

「作られた自分」と「自分で作ってきたと思っているけれど、実は作られていた自分」、そして「ほんとうに自分で作ってきたかもしれない自分」と。いろいろ脱ぎ捨てつつ、新たに世界編集しつつ、自分が求めるものを編み直しつつ、進んでいきましょう。

 





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