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やられたらやりかえす鏡のように

人付き合いが苦手だ。

というとちょっと漠然としているので、もう少し掘り下げていく。

ひとのいつもとちがう挙動に反応するのが苦手だ。

いつもとちがうから『正解』がわからない。そんなもの存在しないとわかっていても、自分の反応で相手が傷ついたり不快に思うことはやはり避けたい。だからといってその『いつもとちがう何か』を気づかなかったことにしてなにも働きかけずに放っておくのは、それはそれであとあと気になってしまう。おまえはどうしたいねん。という場面が、生きているとたまにある。

こういうときに自分はどう扱われたかった、どんなことばをかけてほしかったか、本には何て書いてあったか、三十年ちょっと人間をやってきた経験をほじくりかえして結局「無難……」と我ながら思ってしまう解に辿り着くのがいつものことで。それに何かすっきりしない思いがあったんだけど。

でも、先日落ち込んでいる友人をみかけたときに、声をかけるべきかいやここはそっとしておいたほうがいいのかなと躊躇して。ふと、自分がこんなときどうされたかったかじゃなくて、このひとはわたしが落ち込んでいると思ったとき何をしてくれたか、を参考にすればよいのでは? と閃いて。ひとり脳内審議の結果、わたしならしずかにかなしみに浸るところかな、と思いながらめちゃくちゃ声かけてはげました。正解だったかはわからないけれど、声をかけないほうがよかったとは思わない反応でほっとした。

どこまでいっても自分以外は他人なのだから、そのひとのきもちになって考えにしたって限度がある。仲が良くても価値観が同じとは限らない。別の個体なのだから。

けれど、もらったものくらいは遅れて反射するように返せばいいのかな、と思うと少し気が楽になった。もらってないひとにも返したくなることはあるから、この限りではないけれど。動機は感情たけど、その先の行動には理屈を求めてしまう人間なので、判断材料がひとつ増えるのは嬉しい。

またひとつ、せかいが生きやすくなった。