for serendipity1005「人は天才に向かって進むべきか」
詩人・佐々木幹郎さんの『中原中也~沈黙の音楽』(2017)より。
一九二三年一月頃と推定されるが、中也は毛利碧堂に対して、「防長新聞」歌壇欄を通して質問の手紙を送付していた。投稿歌と一緒に手紙を同封したらしい。中也の「冬の日暮るる頃」と題した短歌八首が掲載された同年二月七日の「防長新聞」歌壇欄の末尾に、碧堂による次のような紙上回答がある。
「御手紙拝見しました十六才の貴下としては感心します人は天才に向つて進むべきですがしかし文学だけでは先々中々世に立つて行く事は苦難でしよう、よく考へて見なければなりません。委細に手紙を上げます。住所を御通知ください」。
このとき中也はどんな内容の質問をしたのかはわからない。碧堂の回答から推測すると、おそらく「人は天才に向かって進むべきか」どうかを聞いたのだろう。中学校の成績が下がるたびに両親は落第を心配したが、彼は「ぼくは勉強せんけど、落第だけはせんから安心してらっしゃい」と言っていたという(『私の上に降る雪は』)。成績が下がるのと反比例するように、自らのなかに「天才」の運命を見ようとしたのかもしれない。(65p)
16歳の中也さんの手紙と碧堂さんの回答。100年前も、いまも同じですね。たしかこの本の次頁に書かれていて知ったのですが、大正時代って、「天才」ということばが流行ったそうです。
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