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for serendipity1054 クロポトキンの『相互扶助論』の村があった

『宮本常一と民俗学』(2021)より。
第二次世界大戦前、宮本常一は師である渋沢敬三の指示でトカラ列島の宝島に調査に行きます。当時の戸数は96戸。島外との交通は月に2、3便しかない。島にはわずかだが水田もあり、畑では穀類や野菜も植え、牛馬も飼っていた。周囲の海から魚も容易にとれるので食料は完全に自給できていた。夜にあかりをもって浅瀬を歩けば、イセエビが手づかみでとれた。潮水をくんで煮詰めると塩もでき、砂糖はサトウキビを植え、茎をしぼってつくっていた。衣類さえも湿地に生えているバショウの葉の繊維で自作していた。この島で手に入らないのは鍋、釜、鍬などの鐵具と材木だけだった。家も材木があれば自分たちで建てた。島には大工ができる者は56名もいた。そのほかにも船をつくれる者17名、鍛冶屋1名がいた。食料は自給し、くらしに必要な技術も島内でまかなえた。島にはものを売る店もなかった。だからお金も必要なかった。ここにもクロポトキンの『相互扶助論』の村があった。
(116ー118pより要約)
 

「日本の伝記 知のパイオニア」シリーズの『宮本常一と民俗学』(2021)

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