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2022.05.12/生きるって言い切る、尚も

深夜3時過ぎ。感覚としては11日の夜だ。突然母に起こされる。「病院から電話があったから、すぐ準備して行こう」。いよいよ来てしまったのか、と身構えながら淡々と着替える。もう何回目か分からないが、家族3人で車に乗り込みZ病院へと向かった。

病棟の警備のおじさんが「本当は、面会は1人か2人までなんだけど……」と言いながら3人で手続きを通してくれる。兄は緊急入院の数日後、ICU(集中治療室)からHCU(高度治療室)に移っていた。

HCUの扉の前でしばらく待っていると、看護師さんが「今、先生がYさん(兄)の治療に入っているので、終わったらお呼びしますからここでお待ちくださいね」と言う。

一体何が起きているのかは分からなかった。でもこの深夜に呼ばれたということは、容体が悪化したか危篤かどちらかだろう。看護師さんに言われた通り、じっと待つ。1時間以上待ったその時間は無限のように感じた。HCUの扉の横にある二基のエレベーターが、まるで地獄の門のように見えた。

しばらくするとS先生が「お待たせしてすみません」と申し訳なさそうに、説明のための部屋を設けてくれた。担当の先生は別の緊急手術に入ってしまっていて、代わりにこのS先生が丁寧にわかりやすく、事細かに解説してくれた。S先生は見るからに疲れ切っていて、救急病棟の過酷さに思いを馳せる。

昨日11日の昼に父がZ病院を訪ねた際は、兄の自発呼吸が安定してきていたので「呼吸器を外しましょうか」という話になっていたらしい。しかしその日の日付が変わって深夜、血圧が尋常じゃなく低くなってしまった。もともと高血圧で「血圧を下げる」薬を投与していたのに、今度は「血圧を上げる」薬を投与しているのだと言う。

なぜ血圧が下がってしまったか。主に考えられる原因は三つあると、S先生が話し出す。

一つ目は、脳幹部の出血がさらに広がってしまい、血圧や生命を保つホルモンが維持できなくなっている可能性。これを調べるためには脳をCTスキャンする必要があるが、血圧が下がりすぎていてスキャン室まで運べないので、調査できていない。

二つ目は、敗血症。ざっくり言うと体内に菌が入ってしまった可能性だ。重症の患者さんはどこかしら身体を管で繋がれているから、どうしても菌を防ぎきれないのだという。

三つ目は、腎臓の機能が著しく低下している可能性。兄の腎臓の数値を見せてもらったら、通常、腎臓を悪くしている人でも出ないような、高い(悪い)数値を記録していた。しかもここ数日で、急激に数値が上がってしまっているとのことだった。

やはり今回の「脳幹出血」は第一に、そもそも兄の身体に腎臓が一つしかないことが大きな原因のようだった。3才で片方の腎臓を失ったときに、ある程度こんな未来が決まっていたと言うんだろうか。それとも、3才で死ぬはずだった命が10倍も生き存えたと喜ぶべきなんだろうか。兄が3才で死んでいたら、私と会うことも生活を共にすることもなかった。そう考えると、むしろこれまでの人生は奇跡だったと思えてくる。

ここに来て兄との面会が初めて許される。最期になるかもしれないから、3人同時に入院室に入らせてもらえた。久々に見る兄は、ひと回り小さくなっていたが、予想よりは痩せこけていなくて少し安心する。見たことがないくらいヒゲの剃り跡が濃い。手を握ると、生きていることが十分に伝わってくるほど温かかった。母が号泣する。父が兄の名前を呼ぶ。ああ、生きている間に顔が見れて本当によかった。

手に触れるたび、心電図モニターの脈拍か呼吸かを示すグラフが乱れる。兄が反応してくれているかのように感じて、代わる代わる手を握り、生きていることを確かめた。そうやって兄の顔を見つめている間も、他の患者さんの痰吸引の音や、看護師さんたちが忙しそうにバタバタとしている音が聞こえてくる。紛れもない現実なのに現実感が薄い。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、梶原景時(中村獅童)の悪癖「目の前の人の天命を試すこと」を思い出す。ドラマでは、「苦境にあってもこの人が生き延びるのか、それとも命を落とすのか。ここで死ぬなら所詮それまでの人」と源義経(菅田将暉)相手にも試している真っ最中だ。

天命とか運命とかっていう雑な言葉で片付けると途端に楽になる。人の力の及ばない、あるんだかないんだかわからない、あやふやなものに判断を全てぶん投げる。賭け事の一種だ。景時の気持ちが少しわかる。受け止めきれない理不尽なことに引っ張られすぎないようにする、人間の生きる知恵だ。私も思ってしまった。「兄がここで死ぬとすれば、それまでの運命だったのだ」。これまで拒絶していたそれらの言葉が、突然腑に落ちる。

母は「温かい手に触れられるのはこれが最期かもしれないから……」と兄のそばを離れようとしなかった。規定では面会時間は15分なのに、看護師さんたちも気を遣ってくれて1時間近くいさせてくれたように思う。

病院を出るとすでに朝日が登っていて、見事な晴れ模様だった。周りの木々の青さと早朝の香りでどうにか持ち直しながら、帰路に着いた。

そして5/12は、先日の「母の日」に七回忌法要を済ませた祖母の命日だった。さらに意図せず、両親と私、3人ともが休みの日だった。どこまで迷惑かけまいとするのか、この兄は。それとも、亡き祖母が何か気を利かせてくれたんだろうか。


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