掌編/ちっぽけな

 石垣と溝にはさまれた細い坂道を登り、雨樋にぶつけないようにハンドルを切った。母屋の縁はカーテンが引かれ、しんと静まっている。それはいつものことで、僕は特に気にとめるでもなく車を庭先に停めた。
 昔ながらの日本家屋は半身が不自由になった祖父には不便が多く、長屋の半分を改装してバリアフリーの住居にしたのはもう十年も前のことだ。その祖父もすでに亡くなり、長屋の玄関脇の手摺には手拭いが何枚か干してある。玄関は網戸にして開け放たれていて、中は薄暗く人の気配はなかった。カラリとその網戸を引くと「ああ、まー君か」とワンルームマンションのような部屋の奥でむくりと祖母が起き上がった。

「ばあちゃん寝てたらいいよ」

 まだ六月にもなっていないというのに、トタン屋根のせいか室内はむんと暑かった。戸締まりもせず、網戸越しの風でうたた寝できるこの田舎は、祖母にはきっと居心地がよいのだろう。夏になっても頑なにエアコンを使おうとしない祖母が、いつか熱中症で倒れはしないだろうかと心配しつつ、こうして様子を見に来るくらいのことしかできない。

「さっき洗濯物しまって、ちょっと横になっとっただけだ」

 よいしょと立ち上がった祖母は、もう九十を超えているというのにシャンと腰をのばして台所へ向かう。僕は目的のものをきょろきょろと探し、テーブルの上にそれを見つけた。

「ばあちゃん、固定資産税のってこれ?」
「ああ。一番上のだけ払ってくれたらいいはずだ」

 重ねて置かれたいくつかの封書を確認すると、祖父宛ての納付書が二通と、父宛てのものが一通あった。二人ともすでにこの世にはいないというのに。
 名義の変更は早めにしないとあとあと面倒になる、そんな話題が定期的に親族のあいだで交わされるものの、日々の雑事に追いやられ、さらには年を感じさせない祖母のせいもありずるずると先延ばしになっている。

「まーくん、すぐ帰らんといけんの? お茶でも飲んでいかん?」
「あー、じゃあもらおうかな」

 プレミアムフライデーだから、そう言って僕を早退させたのは叔父だ。親族の経営する会社で働いていると、仕事とプライベートの境目が曖昧になる。曖昧というよりは常時仕事であり常時プライベートだ。「ばあちゃんとこから固定資産税の払込用紙取ってきて」それが僕の早退理由だった。
 祖母は水切りかごの中に伏せてあった抹茶茶碗を拭き、ゆっくりとした足取りで戻ってくる。
 元気なものだ。こうして手押し車などなしに坂を下って畑へ行き、野菜を採って帰ってくる。その野菜を自分で料理し、一人でご飯を食べて一人で寝る。寂しくないはずはない。
 はいよ、と祖母は菓子器のなかの饅頭を差し出してきた。それほど食べたいわけでもないが、「ありがとう」と封を開けてかぶりつく。なかなか大きな栗饅頭だった。
 慣れた、けれど緩慢な手つきで祖母は抹茶を立てた。抹茶も茶筅も、茶杓も茶巾も、いつでも手に取れるようにテーブルの上に並んでいる。祖父が竹を切り出して拵えた柄杓は、そこには見当たらなかった。茶釜がないのも少々寂しくはある。祖母はポットの湯をとぽとぽと茶碗に注いだ。
 母屋に戻ればなぜかこの家には茶室がある。炉のなかでゆるゆると湯気を立てる茶釜は、小さい頃から目に馴染んだ光景だった。
 シャシャシャと茶筅が湯を切る音が心地良い。ふわりと甘やかな香りが漂ってきた。すっと真上に引き上げた茶筅に、薄緑色がわずかに残っている。
 祖母は両手で持った茶碗をするすると回し、僕の目の前に置いて「どうぞ」と軽く頭を下げた。幼いころ正座のままじっとしているのが嫌で、何度言われても茶など見向きもしなかった。そんな僕ではあるが、なんとなしに頭を下げて「いただきます」と手の上で椀を回す。口に流れ落ちたその味は、まろやかでふくよかだった。

「坂の下の美代ちゃんがなあ、この時期は膝が痛いだって。わしがこの年になってもシャンとしとるんは、屈伸しとるけえじゃないかと思うんだ」

 祖母は立ち上がり、おもむろに膝を曲げて屈伸をする。この人は案外テレビの影響を受けやすい。テレビが良いと言えば何かしらやってみたりする。

「こうやって、思い出した時に一日に何遍か屈伸して、寝る時は横向いて寝るのがいいだって。それで、こうしてなあ、布団のなかで膝曲げて、足の裏を揉むんだ」

 僕が「へえ」とか「ふうん」とか相槌を打ちながら茶を飲んでいるあいだ、祖母はずっと一人で喋っていた。
 このあたりで祖母のように元気に一人で暮らしている人は少ない。数年前までは近所にも行き来する相手がいたが、「○○ちゃんはこの前施設に入って」とか「○○さんが亡くなんさって」と、祖母の茶飲み友達は確実に少なくなっている。
 母方の祖母はすでに他界しているのだが、その人は「じいさん早う迎えに来て」と毎日仏壇に手を合わせていたらしい。その話をこの父方の祖母は知っている。だから「迎えに来てって言っても来てくれんだろうけえ、ころっと逝かせて下さいって手ぇ合わせるだ」と笑っていた。
 僕が「そろそろ帰る」と言って立ち上がると、祖母はいつもどおりに母屋に向かった。
 うちには仏壇がない。茶室の一角にある祖霊舎に向かって、僕は手を合わせた。「みたまさん」と呼んでいるそれが、「御霊さん」だと気づいたのは父の葬儀の頃だっただろうか。焼香せず、榊を供えるその神式の葬儀に、うちは神道なのだと今更のように実感した覚えがある。
 父と祖父の位牌があり、壁にはこちらを見下ろす二人の遺影が掛かっている。五十を過ぎてすぐに癌で他界した父の写真は、ずいぶん老け込んで見えた。もともと若白髪の老け顔ではあったが、祖父と並ぶと同じくらいの年に見えた。それでも満面の笑みが父の人柄を存分に表している。
 
「これ、照おばちゃんが送ってきたのだけえ、持って帰りんさい」

 これもいつも通りのことなのだが、帰りは袋菓子をいくつか持って帰ることになる。遠方に嫁いだ叔母は、しょっちゅう色んな物を祖母に送っているようだった。

「じゃあ、また来る。何かあったら電話して」

 車の窓を開けて手を振ると、祖母は名残惜しむように近づいてきて、「安全運転で、ゆっくり帰りんさいよ」と心配げな顔をした。どうやら心配をかけているのはお互い様のようだ。
 坂道を下ると、目の前の水田にはそよそよと小さな緑が揺れていた。かたむいた日は水面をキラキラと輝かせ、鏡のように世界を映し出している。逆さまの世界には山の端がくっきりと浮かんでいた。道端を埋め尽くすコガネソウが遠い昔を思い出させる。しゃらしゃらと音が聞こえてきそうだった。その奥に揺れる無数の茅花も、野良猫と戯れた記憶をつれてくる。白猫のしっぽのようなその穂を手に、ランドセルを背負ってこの道を歩いた。
 祖母の家を訪ねると、いつも遠回りをして帰る。それはアルバムをめくるようなものだった。無人の駅を過ぎ、中学校の前を通るとき桜の大樹に目を向けた。僕が卒業した頃よりは大きくなっているのだろうが、月に一度は目にするその木の成長ぶりは、はっきりとは分からない。生まれてこのかた地元から出たことのない僕には、知らないことも気づけないこともたくさんある。

 水田がなくなるころ、道は国道と交差し、その向こうは丘があった。赤信号で止まると、らっきょう加工場から独特の饐えた匂いが漂ってくる。六月に入れば最盛期だ。目の前の丘を少し上ると、砂地のらっきょう畑が一面に広がっている。そこを貫くように一本の道がまっすぐにのび、その先に長い長い上り坂がある。それを登りきると海が見える。この瞬間を求め、いつもこの道を通るのだ。
 海岸沿いの松は強い潮風で傾いていた。重力が歪んだようなその景色も好きだった。松林の向こうに見える海を横目で捉えつつ、車を停めやすそうな場所を探した。
 ふと目に飛び込んできた景色に呆然とした。松林の切れたパーキングスペース。そこから見えたのは一面の白だった。

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 空の白、海の白。光に霞む水平線は、そこで世界が切り落とされているように見えた。
 山陰地方は湿気が多い。ここから一キロもない場所に広がるのは天然記念物に指定される鳥取砂丘だが、その存在がこのあたりを乾燥地だと思わせている。それはまったくの誤解で、青い空には、四季を問わず常に薄っすらとした雲がかかっている。
 晴れていはるけれど、今日の雲はずいぶん厚いようだった。透けて見える太陽の光も白い。世界が溶けてひとつになっていた。その光景は、まるで彼岸への扉が開いたようで、僕はなぜか懐かしさを覚えた。
 吸い込まれるように車を降り、砂地の細い道を浜へと歩いた。道の両側には雑草が生い茂り、こんなところでもコガネソウが揺れていた。蓬もある。その砂道はすぐに拓け、薄桃色のハマヒルガオが砂浜の一角を埋め尽くし咲いていた。

 スニーカーに砂がまとわりつく。視線を足元から海へと向けると、やはり世界は真っ白だった。光を反射する海面は、きっと世界を映している。その映した世界も、鏡の中の世界も、全てが白く光り輝いている。いつ失われてしまうかも分からない白い世界。

 遥か彼方の、その面影が朧に見えた。ちっぽけな僕は、それでも確かにここにあった。
 歩いて十分ほどの家から嫁いできた祖母を思う。何年も、何十年も、繰り返し繰り返し種を植え続けた、そのしわくちゃの手を思った。真っ白に輝く、その白髪を思った。
 近いうちに散髪に連れていってあげないと。
 一羽の烏が、白に染まぬまま視界を過っていった。


〈了〉


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