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2022.05.04/シチューの日

今日もいい天気。
GW初日の大雨が嘘のように連日快晴。

起き抜けに、仕事へ向かう母が「どこか出掛けてくれば?」と外出を促してくる。断捨離したい気持ちもあったが、人と会った方がいいかもしれない。買い物ついでにGW期間しかやっていない展示を見にいくか。それとも少し街中をぶらつくか。お花でも買いたい気分だ。お昼頃までそう思っていたが、思い浮かべるだけで結局家にいた。父も母も仕事に行き出しているのに、まだ家にいる自分が少し情けない。

本を読む気にもNetflixやYouTubeを見る気にもなれず、ただただスマホでネットサーフィンして無為に過ごした。大概は脳幹出血発症後の闘病記録や、wikipediaで「鎌倉殿の13人」ゆかりの人物や戦いのページをひたすら読んだ。

一つ、個人塾の塾長を務めていた男性が、脳幹出血から奇跡の生還を遂げた記録を書いたホームページに行き着いた。驚いたのが、彼は発症した日の夜、シチューを食べていたのだと言う。5/1の我が家の夕飯もシチューだった。


数年前、兄が仕事中に両足首の骨を折って入院した際、高血圧なのが分かった。市立病院への紹介状をもらっていたにも関わらず、一回も病院へは行かなかった。そういう人間だ。昔からそうで、母が何度うるさく言おうが怒ろうが、面倒と判断したことは絶対にやらない。父も母も叔父も「まだ若いから面倒がって病院へ行かなかった」と言ったが、たとえ兄が50歳になっても、痛みで生活ができないくらいにならなければ行かなかったと思う。現に痛風も発症していたのだ。

もう本当に自業自得だ。生活習慣を整える気がない。運動習慣もまるでない。自分の健康を意識しないようにしていたとも思える。料理しているところなど見たことがない。

兄は3歳の頃、O157(食中毒)で入院したとき、腎臓を一つ失っている。本当はもうその時点で、健康に気を使う人生のはずなのだ。彼はそれをずっと跳ね除けていた。ずっとセルフネグレクトをし続けていたように思う。未成年のうちは年に一回、大きな病院で検査を受けて、身体に問題ないことを証明し続けてしまったのも大きいかもしれない。当時20代にも関わらず高血圧になっていたのは、腎臓が一つないことも起因しているだろう。あと、遺伝も。

彼は心底将来のことを考えるのが苦手そうだった。兄はこれまでの日本社会における「長男文化」の犠牲者だと、私は薄目で見続けていた。兄の振る舞いから自分の立ち振る舞いを学んだところも大きい。「長男文化」ゆえに厳しくされるところ、甘やかされるところ。私は私で、「女」だから厳しくされるところ、甘やかされるところ。2人とも課せられた枠組みが本当に性に合わなかった。気弱(内弁慶とも言う)で不器用で、幼い頃から体型がふくよかだった兄に、男社会はキツそうだった。

子どもの頃は兄弟喧嘩ばかりしていて、痛い思いをしたことも多々あったが、私が中学生になった頃からだいぶ仲が落ち着き、東日本大震災が起きた時も、兄の部屋でいっしょにゲームをしていた。私と兄を繋いでいたものは、お互い生きるのに嫌気が差していた中救われたゲームやマンガ、アニメだった。今の仕事に着いてからはとんと話す機会が減り、「そろそろ桃鉄でも買ってお兄ちゃんに遊んでもらうか」などと大の大人ながら考えていた。お互い恋人もいないしそれぞれの人間関係に興味がないので、うっとおしい話はせずに済み、「楽しさ」に没頭できるからだ。しかも兄はゲームがうまいから頼りになる。考えているだけで永遠に機会を逸してしまったが。

子どもの頃、お兄ちゃんに構ってもらえなくて大泣きする自分の姿が、ふと記憶から甦った。

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